画家を知る

壁画は消え、習作が残った——ウィリアム・モリス・ハント

ハントが晩年に描いた壁画は、まもなく傷み、覆われて見られなくなった。残ったのは習作と、三十年前に作った馬の浮き彫りである。本人が残したかったものと、実際に残ったもののずれを九点で見る。大きく作られたものほど、先に消えていく。

アナヒタの馬(夜の飛翔)
ウィリアム・モリス・ハント《アナヒタの馬(夜の飛翔)》メトロポリタン美術館蔵

馬が、宙を駆けている

一つの浮き彫りから始めたい。

アナヒタの馬(夜の飛翔)
ウィリアム・モリス・ハント《アナヒタの馬(夜の飛翔)》1848年から50年ごろ、1880年までに鋳造。着色石膏。縦47センチ、横72.4センチ、奥行30.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《アナヒタの馬(夜の飛翔)》メトロポリタン美術館蔵

横長の額の中に、馬が三頭いる。

いずれも前肢を高く上げ、宙を蹴っている。

たてがみが後ろへなびき、尾が長く伸びる。

三頭は重なり合い、奥行きを作っている。

手前の一頭がもっとも高く浮き出し、奥の馬は浅い。

材質は石膏で、色が付けられている。

淡い黄褐色で、金属のようにも見える。

記録によれば、原型の制作は1848年から50年ごろ。

そして鋳造は1880年までとされる。

三十年ほどの隔たりがある。

三十年、あたためられた主題

この時間差には、理由がある。

若い頃に作った馬の群像を、画家は生涯手放さなかった。

そして晩年、その主題を大きな壁画として実現している。

つまり、二十代の着想が五十代で形になった。

さらに、その壁画のための習作が、いくつも残された。

今回の九点には、その習作が含まれている。

順に見ていきたい。

画家について

ウィリアム・モリス・ハントについて、記録から書く。

1824年に生まれ、1879年に没したアメリカの画家である。

若い頃にヨーロッパで学び、フランスの画家たちに影響を受けたと伝えられる。

帰国後は、アメリカ北東部の都市で制作し、教えた。

当時のアメリカに、フランスの新しい絵を紹介した人物として知られる。

つまり彼もまた、教える立場の画家である。

同じ役割を果たした人として、当サイトでは
ヘンライの記事でも似た事情に触れた。

教える画家は、自分の作品より弟子の作品で語られやすい。

ハントの場合も、その傾向がある。

彼が紹介したフランスの絵の影響は、後の世代に広く及んだ。

その一方で、本人の作品はまとめて見る機会が少ない。

今回の九点は、その数少ない機会になる。

泉のそばの少女

二点目は、初期の油彩である。

泉の少女
ウィリアム・モリス・ハント《泉の少女》1852年から54年。油彩・画布。縦116.8センチ、横90.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《泉の少女》メトロポリタン美術館蔵

石壁のそばに、女性が立っている。

白い頭巾をかぶり、灰色がかった上着を着ている。

長い裾のスカートが、床まで落ちている。

右手を壁につき、体をそちらへ傾けている。

顔は伏せられ、こちらからは見えない。

壁には、円形の水受けらしきものが取り付けられている。

その左には、開いた窓がある。

窓の外に、緑の風景と青い空が見える。

室内は暗く、窓の外だけが明るい。

顔を見せない肖像

この絵の人物は、顔を見せていない。

うつむき、頭巾に隠れている。

したがって、これは誰かの肖像ではない。

「水を汲みに来た人」という役柄である。

十九世紀の絵には、こうした人物像が数多くある。

農村の女性、洗濯する人、羊飼い。

特定の個人ではなく、生活の型を示す人物である。

こうした主題は、フランスの画家たちが好んで扱った。

ハントがそこから学んだことは、この一枚からも分かる。

少年と少女

三点目と四点目は、対のように見える。

イタリアの少年
ウィリアム・モリス・ハント《イタリアの少年》1866年か。油彩・画布。縦36.2センチ、横21.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《イタリアの少年》メトロポリタン美術館蔵

細長い画面である。縦36.2センチ、横21.9センチ。

少年が立ち、腕を組んでいる。

黒っぽい上着の下に、赤いシャツが見える。

ズボンは黄土色で、膝のあたりで留められている。

頭には、飾りのついた帽子をかぶる。

顔は正面を向き、目が大きい。

背景は黄土色一色で、何も描かれていない。

イタリアの少女
ウィリアム・モリス・ハント《イタリアの少女》1867年。油彩・画布。縦41.3センチ、横21.3センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《イタリアの少女》メトロポリタン美術館蔵

こちらも細長い。縦41.3センチ、横21.3センチ。

少女が腰かけ、体を横に向けている。

白い頭布をかぶり、白い上衣を着ている。

腰に赤い布を巻き、足元に赤い布が垂れる。

背景は暗く、上部が赤みを帯びている。

顔は横を向き、うつむきぎみである。

民族衣装という主題

この二点は、衣装が主題になっている。

当時のヨーロッパでは、地方の衣装を着た人物像が好まれた。

異国的で、絵になり、しかも親しみやすい。

前の記事でも触れたが、こうした主題には注意が要る。

描かれている人は、実際にその土地の人かもしれない。

一方で、衣装を着せて画室で描いた可能性もある。

いずれにせよ、絵の中の人物は名前を持たない。

「イタリアの少年」「イタリアの少女」と呼ばれるだけである。

肖像画とは、まったく別の扱いである。

細長い画面

この二点の比率にも触れておきたい。

少年の絵は縦横がおよそ一・七対一。

少女の絵は約一・九対一である。

いずれも、人物一人を立たせるための形である。

背景を描く余地がほとんどない。

実際、どちらも背景はほぼ一色で塗られている。

つまり、人物の姿だけを見せる設計になっている。

衣装が主題であれば、これは理にかなっている。

背景に物を置けば、そちらに目が行ってしまう。

対にして並べることも、想定されていたかもしれない。

寸法は少し違うが、扱いはよく似ている。

一方が立ち、一方が座っている点も、対の構成らしい。

赤という色

二点に共通するのは、赤の使い方である。

少年の絵では、上着の下から赤いシャツが覗く。

少女の絵では、腰の布と足元の布が赤い。

いずれも、画面の中で唯一の強い色である。

周囲を黄土色や黒でまとめ、赤を一点だけ置く。

この配色は、絵の骨格を作るのに効く。

視線がまずその赤に向かい、そこから顔へ移る。

十九世紀の人物画では、よく使われた手である。

赤は、少量でも強く働く色だからだ。