画家を知る

行かずに描いた、南の光——アルベルト・カイプ

イタリアに行かなかったと考えられている画家が、故郷の川と牛をイタリアの夕日で包んだ。銀灰色の初期から黄金の光の円熟期まで、ドルトレヒトをほとんど動かなかったカイプの八点で、風景画とは光の演出であることを確かめる。

ドルトレヒトのマース川
アルベルト・カイプ《ドルトレヒトのマース川》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

朝の川に、金色の雲が浮かぶ

一枚の絵から始めたい。

ドルトレヒトのマース川
アルベルト・カイプ《ドルトレヒトのマース川》1650年ごろ。油彩・画布。縦114.9センチ、横170.2センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルベルト・カイプ《ドルトレヒトのマース川》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

大きな画面である。縦114.9センチ、横170.2センチ。

美術館の壁で、人の背丈に迫る堂々とした絵だ。

広い川の上に、朝が来ている。

画面の右に、大きな帆船が浮かぶ。帆はたたまれ、マストが空へ高く伸びる。

船べりには人が鈴なりである。小舟が何艘も寄り、人々が次々と乗り込もうとしている。

オールを立てた漕ぎ手がいる。小さな帆が朝の光を受けて、白く輝く。

水面は鏡のように静かだ。大船の影が、ほとんど揺れずに水に映っている。

視点は低く、ほとんど水面の高さにある。

見る者も小舟に乗って、この朝の川に浮かんでいるかのようだ。

そして、空を見てほしい。

金色の雲が、幾重にも層をなして浮かんでいる。

画面の半分以上が、この空に割かれている。

低い太陽の光が、雲の腹を下から照らす。雲の縁は白く、影の側は蜂蜜色に染まる。

画面の左奥には、街のシルエットが低く横たわる。教会の塔、風車、家々の屋根。

塔と風車の形が、水平線の上に細かく描き分けられている。

オランダの川の街、ドルトレヒトである。

劇的な事件は、何も起きていない。人々はただ、船に乗り込んでいるだけである。

それなのに、画面は祝祭のように輝いている。

理由は光にある。ありふれた朝の乗船が、金色の光で特別な時間に変わっている。

所蔵館の記録によれば、右手前の船の側板に「A.cuyp」の署名がある。

アルベルト・カイプ。故郷の川とこの金色の光を、生涯描き続けた画家である。

大きな川、帆船、家畜、そして低い太陽。これがカイプの代表的な画題だった。

ただし、この光には一つ、奇妙な事情がある。本稿はその話をしたい。

ドルトレヒトという、川の街

カイプは1620年、ドルトレヒトに生まれた。

そして1691年、同じ街で没した。71年の生涯である。

ドルトレヒトは、マース川の流れに囲まれた水運の街である。

オランダでも指折りの古い都市だった。

17世紀のオランダは、海運と商業で急速に富んだ。

市民が自分の家の壁のために絵を買う。そういう市場が育った時代である。

川は港であり、街道であり、富の通り道だった。

内陸から下る船も、海から上る船も、この街の前を通った。

冒頭の絵に浮かぶ帆船は、その繁栄の姿にほかならない。

カイプは、この川を見て育った。

朝の川も、夕方の川も、霧の川も、毎日目の前にあった。

父ヤーコプ・カイプも画家だった。肖像画を手がけた人である。

アルベルトは、この父の工房で絵を学んだと考えられている。

カイプ家は、ドルトレヒトの有力な市民だった。

つまりアルベルトは、絵の技術と街での地位を、同時に受け継ぐ立場にいた。

そしてアルベルトは、生涯この街を拠点にした。

川と船と家畜と空。カイプが生涯描く素材は、すべてこの街の日常の中にあった。

国内を旅した形跡はある。だが、外国に出た記録は知られていない。

生まれた街で学び、描き、暮らし、そして死んだ。

行動の範囲だけを見れば、きわめて地元的な画家である。

つまり、イタリアには一度も行かなかったと考えられている。

この事実を、まず覚えておいてほしい。あとで効いてくる。

出発点の色は、金色ではなかった

若い日のカイプの絵を見よう。

子どもたちと牛
アルベルト・カイプ《子どもたちと牛》1635〜39年。油彩・板。縦43.8センチ、横54.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。アルベルト・カイプ《子どもたちと牛》メトロポリタン美術館蔵

ほぼ正方形に近い、小さな板絵である。

大きな赤茶の牛が、画面の中央にどっしりと立つ。

そのまわりに、三人の子どもたちがいる。犬がいて、羊がいる。

牛の体は大きく、子どもたちの頭は牛の背にも届かない。

子どもと家畜が、同じ地面で寄り添っている。飾らない農村の情景である。

素朴な絵である。光はまだ控えめで、後年のあの輝きはない。

空は曇り、色は褐色を基調にまとめられている。

所蔵館の記録は、制作年を1635年から39年とする。

カイプは十代の半ばから後半。父の工房にいた時代の作と考えられている。

筆はまだ硬く、構図も型どおりである。それが、かえって初々しい。

それでも、注目してよいことがある。

牛と人。後年のカイプを支える主題だけは、すでにここにそろっている。

銀灰色の空気の中で

もう一点、初期の風景を見る。

ドルトレヒトを望む桟橋
アルベルト・カイプ《ドルトレヒトを望む桟橋》1640年代初め。油彩・板。縦44.5センチ、横75.9センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。アルベルト・カイプ《ドルトレヒトを望む桟橋》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

横長の川景色である。

手前の桟橋に、人々が立って話し込んでいる。川には帆船が浮かぶ。

身ぶりは日常のものだ。誰も、絵のこちら側を意識していない。

遠くには、ドルトレヒトの街並みが低く霞む。

注目したいのは色である。画面全体が、銀灰色の空気に包まれている。

空は淡い灰色。水も灰色。帆も建物も、彩度を抑えた土の色でまとめられている。

これは当時のオランダ風景画の主流の色だった。

ヤン・ファン・ホーイェンらが広めた、単色に近い色調である。

湿った北国の空気を、そのまま写したような色だ。

嘘のない、正直な色といってよい。オランダの空は、たしかにこう見える。

だが裏を返せば、地味な色でもある。壁に掛けて、部屋が明るくなる色ではない。

二十歳そこそこのカイプは、まず先行世代の様式を確かに身につけた。

その上で、次の一手を探すことになる。

この系譜を扱った回がある。詳しくは低い地平のファン・ホーイェンへ。

若いカイプは、この淡く湿った色から出発した。

では、あの金色はどこから来たのか。