画家を知る

居酒屋と衛兵所を、描き続ける——ダフィット・テニールス

薄暗い室内に、卓と壺と犬。同じ主題を二十年以上描き続けた画家の七点を見る。床に何が置かれているかを追うと、絵の性格がはっきりしてくる。農民画を買ったのは農民ではない。描かれる側と買う側のずれにも触れておきたい。

公現祭を祝う農民たち
ダフィット・テニールス《公現祭を祝う農民たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

板の上の、小さな居酒屋

一枚の小さな板絵から始めたい。

公現祭を祝う農民たち
ダフィット・テニールス《公現祭を祝う農民たち》1635年。油彩・板。縦47.2センチ、横69.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ダフィット・テニールス《公現祭を祝う農民たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

薄暗い室内に、十数人が集まっている。

中央の卓を囲んで、人々が座る。

左に立つ男は、黄色の上着を着て、片手に壺を持つ。

もう片方の手を高く上げている。

卓の上には皿と杯があり、こぼれた液体が光る。

右奥では、男が身を乗り出して騒いでいる。

床には犬が一匹、こちらを見ている。

手前には樽が置かれ、壺が転がる。

天井は低く、太い梁が斜めに走る。

窓は小さく、光は左から差す。

画面のほとんどは、茶と灰である。

一年に一度の、無礼講

題にある祝いは、一月の行事である。

菓子に豆を仕込み、当たった者をその日の王とする。

王が飲むたびに、周囲が声を上げる。

つまり、無礼講の一日である。

黄色の上着の男が、腕を上げているのはそのためだろう。

紙の冠のようなものを頭に載せている。

こうした行事の絵は、当時よく描かれた。

祝いの場面は、群像を描く口実になる。

騒ぐ人、笑う人、寝る人。

さまざまな姿勢を一枚に入れられる。

描いた人について

ダフィット・テニールスは、一六一〇年にアントウェルペンで生まれた。

一六九〇年に没している。

父も画家で、同じ名を持つ。

だから、区別のために子と呼ばれる。

若くして画家組合に加わり、多くの作品を残した。

のちにブリュッセルへ移り、宮廷の仕事に就いた。

大公の絵画収集を管理し、その目録の図版も手がけている。

つまり、画家であり、収集の担当者でもあった。

農民の絵で知られるが、経歴は宮廷寄りである。

そのずれが、この画家を考えるときの手がかりになる。

農民画という商品

農民を描いた絵は、当時よく売れた。

買っていたのは、農民ではない。

町の商人や、富裕な市民である。

つまり、描かれる側と買う側が違う。

この構図は、押さえておきたい。

絵の中の農民は、しばしば滑稽に描かれる。

酔い、騒ぎ、転ぶ。

買い手は、それを笑って見る。

そこには、階層の視線が入っている。

当サイトとしては、絵の巧みさを認めつつ、この点も書いておく。

小さな居酒屋の場面

二枚目は、さらに小さい。

居酒屋の農民たち
ダフィット・テニールス《居酒屋の農民たち》1633年ごろ。油彩・板。縦31.8センチ、横40.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ダフィット・テニールス《居酒屋の農民たち》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦が32センチしかない。

紙の大きさに近い。

室内には、四人ほどの男がいる。

卓を囲み、壺を挟んで向かい合う。

左の男は青緑の上着で、椅子にもたれる。

奥の男は、赤い帽子をかぶり、手を上げている。

右の戸口には、外を向いた人影がある。

床には、長い管の煙管が落ちている。

その先から、細く煙が上がる。

壁の棚には、皿と紙が並ぶ。

煙管という小道具

床の煙管に注目したい。

十七世紀の低地地方では、煙草が普及していた。

新大陸からもたらされた嗜好品である。

居酒屋の絵には、この煙管がしばしば描かれる。

酒と煙草は、当時の享楽の徴だった。

同時に、戒めの意味も持たされた。

煙は消える。

人生も同じだ、という読み方である。

こうした二重の読みは、当時の絵によくある。

楽しげな場面が、教訓としても機能する。

板に描く、ということ

七点のうち五点は、板に描かれている。

支持体が木の板である。

低地地方では、板絵の伝統が長く続いた。

樫の板を薄く挽き、接ぎ合わせて使う。

板は表面が硬く、細かい筆が乗りやすい。

小さな画面に、細部を描き込むのに向いている。

一方で、板は反る。

湿度が変わると、木が動く。

だから、大きな画面には向かない。

七点のうち大きいものが70センチ前後で止まるのは、そのためでもある。

細部を、どこまで描くか

テニールスの絵は、細部が多い。

床の皿、壁の帽子、天井の梁。

いずれも省略されていない。

しかし、近くで見ると筆致は速い。

一つの物を、数回の筆で置いている。

輪郭を描いてから塗るのではない。

明るい色を一筆、暗い色を一筆。

それで壺になる。

離れて見ると、精密に見える。

近づくと、絵具の粒である。

この速さが、多くの作品を残せた理由でもある。

色数の少なさ

七点を通して、色数が少ない。

茶、灰、黄土、鈍い緑。

そこへ、赤と青が点として入る。

赤い帽子、青い上着。

この点の赤と青が、画面の中で目印になる。

全体を抑え、要所だけ色を置く。

暗い室内の絵では、この配分が効く。

色が多いと、暗さが出ない。

色を減らすことで、光の少ない場所が描ける。

技術というより、判断の問題である。

光は、どこから来るか

七点の光源を確かめておきたい。

室内の絵では、いずれも左上から光が差す。

小さな窓、あるいは戸口から入る光である。

その光が、卓の面と人物の顔に当たる。

奥へ行くほど、暗くなる。

床の隅は、ほとんど黒に近い。

この明暗の落差が、狭い室内を深く見せる。

明るい部分は、画面の三分の一もない。

残りは暗がりである。

暗い絵に見えて、実は光の配置がよく計算されている。

暗さは、明るさを見せるための土台である。

二人の顔

三枚目は、人物が大きい。

葡萄酒の杯を持つ二人の農民
ダフィット・テニールス《葡萄酒の杯を持つ二人の農民》1645年ごろ。油彩・板。縦23.2センチ、横18.1センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ダフィット・テニールス《葡萄酒の杯を持つ二人の農民》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

縦が23センチしかない。

手のひらに近い大きさである。

そこに、二人の顔が大きく描かれている。

左の男は、大きな円錐形の帽子をかぶる。

顔は皺だらけで、目を細めて笑う。

右の女性は、白い布を頭に巻く。

こちらは目を見開き、口を開けている。

右下に、透明な杯が見える。

二人は肩を寄せ合っている。

背景は暗い茶で、何も描かれない。