スケッチブックの中身——ベンジャミン・ウエストとトマス・コールの素描
ほとんどのページは、白いまま
まず、幻想を壊しておきたい。
画家のスケッチブックというと、隙間なく描き込まれた紙束を想像しがちである。実際は、そうでもない。

この一枚を見てほしい。
紙のほぼ全面が白い。右上に、小さな鉛筆の跡がある。木立か、岩か、判別しがたい何かである。
これが収蔵品として登録され、番号を与えられ、写真に撮られ、記録が残されている。
作者は彫刻家のジョン・クインシー・アダムズ・ウォード。1860年ごろのスケッチブックの一枚だ。
描きかけて、やめたのだろう。あるいは、その一点だけを確かめたかったのかもしれない。
いずれにせよ、これがスケッチブックの実像に近い。使われないページ、途中でやめたページ、意味の分からない走り書き。
そういうものまで含めて、束ごと美術館に入る。だから収蔵品の点数は膨らむ。
手のひらに収まる、構図の実験
同じスケッチブックには、もっと小さな仕事も入っている。

縦7センチ、横11センチ。名刺ほどの面積である。
そこに、人物が横一列に並べられている。誰が中央に立ち、誰が坐り、どこに空きを作るか。
彫刻家が浮彫の構図を考えるとき、まずこの大きさで試す。大きく描く必要がないからだ。
構図とは、要素の配置と間隔の問題である。それなら小さいほうが早く、何度でもやり直せる。
小さな下絵で骨格を決め、あとで拡大する。この手順は、時代も地域も越えてほとんど共通している。
同じことを、十九世紀のアメリカの風景画家もやっていた。

トマス・コールのこの下絵と完成作の関係は、別のコラムで詳しく扱っている。
十三分の一ほどの紙で決めた配分が、そのまま二メートルの画面になる。
小さい紙を、大きな画面へ移す
では、小さな下絵をどうやって拡大するのか。
古くから使われてきたのが、方眼を使う方法である。
下絵の上に細かい格子を引く。同じ数の格子を、比率を保ったまま大きな画面にも引く。あとは、格子ひとつ分ずつ写していく。
この格子の跡は、完成作の下から見つかることがある。赤外線で調べると、絵具の下に薄い線が並んでいるのが分かる場合がある。
もうひとつが、実物大の下絵を作る方法である。壁画や大画面では、原寸の紙に輪郭を描き、その線に沿って針で穴を開ける。
紙を壁に当て、穴の上から炭の粉を叩くと、点線が壁に移る。これをたどって描き起こす。
いずれの方法でも、共通する考え方がある。構図を決める作業と、描く作業を分けることだ。
現場で悩まないために、事前に紙の上で悩んでおく。この分業が、大画面の制作を成立させていた。
紙の色が、仕事をする
素描でいちばん見落とされやすいのが、紙そのものである。

ウィンズロー・ホーマーのこの小品は、白い紙に描かれていない。
紙はあらかじめ茶色に染められている。そこに、暗い部分を鉛筆で、明るい部分を白い絵具で置く。
つまり中間の明るさは、紙の色がそのまま担当している。
三段階のうち一段階を紙に任せるので、描く手間は半分以下になる。しかも階調が自然につながる。
羊の体は、白いひと刷けである。脚は鉛筆の短い線。それだけで、草を食む群れになっている。
この方法は、ヨーロッパで数百年使われてきた常套手段だった。

トマス・サリーのこの一枚も同じ考え方である。地色のある紙に、黒で暗部を、白で明部を置く。
顔だけがしっかり描かれ、上着の肩から下は線が数本引かれただけで止まっている。
肖像画家にとって必要なのは、まず顔の造作である。服は、あとでいくらでも描ける。
だから素描は、途中でやめる。やめた位置に、その画家が何を重要だと考えていたかが出る。

ウィリアム・トロスト・リチャーズのこの小さな風景も、青い紙に描かれている。
空の白い雲は、絵具で置いた白である。湖面の水色は、紙の色を透かして使っている。
手のひらに乗る大きさに、湖と山と手前の松が収まっている。