酒は写らず、酔いだけが写る——マンテーニャ・馬遠・木米ほか九点
混酒器の内側に描かれた軍船は、酒を注ぐと海を渡りはじめる。酒にまつわる九点を数えると、注がれた酒はどこにも写らず、器と、酔って傾いた体だけが残っていた。鍵の掛かる酒瓶入れから、金継ぎの酒注ぎまで並べる。

鉢のふちの内側に、軍船が並んでいる
大きな鉢である。
胴はまるくふくらみ、底はとがっていて、そのままでは立たない。
差し渡しは50.8センチ、高さは33.6センチ。
黒く焼かれた肌に、口のまわりだけ赤茶色の帯がある。
その帯に、細い線で人と馬と獣が描かれている。
ふちの上には、獅子と組み合う男、牛の頭の怪物と戦う男。
そして、ふちの内側を一周するように、軍船が並んでいる。
船は、鉢の内側を向いて浮かんでいる。
外から見ただけでは、その船に気づかない。

館の記録では、これは酒の集まりのために作られた器である。
口が大きく開いているのは、中身を取り出しやすくするためだという。
中身は、水で割った葡萄酒である。
香りづけの材料が入ることもあった、と記録は書く。
飲みながら、人々は詩を口ずさみ、神や英雄の物語をたたえた。
器に描かれた図が、その話の糸口になったこともあるだろうという。
そして、記録はこの器の仕掛けを説明する。
鉢が満たされると、内側の船は、暗い酒の面を渡っていくように見える。
古い詩に出てくる、葡萄酒色の海という言い方を借りればそうなる、とある。
つまり、酒そのものが海になる。
酒を注いで初めて完成する絵が、この器には隠されていた。
底がとがっているので、この鉢は自立できない。
もとは別に作った台に載っていたはずだ、と記録は読む。
さて、九点の酒を並べる。
飲む器、注ぐ器、しまう家具、酒場、そして酒の絵。
数えたいことは二つである。
画面に、酒そのものは写るのか。
そして、酒はどんな形で人の手に渡されてきたのか。
樽から直に飲めるのは、神だけである
二点目は、酒槽を囲む人々である。

葡萄の蔓を渡した棚の下に、裸の人々が集まっている。
中央には、大きな酒槽が据えられている。
その縁に、豊穣の角を持った男が立つ。
まわりの者たちは、足がもつれ、体をあずけ合っている。
一人は槽の縁に頭を突っ込むようにして、口をつけている。
右手の男は、腹の出た体を支えられながら歩いていく。
地面には、酒器や葉が散らばる。
館の記録では、マンテーニャはイタリアで最初期に銅版画を作った画家である。
浅い舞台の上のように場面を並べる作りは、古代ローマの石棺の浮き彫りへの関心を示すという。
豊穣の角を持って立つのが、酒の神バッカスである。
神だけが正気を保ち、まわりの人間は酔って崩れている、と記録は読む。
豆知識の欄が、この対比を説明している。
当時の哲学者や道徳家は、槽から直に飲むことを戒めたという。
神の堂々とした姿が示すように、そんな強い飲み方に耐えられるのは神だけだからである。
そして、ふつうの人間は1800年代まで、葡萄酒を水で割って飲んでいた、とある。
一点目の混酒器と、この一枚が、そこでつながる。
二千年をへだてて、同じ作法が続いていたことになる。
記録は、版の状態にも触れている。
マンテーニャの版画には、摺りむらの多いものが少なくない。
彫りが浅く、紙にインクが均一に載らなかったためだという。
酔いの場面が、かすれた摺りで残っている。
紙は30×43.8センチと、机の上で広げる大きさである。
版画は同じ図を何枚も配れる。
酒に崩れる人と、崩れない神。
その対比が、複数の紙になって出回った。
絵は、教えの絵にも、楽しみの絵にもなれる。
どちらとして買われたのかは、記録に書かれていない。
樽を、満たしてしまう聖人
三点目は、酒の奇跡である。

金色の柱の間に、赤い衣の聖人が座っている。
頭の後ろには、金の光の輪がある。
その前に、白い布を掛けた卓。
卓の上には、黒っぽい皿と、小さな器がいくつも並ぶ。
右には、白い頭巾の女性が控えている。
そして手前の床に、木の樽が横たわっている。
床は、四角い敷石である。
館の記録では、聖レミギウスが葡萄酒の樽を満たす場面である。
板の内側には、燃える麦を鎮める別の奇跡が描かれているという。
つまりこれは、開き閉めできる板絵の外側にあたる。
聞き手にとって、どちらの奇跡も食べ物と飲み物の話である。
尽きるはずの酒が尽きない。
焼けるはずの麦が焼けない。
蓄えが減らないことが、そのまま奇跡になっている。
館の分類の札にも、葡萄酒の語が入っている。
作者の名は伝わらず、スイスの画家、とだけ記録される。
年代は1500年前後。
この板は、1871年に館が購入した。
美術館の草創期に買われた一枚である。
板は高さ137.8センチ、幅77.5センチ。
九点のなかでいちばん大きい。
聖人の物語は、遠くから見上げるための寸法で作られている。
金と、白い合金も使われていると記録は書く。
光を反射する材料が、酒の奇跡を照らす役だったのだろう。