美術史・技法

スケッチブックの中身——ベンジャミン・ウエストとトマス・コールの素描

ほとんどのページは、白いまま

まず、幻想を壊しておきたい。

画家のスケッチブックというと、隙間なく描き込まれた紙束を想像しがちである。実際は、そうでもない。

風景習作(スケッチブックより)
《風景習作(スケッチブックより)》1860年ごろ。20.5×27.9センチの紙。右上に、二センチほどの鉛筆の跡がひとつあるだけである。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《風景習作(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

この一枚を見てほしい。

紙のほぼ全面が白い。右上に、小さな鉛筆の跡がある。木立か、岩か、判別しがたい何かである。

これが収蔵品として登録され、番号を与えられ、写真に撮られ、記録が残されている。

作者は彫刻家のジョン・クインシー・アダムズ・ウォード。1860年ごろのスケッチブックの一枚だ。

描きかけて、やめたのだろう。あるいは、その一点だけを確かめたかったのかもしれない。

いずれにせよ、これがスケッチブックの実像に近い。使われないページ、途中でやめたページ、意味の分からない走り書き。

そういうものまで含めて、束ごと美術館に入る。だから収蔵品の点数は膨らむ。

手のひらに収まる、構図の実験

同じスケッチブックには、もっと小さな仕事も入っている。

先住民との条約のための習作(スケッチブックより)
《先住民との条約のための習作(スケッチブックより)》1860年ごろ。7.1×11.1センチ。名刺より小さい紙面に、群像の配置が試されている。ジョン・クインシー・アダムス・ウォード《先住民との条約のための習作(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

縦7センチ、横11センチ。名刺ほどの面積である。

そこに、人物が横一列に並べられている。誰が中央に立ち、誰が坐り、どこに空きを作るか。

彫刻家が浮彫の構図を考えるとき、まずこの大きさで試す。大きく描く必要がないからだ。

構図とは、要素の配置と間隔の問題である。それなら小さいほうが早く、何度でもやり直せる。

小さな下絵で骨格を決め、あとで拡大する。この手順は、時代も地域も越えてほとんど共通している。

同じことを、十九世紀のアメリカの風景画家もやっていた。

《オックスボウ》のための下絵
《〈オックスボウ〉のための下絵》1836年。厚紙に油彩と鉛筆、14×23.8センチ。完成作は縦130.8センチ、横193センチになる。トマス・コール《《オックスボウ》のための下絵》メトロポリタン美術館蔵

トマス・コールのこの下絵と完成作の関係は、別のコラムで詳しく扱っている。

十三分の一ほどの紙で決めた配分が、そのまま二メートルの画面になる。

小さい紙を、大きな画面へ移す

では、小さな下絵をどうやって拡大するのか。

古くから使われてきたのが、方眼を使う方法である。

下絵の上に細かい格子を引く。同じ数の格子を、比率を保ったまま大きな画面にも引く。あとは、格子ひとつ分ずつ写していく。

この格子の跡は、完成作の下から見つかることがある。赤外線で調べると、絵具の下に薄い線が並んでいるのが分かる場合がある。

もうひとつが、実物大の下絵を作る方法である。壁画や大画面では、原寸の紙に輪郭を描き、その線に沿って針で穴を開ける。

紙を壁に当て、穴の上から炭の粉を叩くと、点線が壁に移る。これをたどって描き起こす。

いずれの方法でも、共通する考え方がある。構図を決める作業と、描く作業を分けることだ。

現場で悩まないために、事前に紙の上で悩んでおく。この分業が、大画面の制作を成立させていた。

紙の色が、仕事をする

素描でいちばん見落とされやすいのが、紙そのものである。

羊
《羊》1878年。茶色に染めた紙に、濃い鉛筆と白いグワッシュ。画面はわずか8.9×21.6センチ。ウィンスロー・ホーマー《》メトロポリタン美術館蔵

ウィンズロー・ホーマーのこの小品は、白い紙に描かれていない。

紙はあらかじめ茶色に染められている。そこに、暗い部分を鉛筆で、明るい部分を白い絵具で置く。

つまり中間の明るさは、紙の色がそのまま担当している。

三段階のうち一段階を紙に任せるので、描く手間は半分以下になる。しかも階調が自然につながる。

羊の体は、白いひと刷けである。脚は鉛筆の短い線。それだけで、草を食む群れになっている。

この方法は、ヨーロッパで数百年使われてきた常套手段だった。

男性の肖像
《男性の肖像》1830年ごろ。もとは青みのある紙に、コンテと白チョークで描かれている。トマス・サリー《男性の肖像》メトロポリタン美術館蔵

トマス・サリーのこの一枚も同じ考え方である。地色のある紙に、黒で暗部を、白で明部を置く。

顔だけがしっかり描かれ、上着の肩から下は線が数本引かれただけで止まっている。

肖像画家にとって必要なのは、まず顔の造作である。服は、あとでいくらでも描ける。

だから素描は、途中でやめる。やめた位置に、その画家が何を重要だと考えていたかが出る。

アヴェルヌス湖
《アヴェルヌス湖》1867〜70年ごろ。青い紙に水彩とグワッシュと鉛筆。11.4×24.1センチ。ウィリアム・トロスト・リチャーズ《アヴェルヌス湖》メトロポリタン美術館蔵

ウィリアム・トロスト・リチャーズのこの小さな風景も、青い紙に描かれている。

空の白い雲は、絵具で置いた白である。湖面の水色は、紙の色を透かして使っている。

手のひらに乗る大きさに、湖と山と手前の松が収まっている。