美術史・技法

十二か月の絵は、一枚ずつ旅をする——ゴブラン工房・ベーハム・国貞ほか九点

一年を十二枚で描く、そろいの絵を九点集めた。六点がそろいを離れて来た一枚で、月は七つ来ていた。宮殿の壁の綴織から江戸の絵暦まで、大きさも使い道もまるで違う。焼かれた先代を持つ五月と、暦の字だけが一致した鉢の話も添えた。

五月祭の情景(五月の月より)
ゴブラン製作所《五月祭の情景(五月の月より)》クリーヴランド美術館蔵

五月だけが、掛かっている

横に長い布に、祭りの群衆が織り込まれている。

画面の右手前に、着飾った男女が馬で乗り入れる。

左には、腰を下ろして見物する人々。

奥では、柱のまわりに人が集まっている。

柱の先には、的にする茂みと鳥が掲げてあるという。

弓を構える人たちが、それを狙う。

縁には、アカンサスの葉と花綱の額が織られている。

絵ではなく、綴織である。

そして、これは一枚では完結しない。

五月祭の情景(五月の月より)
ゴブラン工房《五月祭の情景(五月の月より)》1723年から74年。館の記録では、麻の経糸に羊毛と絹の緯糸の綴織。番号は1944.133。クリーヴランド美術館蔵。ゴブラン製作所《五月祭の情景(五月の月より)》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、これは「リュカの月々」と呼ばれる十二枚組の一枚である。

各月にふさわしい営みを一枚ずつ織り、十二枚で一年になる。

この一枚は五月を受け持ち、五月祭の遊びを見せる。

呼び名の由来も、記録に書かれている。

もとは十六世紀フランドルの綴織の組物で、フランス王家が持っていた。

十七世紀に、画家ルカス・ファン・レイデンの下絵と誤って考えられた。

誤りと分かった今も、「リュカの月々」の名で呼ばれ続けているという。

そして原作の組物は、1797年に焼かれた。

織り込まれた金銀の糸を回収し、財政の穴を埋めるためだったとある。

いま残るのは、ゴブラン工房が十八世紀に織り直した後継たちである。

つまり、この五月には、失われた五月という先代がいる。

綴織の組物は、宮殿の壁のための暦だった。

広間の壁面を、月替わりで、あるいはひと続きに、十二枚が囲む。

織るのに年単位の時間がかかるから、値段も桁違いである。

金銀の糸を惜しまなかったことは、先代の最期が逆説的に証明している。

燃やしてでも取り出す価値の金銀が、布の中に織り込まれていたのである。

ところで、残りの十一か月はどこにあるのだろう。

この館の記録は、それを書いていない。

十二枚そろいの絵は、世界中の美術館に一枚ずつ散らばっている。

今回は、その「一枚だけ来た月たち」を九点集めた。

なぜ一年は、十二枚に分けて描かれてきたのか。

そして、そろいはなぜばらばらになるのか。

十二月は、氷の上にある

十二月(十二か月より)
ヤン・ファン・デ・ヴェルデ(二世)《十二月(十二か月より)》1608年から18年。館の記録では、エッチング。番号は1960.143.13。クリーヴランド美術館蔵。ヤン・ファン・デ・ヴェルデ(二世)《十二月(十二か月より)》クリーヴランド美術館蔵

こちらは紙の上の月である。

綴織の五月から、およそ百年さかのぼったオランダに移る。

オランダの版画家が、《十二か月》の組物の中で十二月を受け持たせた一枚だ。

画面の上部に、月の名が彫られている。

凍った水路の上を、人々が歩き、そりを押している。

右手には、屋根の高い家と門。

手前では、桶を運ぶ人が氷の上で働く。

下の余白には、ラテン語の詩句が二行彫られている。

冬の仕事と年の終わりを歌う定型である。

月の名も、その脇に添えられている。

絵と、月の名と、詩。

三点セットで一枚になるのが、この時代の月暦版画の型だった。

十二枚を綴じて画帖にもできるし、壁に一枚ずつ貼ることもできる。

買い手が使い方を選べる暦である。

十二月の仕事は、氷の上の仕事である。

桶を運ぶのも、そりを押すのも、凍った水路が道になるからだ。

寒さが、そのまま働き方を決めている。

月の絵は、天気の絵でもあり、仕事の絵でもある。

五月の綴織と、十二月のエッチング。

材質も大きさもまるで違うが、仕組みは同じである。

月に営みを割り当て、十二枚で一年を一周させる。

暦を絵にする発想は、ヨーロッパでは中世の祈祷書の暦絵までさかのぼる。

月ごとの労働を月の名とともに描く伝統が、版画や綴織に流れ込んだと考えられる。

祈祷書では、一月は炉にあたり、六月は草を刈り、九月は葡萄を摘む。

絵を見れば、文字が読めなくても月が分かる。

暦の絵は、もともと読めない人のための暦でもあった。

では、いちばん古い一枚を見よう。

農民の婚礼、あるいは十二か月
ハンス・ゼーバルト・ベーハム《農民の婚礼、あるいは十二か月》1546年。館の記録では、エングレーヴィング。番号は1950.479。クリーヴランド美術館蔵。ハンス・ゼーバルト・ベーハム《農民の婚礼、あるいは十二か月》クリーヴランド美術館蔵

1546年、ドイツの小さな版画である。

農民が三人、右へ向かって歩いていく。

杖をつく者、袋を提げる者、腕を振り上げる者。

頭の上に、名前が彫られている。

読んでみると、二組ある。

左には、聖ファビアヌスの名と、イェンナーの語。

右には、聖マティアスの名と、ホルヌングの語。

イェンナーとホルヌングは、ドイツ語の古い月の呼び名である。

前者が一月、後者が二月にあたる。

つまりこの一枚は、一月と二月の二か月を受け持っている。

聖人の名は、その月に祝日を持つ聖人である。

月の擬人像に、教会の暦が重ねてある。

版面の中央には「年と月の始まり、1546年」という文字も入る。

題が二つあるのが面白い。

《農民の婚礼》、あるいは《十二か月》。

婚礼へ向かう行列の絵として見るか、月の擬人像として見るか。

館の記録は、どちらの題も残している。

おそらく、もとは横長の続き物で、農民の列が延々と歩いていく図だった。

その列に月の名を振れば、行列がそのまま一年になる。

婚礼と暦が、一つの絵で兼ねられている。

題の欄に「あるいは」が入る事情は、題の付け直しの回でも見た。

絵は一つでも、呼び方は時代ごとに増えていく。

月は、ここでは風景ではなく人の姿になっている。

一月は歩く農民であり、五月は祭りであり、十二月は氷の上の仕事である。

月そのものは描けないから、絵はいつも月の中身を描く。

八月は、売り物の桃である