肖像画家が、山で写生する——ダニエル・ハンティントン
岩の隙間を、覗く
四点目は、線が密である。

縦長に使われた一枚である。
画面の中央に、岩の裂け目がある。
左右から、岩の壁が迫る。
その隙間が、上へ細く伸びる。
岩肌には、短い線が斜めに並ぶ。
下部には、木の梯子のような形が見える。
そして、右下に文字と日付がある。
一八七一年と読める。
つまり、現地で日付を書き込んでいる。
日付を、その場で書く
素描に日付を入れる習慣は、実際的である。
一日に何枚も描けば、順序が分からなくなる。
日付があれば、後で並べ替えられる。
そして、その日の天気や光も思い出せる。
八点のうち、日付が確認できるものが複数ある。
いずれも、一八七一年である。
館の題も、その年を採用している。
一方、館の年代欄は一八七〇年ごろとなっている。
題の年と、記録の年がわずかにずれている。
記録のずれ
このずれについて、書いておきたい。
題には一八七一年とある。
年代欄には一八七〇年ごろとある。
おそらく、写生帖全体の年代を一八七〇年ごろとしているのだろう。
そして、個々の頁の書き込みは一八七一年である。
つまり、帖の年代と頁の年代が別に扱われている。
こうしたずれは、公開データにしばしば現れる。
どちらが正しいかではなく、何を指しているかの違いである。
葉だけを、描く
五点目は、主題が小さい。

画面いっぱいに、葉が描かれている。
枝が数本、左右に伸びる。
そこから、切れ込みのある葉が生える。
葉の形は、一枚ずつ違う。
向きも、表と裏が混ざる。
背景は白いままである。
下部に、文字と日付が書かれる。
雨の日、と読めそうな文言もある。
つまり、外へ出られない日の写生かもしれない。
部分を、拡大して描く
風景の写生帖に、葉だけの頁がある。
これは珍しいことではない。
遠景を描くだけでは、絵は作れない。
近景の細部も、記録しておく必要がある。
葉の形、枝の分かれ方、幹の皮。
こうした情報が、後で効く。
大きな風景画の手前には、必ず植物が描かれる。
その形を、正確に知っている必要がある。
地図を、描く
六点目は、絵ではない。

線と文字だけの頁である。
中央に、細い線が上下に走る。
その線から、枝分かれする線が伸びる。
道か、川だろう。
各所に、地名らしき文字が書き込まれる。
丸で囲まれた文字もある。
つまり、簡単な地図である。
写生帖に、地図が描かれている。
写生帖の中身は、絵だけではない
地図の頁は、写生帖の性格をよく示す。
写生帖は、作品を作る場所ではない。
記録し、覚え、計画する場所である。
だから、絵以外のものも入る。
地図、覚え書き、住所、費用の計算。
画家の写生帖には、そうした頁が混ざる。
当サイトの
写生帖の中身でも、この点を書いた。
一冊の帖は、旅の記録でもある。
鉛筆という道具
八点の技法は、いずれも紙に鉛筆である。
黒鉛の芯を木で挟んだ、いまと同じ形の道具である。
十九世紀には、すでに広く普及していた。
芯の硬さも、複数の種類が作られていた。
硬い芯は細く薄い線、柔らかい芯は太く濃い線になる。
八点の線を見ると、比較的硬い芯が使われている。
薄く、細く、均一な線である。
現地で素早く描くには、この硬さが合う。
柔らかい芯は、擦れて汚れやすい。
写生帖には向かない。
帖の大きさ
写生帖の寸法にも触れておきたい。
一頁が縦14センチ、横22.2センチである。
見開きにすれば、横44センチ余りになる。
閉じれば、上着の内側にも入る大きさである。
つまり、歩きながら持てる。
風景の写生帖は、この可搬性が要である。
大きな帖なら情報は多く入るが、重い。
小さければ軽いが、細部が描けない。
この寸法は、その折り合いの結果だろう。
十九世紀の写生帖には、近い寸法のものが多い。
一週間ほどの旅
八点の地名を並べてみたい。
モホンク、ストーム・キング、ウォルトン。
いずれも、ニューヨーク州の北の地域である。
ハドソン川の流域と、その西の山地にあたる。
つまり、限られた範囲を回っている。
日付は、いずれも一八七一年の夏から秋である。
一週間から数週間の旅だろう。
その間に、写生帖を何十枚も埋めている。
八点は、その断片である。
避暑地としてのモホンク
モホンクは、当時から保養地として知られていた。
湖と崖があり、宿泊施設が作られた。
都市の人々が、夏に訪れる。
つまり、この写生は仕事の旅ではない。
避暑の合間に描いたものだろう。
肖像画家にとって、風景は本業ではない。
それでも、旅先で描く。
描くことが、習慣になっている人の記録である。
山を、遠くから描く
七点目は、遠景である。

横に長い見開きである。
中央に、綴じ目の線が見える。
画面の上部に、山の稜線が長く伸びる。
線は薄く、途中で途切れる。
その下に、木立らしき縦の線が並ぶ。
線は細かく、密である。
下部には、長い文言が書き込まれる。
日付も読める。
つまり、この一枚は覚え書きに近い。