画家を知る

速さで、人をつかまえる——ロバート・ヘンライ

雪の面は数回の筆、人影は二、三筆で済まされている。それでも湿り気と動きが伝わる。ロバート・ヘンライは速く描く人だった。都市の風景から子どもの肖像まで、九点に残る速さを見る。速い絵には、描いた手の動いた順序が残る。

ニューヨークの雪
ロバート・ヘンライ《ニューヨークの雪》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

雪の通りを、素早く

一枚の絵から始めたい。

ニューヨークの雪
ロバート・ヘンライ《ニューヨークの雪》1902年。油彩・画布。縦81.3センチ、横65.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《ニューヨークの雪》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

都市の通りである。縦長の画面に、道が奥へ伸びる。

道には雪が積もっている。轍が黒く残っている。

両側に、褐色の建物が高く立つ。

窓が縦横に並び、非常階段らしき鉄の構造が見える。

通りの奥は、白く霞んでいる。

雪雲か、立ちのぼる湯気だろう。

道の上には、馬車と人が点々といる。

雪の白は、一様ではない。

日の当たる面は明るく、轍の跡は灰色に濁っている。

歩道寄りには、踏み荒らされた雪が茶色く見える。

都市の雪は、降った直後から汚れていく。

その汚れ方まで、絵に入っている。

赤い箱のような車が一台、手前寄りに描かれている。

その周りに、黒い人影がいくつも群れている。

顔は描かれていない。形だけの人である。

筆が、速い

この絵で最初に感じるのは、筆の速さである。

雪の面は、白い絵具を数回置いただけに見える。

建物の壁も、褐色を大きく塗り、窓を暗い点で入れている。

人影は、一人につき二、三筆で済まされている。

つまり、細部を詰めていない。

にもかかわらず、雪の湿り気や、人の動きが伝わる。

これは、どこを描き、どこを省くかの判断が的確だからである。

省略は、手抜きとは違う。

何を残せば伝わるかを知っている者にしかできない。

画家について

ロバート・ヘンライについて、記録から書く。

1865年に生まれ、1929年に没したアメリカの画家である。

若い頃にフランスで学び、帰国後は都市の風景と人物を描いた。

そして、教える人としても知られた。

多くの弟子を育て、影響の広い教師だったと伝えられる。

彼の周りに集まった画家たちは、当時の画壇に対して批判的だった。

美化された主題ではなく、目の前の街を描こうとした。

その流れの一つの結果が、当サイトでも扱った
ベローズの都市である。

ベローズは、ヘンライの教えを受けた一人とされる。

速く描くという方法

ヘンライの絵は、速く描かれたものが多い。

これは技術の問題だけではなく、考え方の問題でもある。

対象を長く見つめて、細部を積み上げていく描き方がある。

一方、最初に受けた印象を、そのまま画面に置く描き方もある。

後者では、迷う前に手を動かすことが求められる。

絵具は厚く、筆跡は残り、輪郭は曖昧になる。

その代わり、対象を見た瞬間の勢いが残る。

彼が教えたのも、この方向だったと伝えられる。

正確さより、生気を優先する。

白い衣の女性

二枚目は、正反対に見える絵である。

白衣の若い女性
ロバート・ヘンライ《白衣の若い女性》1904年。油彩・画布。縦198.8センチ、横96.8センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《白衣の若い女性》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

大きな縦長の画面である。縦198.8センチ。人の背丈を超える。

女性が一人、立っている。

白い長い衣を着て、裾が床に広がっている。

肩から胸元にかけて、布が緩やかに垂れる。

顔は横を向き、少しうつむいている。

髪は結い上げられ、飾りが載っている。

背景は暗い褐色で、何も描かれていない。

白い衣だけが、闇の中に浮かび上がっている。

白を、白で描かない

この絵の見どころは、白の扱いである。

衣の白は、一色ではない。

光の当たる面は、ほとんど純白に近い。

影の面は、灰色や黄色や薄い青を帯びている。

襞の奥は、褐色に沈んでいる。

つまり、白い布の中に何色も入っている。

それらが混ざらずに置かれ、離れて見ると白く見える。

暗い背景に白を置く構図は、肖像画の定石である。

当サイトでも
サージェントの肖像で、
同じ形式を扱った。

依頼主の姿を、闇の中に立たせる。

大きな肖像の意味

縦198.8センチという寸法についても考えたい。

これは、実物大かそれ以上ということである。

見る人は、絵の前に立つと、描かれた人物と目線が近くなる。

小さな肖像なら、こちらが見下ろす形になる。

等身大の肖像は、対等か、やや見上げる関係を作る。

十九世紀の肖像画で全身の大画面が好まれたのは、そのためでもある。

依頼した人にとって、絵は社会的な存在の表明だった。

家の広間に等身大の姿を掛ける。それ自体が意味を持つ。

つまり、寸法は絵の内容の一部である。

九点の中でこの寸法が二点だけなのも、そう考えると納得がいく。

大きな絵は、それを掛けられる家からしか注文が来ない。

顔を、横に向ける

《白衣の若い女性》の顔は、こちらを向いていない。

横を向き、視線は画面の外へ流れている。

肖像画で正面を避けるのは、一つの選択である。

正面を向けば、絵と見る人が向き合う関係になる。

横を向けば、見る人は一方的に眺める立場になる。

後者では、人物は「見られる姿」として提示される。

白い衣の質感を見せたいなら、この向きのほうが都合がよい。

顔が主張しすぎず、布に目が行くからである。

そう考えると、この絵の主題は人物というより衣かもしれない。

もっとも、そこまで割り切って作られたとは限らない。

黒い衣の女性

三枚目も、同じ形式の全身像である。

イーディス・レイノルズ
ロバート・ヘンライ《イーディス・レイノルズ》1908年。油彩・画布。縦196センチ、横96.3センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《イーディス・レイノルズ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらは黒である。

女性が黒い衣を着て、立っている。

肩は出ており、胸元が開いている。

腕は体の前で組まれ、手首に細い飾りが見える。

顔はこちらを向き、まっすぐ見返してくる。

背景は、衣とほとんど同じ暗さである。

そのため、体の輪郭がところどころ闇に溶けている。

はっきり見えるのは、顔と、肩と、腕だけである。

二枚を並べる

《白衣の若い女性》と、この一枚を並べてみたい。

寸法はほぼ同じである。縦は198.8センチと196センチ。

構図も同じで、暗い背景に人物が一人立つ。

違うのは、衣の色だけである。

白い衣では、体の形がはっきり出る。

布の襞が光を受け、体の位置が読み取れる。

黒い衣では、形が背景に溶ける。

見えるのは顔と手だけになり、視線がそこへ集中する。

同じ形式でも、色一つで見え方がまったく変わる。

手を、どう置くか

この二枚では、手の扱いも違う。

白い衣の女性は、両手を体の前で軽く合わせている。

黒い衣の女性は、腕を組むように前で交差させている。

手は、顔に次いで表情を持つ部分である。

握れば緊張が、開けばくつろぎが伝わる。

肖像画では、手の位置に必ず意図が入る。

しかも手は、描くのが難しい。

指が五本あり、関節が多く、角度で形が大きく変わる。

そのため、布の中に隠す構図も昔から多い。

ヘンライはどちらの絵でも、手をきちんと見せている。

ただし描き込みは顔ほど詳しくない。

形を押さえたら、あとは光の当たり方だけで済ませている。

ここにも、力の配分の判断がある。

背景を、塗らないこと

三枚の肖像に共通して、背景には何もない。

家具も、窓も、風景も描かれていない。

十九世紀の肖像画には、背景に室内を描く例も多かった。

持ち物や部屋を見せることで、身分や趣味を伝えるためである。

それをすべて省くと、残るのは顔と姿だけになる。

情報は減るが、そのぶん人物に集中できる。

ヘンライがこの方針を取ったのは、教えの内容とも重なる。

余計なものを描かず、対象そのものをつかむ。

背景の暗さは、その方針の現れでもある。

夫婦の肖像

四枚目と五枚目は、対の肖像である。

ジョージ・コットン・スミス
ロバート・ヘンライ《ジョージ・コットン・スミス》1908年。油彩・画布。縦81.3センチ、横66センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《ジョージ・コットン・スミス》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

年配の男性である。胸から上が描かれている。

白い髭を長く伸ばし、髪も白い。

黒い上着を着て、白い襟が覗く。

背景は暗く、何も描かれていない。

顔には光が当たり、額と鼻筋が明るい。

目は落ち窪み、まぶたが重い。

エリザベス・ヴァージニア・レイニング・ブラドナー・スミス(ジョージ・コットン・スミス夫人)
ロバート・ヘンライ《エリザベス・ヴァージニア・レイニング・ブラドナー・スミス(ジョージ・コットン・スミス夫人)》1908年。油彩・画布。縦81.3センチ、横66センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《エリザベス・ヴァージニア・レイニング・ブラドナー・スミス(ジョージ・コットン・スミス夫人)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

こちらは年配の女性である。

白髪を後ろにまとめ、黒い衣を着ている。

襟元に白いレースが覗き、そこに小さな飾りが留まる。

顔は正面に近い角度で、こちらを見ている。

背景はやはり暗い。

寸法は男性の絵と同じで、縦81.3センチ、横66センチ。

同じ年に、同じ大きさで、対として描かれている。

老いを、そのまま

この二枚で目を引くのは、顔の描き方である。

皺も、たるみも、隠されていない。

男性の目の下には深い影があり、頬がこけている。

女性の口元にも、細かい皺が刻まれている。

肖像画には、しばしば美化がつきまとう。

依頼主を実際より若く、整えて描くことがある。

この二枚には、その気配が薄い。

年齢をそのまま画面に置いている。

とはいえ、冷たい絵ではない。

光の当て方が柔らかく、顔がやさしく浮かんでいる。

対の肖像という形式

夫婦を別々の画面に描く形式は、長く使われてきた。

当サイトでも
アングルのルブラン夫妻で扱った。

二枚を並べて掛けることが前提の作り方である。

このスミス夫妻の二枚も、同じ設計に見える。

寸法がそろい、背景の暗さもそろっている。

ただしアングルの例と違い、二人とも正面に近い角度を向いている。

向かい合わせではなく、並んでこちらを見ている。

家の壁に並べたとき、二人がそろって来客を迎える形になる。

黒い衣を、二度描く

ここまでの絵で、黒い衣が三度出てくる。

《イーディス・レイノルズ》、そしてスミス夫妻の二枚である。

黒は、この時期の肖像画で好んで使われた色だった。

正装の色であり、格式を示す色でもある。

同時に、画家にとっては難物でもある。

黒い面をただ塗れば、絵は穴があいたように見える。

そこでヘンライは、黒の中に他の色を混ぜている。

青みの黒、褐色の黒、緑がかった黒。

近づいて見ると、それらが層になっているのが分かる。

離れて見れば、ただの黒に戻る。

黒を黒く見せるために、黒以外の色を使う。

この矛盾したやり方が、肖像画の技術の一つである。

光を、どこから当てるか

三枚の肖像は、いずれも光が斜め上から来ている。

顔の片側が明るく、反対側が影になる。

額と鼻筋と頬の一部だけが強く光る。

これは画室での照明を再現した描き方である。

高い位置に窓を取り、そこから自然光を入れる。

十九世紀の画室は、たいていそういう作りだった。

北向きの高い窓なら、一日じゅう光の質が変わらない。

安定した光の下で、同じ条件で描き続けられる。

肖像画の伝統的な光は、この設備に由来している。

オランダの村で

六枚目は、旅先の絵である。

フォーレンダムの通り
ロバート・ヘンライ《フォーレンダムの通り》1910年。油彩・画布。縦51センチ、横61.1センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《フォーレンダムの通り》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さな画面である。縦51センチ、横61.1センチ。

村の通りである。左手に建物が並ぶ。

赤い屋根と、黄土色の壁が見える。

その前に、人々が集まっている。

女性たちは白い頭巾をかぶり、暗い色の衣を着ている。

子どもの姿もある。

左奥には、船の帆柱が何本も立っている。

港が近いことが分かる。

空は淡い黄色で、明るい。

地面は白っぽく、光を強く返している。

旅先の絵

十九世紀末から二十世紀初めにかけて、画家たちは旅をした。

オランダの漁村は、そうした行き先の一つだった。

伝統的な衣装を着た人々が暮らし、風景が絵になりやすい。

つまり、画家にとって都合のよい土地だった。

もっとも、これは観光の視線でもある。

その土地の人にとっては、日常の通りにすぎない。

絵を見るときは、その差を意識したほうがよいと思う。

この一枚も、通りの様子を外から眺めた絵である。

人々の顔は、ほとんど描き分けられていない。

子どもの肖像

七枚目は、子どもである。

キャサリン
ロバート・ヘンライ《キャサリン》1913年。油彩・画布。縦61センチ、横51センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《キャサリン》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

胸から上の肖像である。

短い巻き毛の子どもが、こちらを見ている。

頬が赤く、丸い。

首元に、青い布が巻かれている。

上着は灰色がかった白で、大きく描かれている。

背景は褐色と緑で、筆跡が粗く残る。

顔だけが丁寧に描かれ、その他は速い筆で片づけられている。

つまり、力の配分がはっきりしている。

子どもを描く速さ

子どもの肖像は、時間との勝負である。

長時間じっとしていることを期待できない。

だから、速く描く技術が要る。

顔の要点を最初に押さえ、残りは後から回す。

この絵の描き方は、そういう事情とよく合っている。

顔は数十分で決め、上着と背景は自由に扱う。

結果として、顔だけが焦点を結ぶ画面になる。

ヘンライは子どもの肖像を多く残したと記録されている。

速く描く方法が、この主題に向いていたのだろう。

白い毛布の少女

八枚目について、書き方に注意しておきたい。

白い毛布の少女
ロバート・ヘンライ《白い毛布の少女》1917年。油彩・画布。縦81.28センチ、横66.04センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。所蔵館の記録では、先住民の少女を描いたものとされる。ロバート・ヘンライ《白い毛布の少女》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

少女が、白い毛布を頭からかぶって座っている。

毛布は厚く、顔の周りを丸く囲んでいる。

顔は正面を向き、まっすぐこちらを見ている。

頬が赤く、唇が結ばれている。

背景には、赤と黄の織物らしき模様が見える。

白い毛布の面が大きく、そこに光が集まっている。

誰が、誰を描いたか

この一枚については、事情を書いておく必要がある。

記録によれば、ヘンライは晩年に南西部を訪れている。

そこで先住民の人々を描いた作を、数多く残した。

原題には、当時の呼称がそのまま使われている。

当サイトでは、日本語の題を《白い毛布の少女》とした。

原題の語をそのまま訳すと、いまの日本語では不適切になるためである。

ただし、原題を隠すつもりはない。所蔵館の記録に記載のとおりである。

そのうえで確認しておきたいのは、描く側と描かれる側の関係である。

この絵は、外から訪れた画家が、その土地の少女を描いたものだ。

肖像でありながら、名前は記録されていない。

依頼を受けた肖像なら、名前が題になるはずである。

記録としての限界

同じ問題は、当サイトでも
カトリンの記録で扱った。

先住民を描いた十九世紀以降の絵は、記録としての価値を持つ。

同時に、描く側の視線の偏りも抱えている。

その両方を書かずに、絵の美しさだけを語ることはしたくない。

この一枚の画面自体は、静かで、丁寧である。

少女の目には力があり、顔は生き生きしている。

見下ろす調子も、装飾的に扱う調子もない。

そのことは、公平に書いておきたい。

画室の裸婦

最後の一枚を見る。

座る裸婦
ロバート・ヘンライ《座る裸婦》1918年ごろ。油彩・画布。縦81.28センチ、横66.68センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。ロバート・ヘンライ《座る裸婦》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

画室の中である。

女性が布を敷いた台に座り、鏡らしきものを持っている。

髪には飾りが巻かれている。

背景には、緑や紫や褐色の筆跡が乱雑に走る。

奥に、額に入った絵らしきものが見える。

体は淡い桃色で、輪郭は柔らかい。

背景の粗さと、体の滑らかさが対照をなしている。

九点を通して

九点を年代順に並べる。

1902年、1904年、1908年が三点、1910年、1913年、1917年、1918年ごろ。

十六年の幅である。

主題は、都市の風景、全身の肖像、胸像、旅先の通り、子ども、裸婦。

肖像が多いが、風景も入っている。

そして、どの絵も筆が速い。

顔や手など、要点だけを丁寧に描き、他は大きく片づける。

その配分が、一貫している。

速さが残すもの

最後に、速く描くことの意味を考えたい。

丁寧に仕上げた絵は、完成度が高い。

その代わり、描いた時間の長さが画面から消える。

速い絵には、時間が残る。

筆跡の一本ずつが、手の動いた順序を伝える。

見る人は、絵の表面をたどりながら、その順序を追体験する。

ヘンライの絵の前に立つと、いつもそれを感じる。

雪の通りも、白い衣も、子どもの頬も。

描いた手が、まだ動いているように見える。

九点のどれにも、その速さが残っている。

教える人の絵

もう一つ、最後に書いておきたいことがある。

ヘンライは、画家としてよりも教師として語られることが多い。

彼の授業の内容をまとめた本は、いまも読まれているという。

そこでは、技法よりも態度が説かれていると伝えられる。

対象に興味を持つこと、恐れずに手を動かすこと。

そうした言葉が並ぶらしい。

教師の絵は、しばしば弟子の絵に隠れる。

ベローズやほかの弟子たちの名のほうが、先に出てくる。

しかし九点を並べてみると、この人自身の絵も十分に強い。

雪の通りの省略も、黒い衣の層も、子どもの頬の速さも。

教えられる内容が、そのまま画面に出ている。

言葉で説く前に、まず自分の手で示していた人なのだろう。

弟子の絵を見たあとで、この九点に戻ると、それがよく分かる。

教えは言葉より先に、筆の速さとして伝わっていた。

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