同じ森、違う道——ロイスダールとホッベマ
問い——同じ森が、なぜこうも違うのか
ここで問いを立てたい。
ロイスダールにはひとりの弟子がいた。メインデルト・ホッベマである。
1638年、アムステルダムに生まれた。師より十歳ほど年下になる。
生家は裕福ではなかったと伝えられる。絵は、身を立てるための手職でもあった。
若いころロイスダールに学んだことは、記録に残ると伝えられる。師弟関係が文書で裏づけられる、めずらしい例である。
住んだ町も重なる。ロイスダールも後半生は、アムステルダムに移り住んだと伝えられる。
二十代のホッベマの絵には、師の構図をなぞったものが多いと考えられている。ふたりが連れ立って写生に出たとする伝えもある。
ふたりは同じ国の、同じような森を描いた。木、道、水、雲。絵を作る部品は、ほとんど同じである。
それなのに、絵の気分がまるで違う。
師の森は荒れ、枯れ、翳る。弟子の森は晴れ、開け、人が住む。
言いかえれば、師の絵は見る者を立ち止まらせる。弟子の絵は、見る者を中へ歩かせる。
弟子が師を離れるのは、よくある話である。だがここまで気分が裏返る例は、多くない。
同じ部品を使って、なぜこれほど違う絵になるのか。図版を並べて確かめたい。
ここまで師の絵を三点見た。ここからは弟子の五点を追い、最後に師の晩年へ戻る。
秋の色の、明るい道
まず弟子の若描きである。

二十歳ごろの作と考えられる。所蔵館の記録によれば、右下に組み文字の署名がある。
板に描かれた、手ごろな寸法の一枚である。若い画家の売り物として、無理のない大きさだろう。
画面の中央を、明るい砂の道が奥へ抜けていく。
道の両側の木立は、秋の色に染まる。黄と褐色が、暗い緑に混ざって温かい。
木立の切れ目から、遠くの平野が覗く。地平は低く、明るい。道には人の姿がある。
人物は小さいが、風景に呑まれてはいない。道の上にいるかぎり、人には行く先がある。
師の若描きが土の重さなら、弟子の若描きは道の明るさである。
とはいえ、木の描き方には師の影が濃い。幹のうねりも、葉むらの厚みも、習ったとおりに見える。
違うのは光の量である。同じ森を、弟子は少し晴れの日に描いた。
この少しの差が、やがて決定的な差になっていく。
樫の木立を、轍が縫う

1663年の作。二十代半ばの、大きな画布である。
所蔵館の記録によれば、右下に名前を綴った署名と年記がある。若い自信の表れと見てよいだろう。
樫の木立の間を、轍の刻まれた道がうねりながら進む。水たまりが空を映す。
道ばたには農民の姿がある。歩き、立ち止まり、言葉を交わしているように見える。
空は高い。白い積雲が、青地にゆったりと浮かぶ。
画面の半分近くが空である。低い地平の伝統が、弟子の世代にも生きている。
木は茂っているのに、暗くない。葉むらのあちこちに穴があり、光と遠景が抜けている。
ホッベマの森は、風通しがいい。人が迷う森ではなく、人が通る森である。
樫の幹は太く、うねる。師ゆずりの木である。
だがその木の下には、必ず道があり、人がいる。
師の様式を学び切ったうえで、置くものを替える。弟子の独立は、静かに進んだ。
道の絵の、たどり着いた形

1665年。所蔵館の記録によれば、左下に署名と年記がある。
村の道が、画面を斜めに横切って奥へ引いていく。
道沿いには木組みの家々が並ぶ。大きな樫が立ち、旅人が歩く。
家々の壁には木の骨組みが走り、戸口や窓辺に暮らしの気配がある。
風景画というより、村の肖像に近い。
道は乾いて明るく、空は広い。旅人の足取りまで、のんびりして見える。
道と家と木と人。ホッベマが繰り返した部品が、ここに揃っている。
所蔵記録によれば、この絵は十八世紀にはアムステルダムの個人宅にあった。その後、英国の大貴族の家に長くとどまっている。
ホッベマの道の絵では、後世《ミッデルハルニスの並木道》が名高い。ロンドンの所蔵で当サイトにはないが、同じ系統の絵である。
道が奥へ引き、人がその上を行く。この骨組みは、後の時代にも流れ込む。
二百年後のシスレーの道にも、同じ引きの構図が見える。
赤い屋根が、一点だけ燃える

水車小屋は、ホッベマが繰り返し描いた主題である。この絵は、その代表と呼べる一点だろう。
所蔵館の記録によれば、左下に小さな署名がある。年記はなく、1665年ごろの作とされている。
緑の木立の中に、大きな赤い屋根がひとつ燃える。手前には池が広がり、木組みの水車が水を受ける。
屋根の赤は、画面でいちばん強い色である。倒木の白が師の目印なら、屋根の赤は弟子の目印である。
水車は働く建物である。水が落ち、車が回り、粉が挽かれる。
つまりここでは、自然が人の暮らしに組み込まれている。
池の水面は静かで、小屋と木立を映す。師の絵で廃墟を映した水が、ここでは働く建物を映している。
師の絵で、水は岩を嚙んで泡立っていた。弟子の絵で、水は車を回して働く。
同じ水でも、役どころがまったく違う。
水車小屋の絵は、ほかにも何点も残る。買い手に好まれ、注文が続いた主題だったと考えられる。