収穫は、刈ったあとを描く——ブルトン・ドービニー・ホーマーほか九点

横に細長い画面である。
25.4×61センチしかない。
縦が横の半分もない。
画面の下三分の二は、草地である。
草は黄緑で、細かい筆で置かれる。
画面の中央に、木が立つ。
木は大きく、枝が左右へ広がる。
葉は黄と緑で、塊になる。
木の下は、暗い。
その右に、干し草の山がある。
山は丸く、低い。
色は黄土である。
さらに右にも、小さな山がある。
木の左には、小さな人影がある。
人影は白く、点のようである。
奥には、木立が横に続く。
木立の向こうは、明るい。
空は、画面の上端にわずかに見える。
館の札には「風景」とある。
館の記録は、それ以上のことを書いていない。
つまり館は、これを風景として登録している。
題には、収穫という語がある。
しかし人は、ほとんど見えない。
九点のうち、人が点でしかないのは、この一点である。
干し草の山のほうが、人より大きい。
仕事の結果が、仕事をした人より目立つ。
木の影が、山の半分を覆う。
光と影の境が、画面を横に切る。
横に細長い画面が、その境を強める。
縦が横の半分もない形である。
横長の画面は、野の広がりに合う。
空は、上端に細く残るだけである。
地面が、画面のほとんどを占める。
刈られた面の広さが、そのまま見える。
広さが、収穫の量を伝えている。
刈った束を、舟で運ぶ
五点目は、写真である。

横長の写真である。
画面は13.6×27.6センチある。
全体が、灰色の階調でできている。
画面の下半分は、水面である。
水は静かで、波がほとんどない。
水面には、舟が映る。
画面の中央に、舟がある。
舟は細長く、平たい。
舟には、束が高く積まれる。
束は黒く、山になる。
舟の後ろに、人が座る。
人は黒い塊として見える。
顔は、判別できない。
手には、棹らしいものがある。
奥には、低い岸が続く。
岸には、木が数本立つ。
木は小さく、遠い。
空は明るく、雲が薄い。
空と水の境が、水平に走る。
館の記録では、この写真家は当時の芝居がかった感傷的な写真に反発した。
より直接で自然な写真を求めたという。
そして館は、この一枚について書いている。
これは、ある地方の湿地に住む人びとを扱った本の四十点の一つである。
題にある語は、刈り取られた湿地の植物の束を指すという。
その束は、乾かして家に貯えられるという。
館の記録は、そう説明している。
つまり収穫したのは、穀物ではない。
屋根を葺くための草である。
九点のうち、食べ物でないものを収穫するのは、この一点である。
舟は、水面すれすれまで沈んでいる。
積んだ量が、そこに表れる。
水面の高さが、重さの目盛りになっている。
館の記録も、その束の名を説明している。
地方の言葉が、題にそのまま使われている。
訳さずに残された語である。
その一語が、場所を示している。
湿地の草は、屋根になる。
食べるためではない収穫が、そこにある。
荷を積んだ驢馬が、道を行く
六点目も、運ぶ場面である。

横長の画面である。
61×76.4センチある。
画面の下半分は、乾いた土である。
土は黄土色で、低い草がまばらに生える。
草は青緑で、丸い塊である。
画面の中央に、驢馬が二頭いる。
驢馬は褐色と灰である。
背には、大きな袋が載る。
袋は黄土色で、膨らむ。
袋は左右に振り分けられる。
先頭の驢馬には、子どもが乗る。
子どもは白い上着を着る。
二頭目にも、人が乗る。
その人は、赤い布を巻く。
右のほうに、もう一人立つ。
その人は、赤い衣である。
奥には、平らな台地が横たわる。
台地は紫がかった褐色である。
空は青く、白い雲が並ぶ。
雲は丸く、下端が平らである。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題には、家路という語がある。
つまり運ぶ先が、示されている。
九点のうち、行き先が題にあるのは、この一点である。
袋の中身は、見えない。
形から、穀物か果実らしいと分かるだけである。
道は、画面の右から左へ続く。
人と獣は、その道の途中にいる。
家は、画面の外にある。
題だけが、その先を示している。
台地は遠く、道は長い。
二頭の歩みは、まだ半ばらしい。
月を待つ夜に、芋を供える
七点目では、収穫は月と結びつく。

横長の版画である。
23.5×37.5センチある。
線は細く、墨だけに近い。
色は、ごく薄い。
画面の右に、小さな家がある。
家は板葺きで、低い。
家の脇に、松が立つ。
松の枝は、外へ広がる。
家の前に、人が二人いる。
一人は立ち、器を持つ。
一人はしゃがむ。
その左に、女がいる。
女は身をかがめ、桶を持つ。
桶は木で、輪が回る。
さらに左には、水の流れがある。
流れは細い曲線で示される。
流れの中に、岩がある。
岩は角ばり、線で囲まれる。
画面の左上には、山がある。
山は薄く、輪郭だけである。
その上の空は、白い。
月は、描かれていない。
館の札には「家」「子どもたち」「月」「丘」「木」がある。
つまり館は、月の図として登録している。
題は、ある月の満月を指す。
その夜に、収穫した芋を供える習わしがある。
しかし画面に、月はない。
九点のうち、題にあるものが見えないのは、この一点である。
画面の中の月については、画面の中の月で扱った。
秋が、籠を抱えた子になる
八点目では、収穫は寓意である。