美術史・技法

美術館が、作者の欄に入る——兜九点の記録

作者の欄に並ぶ名の数が、点によって違う。三人が並ぶ一点では、名の順と役割の順が対応している。そして、修復した人と美術館自身が作者の欄に入る点もある。名が残る条件を読みたい。十六世紀の様式で、後から作られた一点もある。

兜の補強板
マテウス・フラウエンプライス(父)《兜の補強板》メトロポリタン美術館蔵

作者の欄に、三人の名が並ぶ

兜を九点、記録の欄で並べてみる。

作者の欄に入る名の数が、点によって違う。

一人だけの点が五つ。

二人が並ぶ点が三つ。

そして一点だけ、三人の名が並ぶ。

三人には、それぞれ別の役割が振られている。

甲冑師、蝕刻をする人、そしてもう一人の甲冑師。

一つの兜に、三つの職能が関わったことになる。

館の記録は、その三人を横に並べるだけである。

誰がどこを作ったかは、書かれない。

名の並びと、役割の並びが対応する

美術館の記録では、作者の欄と役割の欄が別に立つ。

そして、二つの欄は同じ順で並ぶ。

一人目の名には一人目の役割が、二人目には二人目が対応する。

これは、読む側にとってありがたい作りである。

名だけが並んでいたら、誰が何をしたか分からない。

役割を添えることで、分業の形が見える。

九点の役割の欄には、四つの語が出てくる。

甲冑師。蝕刻をする人。装飾を担う人。修復した人。

作った人だけでなく、直した人まで同じ欄に入る。

兜の補強板
フラウエンプライス父子、ヨルク・ゾルク(子)《兜の補強板》1549年から1550年。館の記録では、鋼、金。縦14.3センチ、横22.1センチ、奥行き23.2センチ、重さ595グラム。番号は04.3.218。メトロポリタン美術館蔵。マテウス・フラウエンプライス(父)《兜の補強板》メトロポリタン美術館蔵

丸く曲がった鋼の板である。

兜の上に重ねて着ける、補強のための部品だ。

面の全体に、金の彫りが施される。

中央に、翼を持つ小さな人物が座る。

その左右に、葉と巻き髭が広がる。

葉のあいだに、獣の顔が隠れている。

彫りは浅く、線で描くように刻まれる。

金は、彫った溝に埋め込まれている。

左下に、丸い突起が一つ付く。

留め具の頭であろう。

重さは595グラム。九点でいちばん軽い。

板一枚だけの部品だからである。

父と子が、同じ欄に並ぶ

いま見た一点の作者の欄には、同じ姓が二度出てくる。

一人は父、もう一人は子と記される。

館は、名の後ろにその区別を書き添える。

同姓同名の親子が、同じ工房で働いていた。

一つの品に、二代が同時に関わっている。

前の回の記事で、代々続く金工の家を見た。

あちらは、代ごとに一点ずつ作っていた。

こちらは、同じ一点に二代が同時に手を入れている。

継承の形が、二通りあるということだ。

三人目は、姓の違う人である。

役割は蝕刻。表面に模様を彫る仕事だ。

彫りを専門にする人が、外から加わっている。

装飾する人が、別に立つ

九点のうち二点は、作者の欄が二人で、役割が分かれる。

一人は甲冑師、もう一人は装飾を担う人である。

面白いのは、この形がヨーロッパにも日本にもあることだ。

一点はドイツ、アウクスブルクの兜。

もう一点は、日本の筋兜である。

離れた土地で、同じ分業が記録されている。

もっとも、これは館の記録の書き方でもある。

同じ欄の形式で書けば、同じように見える。

実際の工房の作りが同じだったとは限らない。

そこは、記録の側の都合と分けて考える必要がある。

ブルゴネット
デジデリウス・ヘルムシュミット、ヨルク・ジークマン《ブルゴネット》1550年から1555年ごろ。館の記録では、鋼。縦28.6センチ、横22.3センチ、奥行き38.1センチ、重さ2126グラム。番号は25.135.66。メトロポリタン美術館蔵。デジデリウス・ヘルムシュミット《ブルゴネット》メトロポリタン美術館蔵

面の全体が、打ち出しの浮彫で埋まる。

鋼を裏から叩き、表に模様を浮かせている。

頭頂には、小さな人物像が座る。

背をかがめ、両手を膝に置く姿である。

その前後に、渦を巻く葉の帯が走る。

葉のあいだに、人の顔がいくつも現れる。

前庇は前へ大きく張り出す。

後ろの板は、首を覆って下へ伸びる。

金は使われず、鋼の地の色だけである。

技法の欄も、鋼の一語で終わっている。

美術館が、作者の欄に入る

九点のうち一点は、作者の欄の一人目が人名でない。

美術館の甲冑工房、と書かれている。

二人目に、その工房で働いた人の名が続く。

年の欄には、こうある。

1540年から1550年ごろ、頬当ては1932年に作り直された。

つまり、十六世紀の兜に、二十世紀の部品が付いている。

作り直したのは、この美術館自身である。

だから、館が作者の欄に自分の名を書いた。

隠さずに書くという判断である。

美術館は、作品を保管するだけの場所ではない。

欠けた部品を補い、展示できる形に整える。

その手が入ったことを、記録に残している。

ブルゴネット
メトロポリタン美術館甲冑工房、レオナルト・ハインリヒ《ブルゴネット》1540年から1550年ごろ。頬当ては1932年に作り直された。館の記録では、鋼、革。縦30.2センチ、横20.6センチ、奥行き30.5センチ、重さ2251グラム。番号は14.25.556。メトロポリタン美術館蔵。レオナルト・ハインリヒ《ブルゴネット》メトロポリタン美術館蔵

明るい鋼の地が、そのまま見える。

頭頂には、低い櫛が前後に立つ。

櫛の縁は、貝の縁のように波打つ。

同じ波形が、前庇の縁にも繰り返される。

左右には、頬当てが下がる。

内側に、革の裏張りが見えている。

面の下に、細い鋲が等間隔で並ぶ。

前は大きく開き、顔が出る形である。

写真では、細い棒で支えられている。

その棒の影が、頬当ての内側に落ちている。

修復した人が、作者の欄に入る

もう一点、同じ考え方で書かれた記録がある。

日本の兜で、年の欄はこうなっている。

十八世紀、修復は2015年。

作者の欄に入っているのは、修復した人の名である。

十八世紀に作った人の名は、記録にない。

分からないからだ。

分からない欄を空けたまま、分かる名だけを書く。

すると、修復者だけが作者の欄に残る。

これは、記録として正しい。

正しいが、読み方を誤ると混乱する。

作者の欄にある名が、その品を作った人とは限らない。