美術史・技法

まっすぐ立つのは、疲れた人だけ——ブルトン・バスティアン=ルパージュ・北斎ほか九点の収穫

収穫の絵を九点集めて、どの瞬間が選ばれたかを数えた。刈っている最中の絵は一点もない。研ぐ、拾う、積む、摘む——絵は刈る前と後に偏り、働く体はほとんど曲がっている。麦だけでなく、蕨と葡萄、そしてトリュフの風刺まで並べた。

疲れた落穂拾いの女
ジュール・ブルトン《疲れた落穂拾いの女》クリーヴランド美術館蔵

まっすぐ立つのは、疲れた人だけ

夕日の落ちる麦畑に、女がひとり立っている。

頭に布をかぶり、両腕を大きく開いて、伸びをしている。

素足である。

足元には、拾い集めた落穂の束。

背後では、まだ数人が腰を曲げて働いている。

太陽は、地平線に半分沈みかけている。

この絵の中で、まっすぐ立っているのは彼女だけである。

そして彼女がまっすぐなのは、疲れたからである。

疲れた落穂拾いの女
ジュール・ブルトン《疲れた落穂拾いの女》1880年。館の記録では、布に油彩。額なしで94×63.8センチ。番号は1915.721。クリーヴランド美術館蔵。ジュール・ブルトン《疲れた落穂拾いの女》クリーヴランド美術館蔵

落穂拾いは、刈り入れのあとの仕事である。

館の記録では、麦を刈り取った畑に残るわずかな穂を拾う。

主に貧しい人、とりわけ女と子どもの仕事だったという。

刈る人には雇いの賃金が出る。

拾う人には、地面に残ったものしか出ない。

同じ畑の上に、二種類の収穫があったことになる。

絵の中でも、刈り終えた者と拾う者は、明るさの違う場所に立っている。

沈む夕日は、拾う側の一日がいちばん長いことも示している。

素足と質素な服が、彼女の身分をひと目で示す。

一方で、大きく開いた腕と土の色に沈む肌が、人と大地を結びつけてもいる。

画面の右下の隅には、黒い絵の具の署名がある。

「ジュール・ブルトン、1880年」。

記録は、この絵の商売の事情も書いている。

ブルトンは注文に応えるため、自作の複製と変形をくり返した。

この絵も、1880年のサロンに出た、より大きく有名な一枚とよく似ているという。

売れる収穫の絵は、収穫のように毎年くり返し作られた。

来歴の欄も読んでおく。

クリーヴランドの銀行家ハールバットが、1881年に画家から直接買った。

仲立ちをしたのは、パリ駐在の美術代理人だったとある。

描かれた翌年には、絵はもう大西洋を渡っていた。

農村の夕暮れは、新大陸の応接間で最も歓迎される画題の一つだった。

作者自身の生い立ちについては、逸話が一つ書かれている。

ブルトンは農村の小さな村に育ち、農民の暮らしに近さを感じていた。

ただし父は公爵家の地所差配人で、本人は古典的な美術教育を受けたという。

拾う側ではなく、拾う人を描く側の出自である。

その距離が、この絵の品の良さと、批判のされどころの両方だった。

さて、収穫の絵を九点集めた。

刈る、拾う、積む、運ぶ。

収穫はいくつもの動作の連なりである。

九点がそれぞれどの瞬間を選んだかを、順に数えていきたい。

そして、働く体がどんな形になるかも見ていく。

先に言ってしまえば、収穫の絵の体は、ほとんど曲がっている。

もう一つ、収穫の絵には時間の癖がある。

一年の実りが数日に集中するから、収穫は季節の絵の頂点になる。

十二か月の絵の回で見た月暦絵でも、夏から秋は刈り入れの受け持ちだった。

一枚の収穫の絵は、暦の一枚でもある。

刈る前に、刃を研ぐ

大鎌を研ぐ草刈り男
ジュール・バスティアン=ルパージュ《大鎌を研ぐ草刈り男》1878年。館の記録では、エッチング、支那紙を白い紙に貼る。版面19.7×25.8センチ。番号は1887.374。シカゴ美術館蔵。ジュール・バスティアン=ルパージュ《大鎌を研ぐ草刈り男》シカゴ美術館蔵

収穫の一歩手前の場面である。

帽子の男が畑の中に立ち、大鎌の刃に砥石をあてている。

腰は少しひねられ、視線は刃先に落ちる。

刈る姿ではなく、刈るための手入れの姿だ。

道具の手入れは、収穫の絵の隠れた定番である。

刃が鈍れば、その日の稼ぎが減る。

研ぐ時間は、働く時間の一部だった。

バスティアン=ルパージュは、農村の働き手を等身大に描いた画家である。

この版画でも、男は英雄でも哀れな貧者でもない。

道具を点検する、ただの職業人として立っている。

記録の作者欄には、1848年生まれ、1884年没とある。

三十六年の生涯だった。

農村画の書き手として最も期待された時期の、働き盛りの仕事である。

技法の欄も少し変わっている。

支那紙という薄い紙に刷り、それを白い紙に貼り付けてある。

薄い紙は細い線をよく受け止め、厚い台紙がそれを支える。

版画の一枚にも、支える側と支えられる側の二枚の紙がある。

足元の草は数本の線だけで、地平線には小さな影がいくつか。

余白の多さが、砥石の音まで聞こえそうな静けさを作っている。

干草を積む
エドウィン・カウフマン《干草を積む》1926年。館の記録では、ドライポイント。版面14.3×11.7センチ。番号は1942.912。クリーヴランド美術館蔵。エドウィン・カウフマン《干草を積む》クリーヴランド美術館蔵

刈ったあとは、積む仕事になる。

荷車の上に、干し草の山。

二人の男が、それを納屋の高い戸口へ押し上げている。

館の記録では、この版画の背景はほとんど白いままである。

作者カウフマンはふだん、版の縁まで風景を描き込む人だった。

ここでは場所の手がかりが窓の気配しかなく、それが例外なのだという。

背景を消した分、働く動作と荷の量感だけが残った。

版の右下には「カウフマン、26年」と彫り込みの署名がある。

紙の余白には、鉛筆で題と署名も書き添えられている。

1920年代のオハイオの、都市近郊の収穫である。

農村の画題は、二十世紀の版画家の手元にも生きていた。

記録には、逸話も残る。

カウフマンは1929年にヨーロッパで学んだあとも日常の場面を作り続けた。

その絵は帰国後、地元紙に何度も載ったという。

作者欄の生没年は、1906年から1939年。

三十三歳で世を去っている。

この版画は、その三年後に収集家の手から美術館へ贈られた。

画家の画室から出て、一人の手を経て、壁に届いた小さな旅である。

遠くから見ると、収穫は風景になる