画家を知る

壁画は消え、習作が残った——ウィリアム・モリス・ハント

政治家の肖像

五点目は、はっきりした肖像である。

チャールズ・サムナー
ウィリアム・モリス・ハント《チャールズ・サムナー》1875年。油彩・画布。縦55.9センチ、横68.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《チャールズ・サムナー》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。縦55.9センチ、横68.6センチ。

肖像画としては珍しい比率である。

年配の男性が、左を向いて座っている。

顔は横顔に近い。額が広く、髪が乱れている。

黒い上着を着て、白い襟と黒い蝶ネクタイが見える。

背景は赤褐色で、右上が明るく、左下が暗い。

顔には強い光が当たり、輪郭が浮かび上がる。

目は前方を見ている。こちらは見ていない。

横向きの肖像

横長の画面に横顔を置くと、画面に余白ができる。

この絵では、顔の向いている左側が空いている。

視線の先に空間があると、絵に方向が生まれる。

人物が何かを見ている、あるいは考えている感じになる。

正面を向いた肖像とは、印象がかなり違う。

題にある人物は、当時のアメリカの政治家として知られる。

そのため、この構図は「思索する人」を意図した可能性がある。

ただし、注文の経緯を記した資料は確認していない。

赤い背景

この絵の背景の色にも注目したい。

赤褐色が、右上から左下へ濃さを変えている。

肖像画の背景に赤を使うのは、やや珍しい。

多くの場合、褐色や灰色や黒が選ばれる。

赤は強い色なので、人物を圧しかねないからだ。

この絵では、黒い上着との対比で赤が効いている。

黒と赤は、明度の差も色相の差も大きい。

その境目で、人物の輪郭がくっきり立つ。

さらに、顔の肌の色とも呼応している。

肌の赤みが、背景の赤とつながって見える。

計算された配色だと考えてよいだろう。

髪の乱れ

もう一つ、この肖像で目を引くのは髪である。

きれいに整えられていない。

額の上で幾筋かが立ち、こめかみで乱れている。

肖像画では、ふつう髪は整えて描かれる。

依頼主の体面に関わるからである。

それをあえて乱すのは、性格を示すためだろう。

身なりを気にしない人物、という印象を作れる。

あるいは、仕事の途中の姿という設定かもしれない。

小さな部分だが、絵の性格を大きく左右している。

水に立つ人

六点目は、また別の主題である。

水浴する人々
ウィリアム・モリス・ハント《水浴する人々》1877年。油彩・画布。縦96.5センチ、横63.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《水浴する人々》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。

中央に、裸の若者が立っている。

浅い水の中で、両腕を上げている。

顔は上を向き、後ろ姿である。

体の線は明るく、周囲は暗い。

背景は、暗い緑と褐色である。

岩か、木の茂みだろう。

水面には、体の影が映っている。

左下の水面に、もう一人の頭が見える。

逆光の裸体

この絵は、光の扱いが特徴的である。

人物の背中に、上から光が当たっている。

肩と背中と腰の稜線が、明るく光る。

一方、周囲はほとんど闇である。

つまり、体の輪郭だけで形を示している。

この方法だと、細部を描かなくて済む。

筋肉の一つずつを描く必要がない。

明暗の境界線が、そのまま形になる。

屋外の習作

七点目は、風景である。

柳のある砂地、マグノリア
ウィリアム・モリス・ハント《柳のある砂地、マグノリア》1877年。油彩・画布。縦61センチ、横106.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ウィリアム・モリス・ハント《柳のある砂地、マグノリア》メトロポリタン美術館蔵

横に長い画面である。縦61センチ、横106.7センチ。

手前に、赤褐色の砂地が広がる。

その先に、緑の草地がある。

中景に、細い木が数本立っている。

葉は少なく、枝が横に広がる。

右奥に、二つの人影が小さく見える。

さらに奥は、明るい空と水面らしき帯である。

全体に、絵具が薄く塗られている。

砂地の部分では、画布の織目が透けて見える。

仕上げない絵

この一枚は、仕上げられていない。

下塗りの色が、そのまま画面に残っている。

木の葉も、数回の筆で示されるだけである。

つまり、これは屋外での習作だろう。

大きな絵にするための、色と構図の記録である。

十九世紀の画家は、こうした習作を大量に残した。

当サイトでも
ビアスタットの習作で扱った。

仕上げられていない絵には、独特の魅力がある。

決断の途中が、そのまま見えるからである。

板紙と画布

支持体の違いにも触れておきたい。

この風景は画布に描かれている。

一方、後で見る初期の風景は板紙に描かれている。

板紙は軽く、屋外へ持ち出しやすい。

小さな習作には、この材料がよく使われた。

画布は張り替えができ、大きな作にも向く。

つまり、支持体の選択は制作の場所と結びついている。

画室で描いたのか、現場で描いたのか。

材料から、その事情がある程度読める。

もっとも、この横長の一枚も現場で描かれた可能性は高い。

塗りの薄さと、下地が透けている点がその根拠になる。

水浴の主題

《水浴する人々》についても、少し書き足したい。

水辺で体を洗う、あるいは泳ぐ場面は、絵の主題として古い。

神話にも聖書にも、水浴の場面がいくつもある。

十九世紀になると、そこから神話の枠が外れていく。

ただの若者が、ただ水に立っている絵になる。

主題としての格は下がるが、画面としては自由になる。

この一枚の人物にも、物語の手がかりはない。

杖も、冠も、動物も描かれていない。

裸の体と、光と、水があるだけである。

そのぶん、見る人は形そのものに集中できる。