画家を知る

二十二キロの鉄をつくる——コールマン・ヘルムシュミット

皇帝の腰当て

四点目は、腰から腿を守る部品である。

オーストリア皇帝カール五世のための一対の腿当て
コールマン・ヘルムシュミット《オーストリア皇帝カール五世のための一対の腿当て》1530〜40年ごろ。鋼、金。各長さ22.2センチ、幅23.8センチ。重さは右482グラム、左510グラム。メトロポリタン美術館蔵。コールマン・ヘルムシュミット《オーストリア皇帝カール五世のための一対の腿当て》メトロポリタン美術館蔵

台形に近い形の板が、左右一対ある。

上端に、留め具の金具が付く。

表面には、金色の装飾が広く入っている。

中央には、翼を広げた鷲のような図が見える。

その下に、渦を巻く植物の文様が続く。

縁には、二重の帯が回る。

装飾は、鉄の地に薬品で線を彫り、金を置いたものである。

重さは、片方でおよそ五百グラム。

手に持てば、思ったより軽い。

体全体で二十キロを超えるのは、部品の数が多いからである。

カール五世という注文主

美術館の記録は、この一対を皇帝カール五世のためのものとしている。

カール五世は一五〇〇年に生まれ、一五五八年に没した。

神聖ローマ皇帝であり、スペイン王でもあった。

広大な領域を支配し、各地を移動し続けた人物である。

その皇帝が、アウクスブルクの工房に甲冑を注文していた。

宮廷と工房の関係は、長く続いたと伝えられる。

甲冑は、戦うための道具であると同時に、政治の道具でもある。

儀式や入城の際に着れば、力の表明になる。

金の装飾が入るのは、そのためである。

戦場では、金は不要である。

装飾の主題を読む

腿当ての装飾を、もう少し見たい。

翼のある生き物と、渦巻く植物。

こうした図柄は、当時の甲冑によく使われた。

紋章に由来するものもあれば、単なる意匠もある。

図柄の意味を確定するには、家の紋章の資料が要る。

館の記録に説明がない以上、当方では断定しない。

見えているのは、金の線で描かれた鷲らしき鳥である。

そして、それが左右で対称に配されている。

対称であることは、確かに読み取れる。

装飾は、身体の中心線を意識して組まれている。

組み合わされた一領

五点目は、複数の来歴を持つ。

甲冑
コールマン・ヘルムシュミット《甲冑》1525年ごろ、および後年の補作。鋼、革。総重量およそ21.97キロ。メトロポリタン美術館蔵。喉当て・胴・兜は、それぞれ別の寄贈による。コールマン・ヘルムシュミット《甲冑》メトロポリタン美術館蔵

見た目は、一領の甲冑である。

兜、喉当て、胴、肩、腕、腰。

ひととおりそろって立っている。

しかし記録を読むと、部品ごとに来歴が違う。

喉当ては一九二八年の遺贈。

胴は一九二九年の寄贈。

兜は一九五〇年の寄贈である。

つまり、館に入った時期がばらばらである。

それを組み合わせて、一領として展示している。

これは隠されていない。

記録に、はっきり書かれている。

復元と、記録の誠実さ

こうした組み合わせを、どう考えるか。

甲冑は、部品の集合である。

失われた部品を補わなければ、立たない。

立たなければ、形が伝わらない。

だから、館は補って展示する。

同時に、補ったことを記録に残す。

この二つを同時にやるのが、現在の作法である。

見せることと、記すこと。

どちらか一方では足りない。

当サイトも、その記録に従って書いている。

古い写真で残る一領

六点目は、画像の質が他と違う。

甲冑
コールマン・ヘルムシュミット《甲冑》1515年ごろ、および後年の補作。鋼、金、革。アウクスブルクおよびランツフート。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金、1904年購入。コールマン・ヘルムシュミット《甲冑》メトロポリタン美術館蔵

全身の甲冑が、台の上に立っている。

背景は白い布のようで、皺が見える。

画像は白黒で、粒子が粗い。

近年の撮影ではなく、古い記録写真とみられる。

作品自体は鋼と金でできている。

金の装飾があるはずだが、この画像では色が分からない。

分からないものは、書かない。

見て取れるのは、形である。

胸当てに縦の筋が並び、腰に細長い板が垂れる。

膝と脛も覆われ、足先まである。

全身をほぼ覆う、古い形式の甲冑である。

二つの町の名

この一領の記録には、二つの町が書かれている。

アウクスブルクと、ランツフート。

いずれも南ドイツの甲冑製作地である。

つまり、別の町で作られた部品が混じっている。

甲冑の部品は、町を越えて流通した。

修理や補充のために、他の工房の品が使われる。

刻印を調べれば、どの工房かが分かることもある。

館の記録は、そこまで踏み込んだ結果を示している。

一領の中に、複数の工房の仕事が同居する。

これも、甲冑という道具の性格である。

一九〇四年という受け入れ年

この一領は、一九〇四年に館へ入っている。

今回の九点の中では、もっとも早い。

メトロポリタン美術館が、武具の収集を本格化させた時期にあたる。

以後、一九一三年、一九二六年、一九二八年、一九二九年と続く。

とくに一九二八年から二九年にかけての受け入れが多い。

これは、ある収集家の遺贈によるものである。

館の武具部門を築いた人物の名が、記録に残っている。

一人の収集と、その死後の遺贈が、いまの陳列を作っている。

受け入れ番号の読み方については、
受け入れ番号を読むでも書いた。

内側に何を着るか

甲冑は、地肌の上に着るものではない。

内側には、厚い詰め物の入った衣を着る。

肩や肘には、当て布を重ねる。

鎖帷子で隙間を守ることもある。

今回の一領にも、鎖の袖が記録されている。

鎖の輪の直径まで、記録に書かれている。

外側の八ミリ、内側の五ミリ弱。

そんな細かい数字まで採られている。

甲冑の研究では、こうした寸法が重要になる。

輪の大きさや作り方で、産地と年代が推定できるからである。

見た目には同じ鎖でも、中身は違う。

甲冑を、どこで見るか

甲冑は、絵とは違う見方が要る。

正面からだけでは分からない。

横から、後ろから、そして内側から見る必要がある。

板の重なりの向きは、横から見ないと分からない。

留め具の位置は、内側にある。

美術館では、たいてい正面向きに立てられている。

見られる角度が限られる。

公開画像も、同じ制約を受ける。

だから、部品だけの写真が貴重になる。

腿当てや兜の単体写真は、細部がよく見える。