暮らしと名画

収穫は、刈ったあとを描く——ブルトン・ドービニー・ホーマーほか九点

収穫の情景
ウィンスロー・ホーマー《収穫の情景》1873年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。25.4×61センチ。番号は09.26.6。メトロポリタン美術館蔵。ウィンスロー・ホーマー《収穫の情景》メトロポリタン美術館蔵

横に細長い画面である。

25.4×61センチしかない。

縦が横の半分もない。

画面の下三分の二は、草地である。

草は黄緑で、細かい筆で置かれる。

画面の中央に、木が立つ。

木は大きく、枝が左右へ広がる。

葉は黄と緑で、塊になる。

木の下は、暗い。

その右に、干し草の山がある。

山は丸く、低い。

色は黄土である。

さらに右にも、小さな山がある。

木の左には、小さな人影がある。

人影は白く、点のようである。

奥には、木立が横に続く。

木立の向こうは、明るい。

空は、画面の上端にわずかに見える。

館の札には「風景」とある。

館の記録は、それ以上のことを書いていない。

つまり館は、これを風景として登録している。

題には、収穫という語がある。

しかし人は、ほとんど見えない。

九点のうち、人が点でしかないのは、この一点である。

干し草の山のほうが、人より大きい。

仕事の結果が、仕事をした人より目立つ。

木の影が、山の半分を覆う。

光と影の境が、画面を横に切る。

横に細長い画面が、その境を強める。

縦が横の半分もない形である。

横長の画面は、野の広がりに合う。

空は、上端に細く残るだけである。

地面が、画面のほとんどを占める。

刈られた面の広さが、そのまま見える。

広さが、収穫の量を伝えている。

刈った束を、舟で運ぶ

五点目は、写真である。

刈り束を舟で運び帰る
ピーター・ヘンリー・エマーソン《刈り束を舟で運び帰る》1886年。館の記録では、プラチナ印画。画面は13.6×27.6センチ。番号は1983.206。クリーヴランド美術館蔵。ピーター・ヘンリー・エマーソン《刈り束を舟で運び帰る》クリーヴランド美術館蔵

横長の写真である。

画面は13.6×27.6センチある。

全体が、灰色の階調でできている。

画面の下半分は、水面である。

水は静かで、波がほとんどない。

水面には、舟が映る。

画面の中央に、舟がある。

舟は細長く、平たい。

舟には、束が高く積まれる。

束は黒く、山になる。

舟の後ろに、人が座る。

人は黒い塊として見える。

顔は、判別できない。

手には、棹らしいものがある。

奥には、低い岸が続く。

岸には、木が数本立つ。

木は小さく、遠い。

空は明るく、雲が薄い。

空と水の境が、水平に走る。

館の記録では、この写真家は当時の芝居がかった感傷的な写真に反発した。

より直接で自然な写真を求めたという。

そして館は、この一枚について書いている。

これは、ある地方の湿地に住む人びとを扱った本の四十点の一つである。

題にある語は、刈り取られた湿地の植物の束を指すという。

その束は、乾かして家に貯えられるという。

館の記録は、そう説明している。

つまり収穫したのは、穀物ではない。

屋根を葺くための草である。

九点のうち、食べ物でないものを収穫するのは、この一点である。

舟は、水面すれすれまで沈んでいる。

積んだ量が、そこに表れる。

水面の高さが、重さの目盛りになっている。

館の記録も、その束の名を説明している。

地方の言葉が、題にそのまま使われている。

訳さずに残された語である。

その一語が、場所を示している。

湿地の草は、屋根になる。

食べるためではない収穫が、そこにある。

荷を積んだ驢馬が、道を行く

六点目も、運ぶ場面である。

収穫を持って家路につく
カール・ムーン《収穫を持って家路につく》1937年から43年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。61×76.4センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。カール・ムーン《収穫を持って家路につく》スミソニアン協会蔵

横長の画面である。

61×76.4センチある。

画面の下半分は、乾いた土である。

土は黄土色で、低い草がまばらに生える。

草は青緑で、丸い塊である。

画面の中央に、驢馬が二頭いる。

驢馬は褐色と灰である。

背には、大きな袋が載る。

袋は黄土色で、膨らむ。

袋は左右に振り分けられる。

先頭の驢馬には、子どもが乗る。

子どもは白い上着を着る。

二頭目にも、人が乗る。

その人は、赤い布を巻く。

右のほうに、もう一人立つ。

その人は、赤い衣である。

奥には、平らな台地が横たわる。

台地は紫がかった褐色である。

空は青く、白い雲が並ぶ。

雲は丸く、下端が平らである。

館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。

題には、家路という語がある。

つまり運ぶ先が、示されている。

九点のうち、行き先が題にあるのは、この一点である。

袋の中身は、見えない。

形から、穀物か果実らしいと分かるだけである。

道は、画面の右から左へ続く。

人と獣は、その道の途中にいる。

家は、画面の外にある。

題だけが、その先を示している。

台地は遠く、道は長い。

二頭の歩みは、まだ半ばらしい。

月を待つ夜に、芋を供える

七点目では、収穫は月と結びつく。

芋名月
喜多川歌麿《芋名月》1789年。館の記録では、木版多色摺・紙。23.5×37.5センチ。番号はJP968。メトロポリタン美術館蔵。喜多川歌麿《芋名月》メトロポリタン美術館蔵

横長の版画である。

23.5×37.5センチある。

線は細く、墨だけに近い。

色は、ごく薄い。

画面の右に、小さな家がある。

家は板葺きで、低い。

家の脇に、松が立つ。

松の枝は、外へ広がる。

家の前に、人が二人いる。

一人は立ち、器を持つ。

一人はしゃがむ。

その左に、女がいる。

女は身をかがめ、桶を持つ。

桶は木で、輪が回る。

さらに左には、水の流れがある。

流れは細い曲線で示される。

流れの中に、岩がある。

岩は角ばり、線で囲まれる。

画面の左上には、山がある。

山は薄く、輪郭だけである。

その上の空は、白い。

月は、描かれていない。

館の札には「家」「子どもたち」「月」「丘」「木」がある。

つまり館は、月の図として登録している。

題は、ある月の満月を指す。

その夜に、収穫した芋を供える習わしがある。

しかし画面に、月はない。

九点のうち、題にあるものが見えないのは、この一点である。

画面の中の月については、画面の中の月で扱った。

秋が、籠を抱えた子になる

八点目では、収穫は寓意である。