十二か月の絵は、一枚ずつ旅をする——ゴブラン工房・ベーハム・国貞ほか九点
一年を十二枚で描く、そろいの絵を九点集めた。六点がそろいを離れて来た一枚で、月は七つ来ていた。宮殿の壁の綴織から江戸の絵暦まで、大きさも使い道もまるで違う。焼かれた先代を持つ五月と、暦の字だけが一致した鉢の話も添えた。

五月だけが、掛かっている
横に長い布に、祭りの群衆が織り込まれている。
画面の右手前に、着飾った男女が馬で乗り入れる。
左には、腰を下ろして見物する人々。
奥では、柱のまわりに人が集まっている。
柱の先には、的にする茂みと鳥が掲げてあるという。
弓を構える人たちが、それを狙う。
縁には、アカンサスの葉と花綱の額が織られている。
絵ではなく、綴織である。
そして、これは一枚では完結しない。

館の記録では、これは「リュカの月々」と呼ばれる十二枚組の一枚である。
各月にふさわしい営みを一枚ずつ織り、十二枚で一年になる。
この一枚は五月を受け持ち、五月祭の遊びを見せる。
呼び名の由来も、記録に書かれている。
もとは十六世紀フランドルの綴織の組物で、フランス王家が持っていた。
十七世紀に、画家ルカス・ファン・レイデンの下絵と誤って考えられた。
誤りと分かった今も、「リュカの月々」の名で呼ばれ続けているという。
そして原作の組物は、1797年に焼かれた。
織り込まれた金銀の糸を回収し、財政の穴を埋めるためだったとある。
いま残るのは、ゴブラン工房が十八世紀に織り直した後継たちである。
つまり、この五月には、失われた五月という先代がいる。
綴織の組物は、宮殿の壁のための暦だった。
広間の壁面を、月替わりで、あるいはひと続きに、十二枚が囲む。
織るのに年単位の時間がかかるから、値段も桁違いである。
金銀の糸を惜しまなかったことは、先代の最期が逆説的に証明している。
燃やしてでも取り出す価値の金銀が、布の中に織り込まれていたのである。
ところで、残りの十一か月はどこにあるのだろう。
この館の記録は、それを書いていない。
十二枚そろいの絵は、世界中の美術館に一枚ずつ散らばっている。
今回は、その「一枚だけ来た月たち」を九点集めた。
なぜ一年は、十二枚に分けて描かれてきたのか。
そして、そろいはなぜばらばらになるのか。
十二月は、氷の上にある

こちらは紙の上の月である。
綴織の五月から、およそ百年さかのぼったオランダに移る。
オランダの版画家が、《十二か月》の組物の中で十二月を受け持たせた一枚だ。
画面の上部に、月の名が彫られている。
凍った水路の上を、人々が歩き、そりを押している。
右手には、屋根の高い家と門。
手前では、桶を運ぶ人が氷の上で働く。
下の余白には、ラテン語の詩句が二行彫られている。
冬の仕事と年の終わりを歌う定型である。
月の名も、その脇に添えられている。
絵と、月の名と、詩。
三点セットで一枚になるのが、この時代の月暦版画の型だった。
十二枚を綴じて画帖にもできるし、壁に一枚ずつ貼ることもできる。
買い手が使い方を選べる暦である。
十二月の仕事は、氷の上の仕事である。
桶を運ぶのも、そりを押すのも、凍った水路が道になるからだ。
寒さが、そのまま働き方を決めている。
月の絵は、天気の絵でもあり、仕事の絵でもある。
五月の綴織と、十二月のエッチング。
材質も大きさもまるで違うが、仕組みは同じである。
月に営みを割り当て、十二枚で一年を一周させる。
暦を絵にする発想は、ヨーロッパでは中世の祈祷書の暦絵までさかのぼる。
月ごとの労働を月の名とともに描く伝統が、版画や綴織に流れ込んだと考えられる。
祈祷書では、一月は炉にあたり、六月は草を刈り、九月は葡萄を摘む。
絵を見れば、文字が読めなくても月が分かる。
暦の絵は、もともと読めない人のための暦でもあった。
では、いちばん古い一枚を見よう。

1546年、ドイツの小さな版画である。
農民が三人、右へ向かって歩いていく。
杖をつく者、袋を提げる者、腕を振り上げる者。
頭の上に、名前が彫られている。
読んでみると、二組ある。
左には、聖ファビアヌスの名と、イェンナーの語。
右には、聖マティアスの名と、ホルヌングの語。
イェンナーとホルヌングは、ドイツ語の古い月の呼び名である。
前者が一月、後者が二月にあたる。
つまりこの一枚は、一月と二月の二か月を受け持っている。
聖人の名は、その月に祝日を持つ聖人である。
月の擬人像に、教会の暦が重ねてある。
版面の中央には「年と月の始まり、1546年」という文字も入る。
題が二つあるのが面白い。
《農民の婚礼》、あるいは《十二か月》。
婚礼へ向かう行列の絵として見るか、月の擬人像として見るか。
館の記録は、どちらの題も残している。
おそらく、もとは横長の続き物で、農民の列が延々と歩いていく図だった。
その列に月の名を振れば、行列がそのまま一年になる。
婚礼と暦が、一つの絵で兼ねられている。
題の欄に「あるいは」が入る事情は、題の付け直しの回でも見た。
絵は一つでも、呼び方は時代ごとに増えていく。
月は、ここでは風景ではなく人の姿になっている。
一月は歩く農民であり、五月は祭りであり、十二月は氷の上の仕事である。
月そのものは描けないから、絵はいつも月の中身を描く。