美術史・技法

酒は写らず、酔いだけが写る——マンテーニャ・馬遠・木米ほか九点

混酒器の内側に描かれた軍船は、酒を注ぐと海を渡りはじめる。酒にまつわる九点を数えると、注がれた酒はどこにも写らず、器と、酔って傾いた体だけが残っていた。鍵の掛かる酒瓶入れから、金継ぎの酒注ぎまで並べる。

黒絵式ディノス(混酒器) 軍船(内側)、英雄の場面(上部)
アンティメネスの画家《黒絵式ディノス(混酒器) 軍船(内側)、英雄の場面(上部)》クリーヴランド美術館蔵

鉢のふちの内側に、軍船が並んでいる

大きな鉢である。

胴はまるくふくらみ、底はとがっていて、そのままでは立たない。

差し渡しは50.8センチ、高さは33.6センチ。

黒く焼かれた肌に、口のまわりだけ赤茶色の帯がある。

その帯に、細い線で人と馬と獣が描かれている。

ふちの上には、獅子と組み合う男、牛の頭の怪物と戦う男。

そして、ふちの内側を一周するように、軍船が並んでいる。

船は、鉢の内側を向いて浮かんでいる。

外から見ただけでは、その船に気づかない。

黒絵式ディノス(混酒器) 軍船(内側)、英雄の場面(上部)
アンティメネスの画家《黒絵式ディノス(混酒器) 軍船と英雄の場面》紀元前520年から515年ごろ。館の記録では、陶。差し渡し50.8センチ。高さ33.6センチ。口の差し渡し34センチ。番号は1971.46。クリーヴランド美術館蔵。アンティメネスの画家《黒絵式ディノス(混酒器) 軍船(内側)、英雄の場面(上部)》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、これは酒の集まりのために作られた器である。

口が大きく開いているのは、中身を取り出しやすくするためだという。

中身は、水で割った葡萄酒である。

香りづけの材料が入ることもあった、と記録は書く。

飲みながら、人々は詩を口ずさみ、神や英雄の物語をたたえた。

器に描かれた図が、その話の糸口になったこともあるだろうという。

そして、記録はこの器の仕掛けを説明する。

鉢が満たされると、内側の船は、暗い酒の面を渡っていくように見える。

古い詩に出てくる、葡萄酒色の海という言い方を借りればそうなる、とある。

つまり、酒そのものが海になる。

酒を注いで初めて完成する絵が、この器には隠されていた。

底がとがっているので、この鉢は自立できない。

もとは別に作った台に載っていたはずだ、と記録は読む。

さて、九点の酒を並べる。

飲む器、注ぐ器、しまう家具、酒場、そして酒の絵。

数えたいことは二つである。

画面に、酒そのものは写るのか。

そして、酒はどんな形で人の手に渡されてきたのか。

樽から直に飲めるのは、神だけである

二点目は、酒槽を囲む人々である。

酒槽のあるバッカス祭
アンドレア・マンテーニャ《酒槽のあるバッカス祭》1470年から80年。館の記録では、エングレーヴィング。紙は30×43.8センチ。番号は1926.260。クリーヴランド美術館蔵。アンドレア・マンテーニャ《酒槽のあるバッカス祭》クリーヴランド美術館蔵

葡萄の蔓を渡した棚の下に、裸の人々が集まっている。

中央には、大きな酒槽が据えられている。

その縁に、豊穣の角を持った男が立つ。

まわりの者たちは、足がもつれ、体をあずけ合っている。

一人は槽の縁に頭を突っ込むようにして、口をつけている。

右手の男は、腹の出た体を支えられながら歩いていく。

地面には、酒器や葉が散らばる。

館の記録では、マンテーニャはイタリアで最初期に銅版画を作った画家である。

浅い舞台の上のように場面を並べる作りは、古代ローマの石棺の浮き彫りへの関心を示すという。

豊穣の角を持って立つのが、酒の神バッカスである。

神だけが正気を保ち、まわりの人間は酔って崩れている、と記録は読む。

豆知識の欄が、この対比を説明している。

当時の哲学者や道徳家は、槽から直に飲むことを戒めたという。

神の堂々とした姿が示すように、そんな強い飲み方に耐えられるのは神だけだからである。

そして、ふつうの人間は1800年代まで、葡萄酒を水で割って飲んでいた、とある。

一点目の混酒器と、この一枚が、そこでつながる。

二千年をへだてて、同じ作法が続いていたことになる。

記録は、版の状態にも触れている。

マンテーニャの版画には、摺りむらの多いものが少なくない。

彫りが浅く、紙にインクが均一に載らなかったためだという。

酔いの場面が、かすれた摺りで残っている。

紙は30×43.8センチと、机の上で広げる大きさである。

版画は同じ図を何枚も配れる。

酒に崩れる人と、崩れない神。

その対比が、複数の紙になって出回った。

絵は、教えの絵にも、楽しみの絵にもなれる。

どちらとして買われたのかは、記録に書かれていない。

樽を、満たしてしまう聖人

三点目は、酒の奇跡である。

葡萄酒の樽を満たす聖レミギウス、(内側)聖レミギウスと燃える麦
スイスの画家《葡萄酒の樽を満たす聖レミギウス》1500年から1505年ごろ。館の記録では、板に油彩と金と白色合金。137.8×77.5センチ。番号は71.33ab。メトロポリタン美術館蔵。スイスの画家《葡萄酒の樽を満たす聖レミギウス、(内側)聖レミギウスと燃える麦》メトロポリタン美術館蔵

金色の柱の間に、赤い衣の聖人が座っている。

頭の後ろには、金の光の輪がある。

その前に、白い布を掛けた卓。

卓の上には、黒っぽい皿と、小さな器がいくつも並ぶ。

右には、白い頭巾の女性が控えている。

そして手前の床に、木の樽が横たわっている。

床は、四角い敷石である。

館の記録では、聖レミギウスが葡萄酒の樽を満たす場面である。

板の内側には、燃える麦を鎮める別の奇跡が描かれているという。

つまりこれは、開き閉めできる板絵の外側にあたる。

聞き手にとって、どちらの奇跡も食べ物と飲み物の話である。

尽きるはずの酒が尽きない。

焼けるはずの麦が焼けない。

蓄えが減らないことが、そのまま奇跡になっている。

館の分類の札にも、葡萄酒の語が入っている。

作者の名は伝わらず、スイスの画家、とだけ記録される。

年代は1500年前後。

この板は、1871年に館が購入した。

美術館の草創期に買われた一枚である。

板は高さ137.8センチ、幅77.5センチ。

九点のなかでいちばん大きい。

聖人の物語は、遠くから見上げるための寸法で作られている。

金と、白い合金も使われていると記録は書く。

光を反射する材料が、酒の奇跡を照らす役だったのだろう。