作品を知る

鉄は、言葉として現れる——尾形乾山・陳洪綬・セザンヌほか九点

ベルヴューの鳩小屋
ポール・セザンヌ《ベルヴューの鳩小屋》1890年。館の記録では、布に油彩。額なしで65.6×81.5センチ。番号は1936.19。クリーヴランド美術館蔵。ポール・セザンヌ《ベルヴューの鳩小屋》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

額なしで65.6×81.5センチある。

画面は、横に三つの帯に分かれる。

上の帯は、濃い青の空である。

中の帯は、白い建物と緑の木々である。

建物は箱のような形で、窓は小さい。

その左右に、糸杉が細く立つ。

下の帯は、明るい橙色の地面である。

橙は、赤に近いところと黄に近いところがある。

筆の跡は短く、方向がそろっている。

木々の緑は、青と黄が混ざらずに並ぶ。

離れて見ると、一つの緑に見える。

近づくと、別々の色に分かれる。

地面の橙も、同じように作られている。

館の記録では、この絵は三つの水平な面で構成されている。

空の青、塔と農家の白、そして手前の土の焦げた橙。

その橙は、この地方の鉄分の多い土を示しているという。

そして中景には、この画家の好んだ糸杉と橄欖の緑が散らばる。

構成は要点だけに切り詰められ、余分な細部がない。

館の記録は、そう説明している。

つまり地面の橙は、土に含まれる鉄の色である。

絵の具の名にも、鉄の酸化物から作られたものが多い。

赤土も黄土も、もとは鉄である。

つまりこの画家は、鉄の色で鉄の多い土を描いている。

描くものと描く材料が、同じ元素でできている。

九点のうち、その一致があるのはここだけである。

この画家の題と地名については、地名を題にするで扱った。

九点のうち、鉄が土の色として画面にあるのは、この一点である。

鉄の柱が、写真に写る

五点目では、鉄でできた物が写っている。

デリー、クトゥブ・ミナール近くの大アーチと鉄柱、旧デリーの廃墟
サミュエル・ボーン《デリー、クトゥブ・ミナール近くの大アーチと鉄柱、旧デリーの廃墟》1863年から70年。館の記録では、鶏卵紙。番号は2024.5.32。クリーヴランド美術館蔵。サミュエル・ボーン《デリー、クトゥブ・ミナール近くの大アーチと鉄柱、旧デリーの廃墟》クリーヴランド美術館蔵

横長の写真である。

画面の中央に、大きな石のアーチが立つ。

アーチの上部は欠け、空が見える。

その右にも、小さなアーチが二つ続く。

石の表面には、細かい彫りの帯が回る。

彫りは、上から下まで途切れずに続く。

左の端に、細い柱が一本立つ。

柱は円く、上に丸い飾りが載る。

まわりの石造りに比べて、ずっと細い。

これが題にある鉄柱である。

地面は平らで、砂と草である。

奥のほうに、小さな人影がある。

空は白く、何も写っていない。

当時の感光材は、青い光に強く反応した。

だから空は白く飛んでしまう。

雲の形は、ほとんど残っていない。

館の記録では、この画帖の五十点はすべて千八百六十年代に撮られた。

山あいの町から、いくつもの都市へと下っていく構成である。

そして館は、主要な建造物を撮った建築の記録が、二十世紀の修復前の姿を伝える貴重な資料だと書いている。

館の記録は、そう説明している。

写真そのものは、鉄でできていない。

紙と、卵白と、銀である。

鉄は、画面の中の細い柱としてある。

その柱は、千数百年のあいだ錆びずに立っているという。

写真では、表面の様子までは分からない。

細さと、まっすぐさだけが写っている。

九点のうち、鉄でできた物が写されているのは、この一点である。

鉄の柵が、題になる

六点目では、鉄は題にある。

鉄の柵
ラッセル・リムバック《鉄の柵》1927年ごろ。館の記録では、リトグラフ。番号は1927.173。クリーヴランド美術館蔵。ラッセル・リムバック《鉄の柵》クリーヴランド美術館蔵

横長の版画である。

画面の中央から右へ、柵が横切る。

柵は縦の棒が等間隔に並ぶ。

棒の上端は尖り、下端は横木でつながる。

柵の手前には、太い木が一本立つ。

幹は左へ傾き、上のほうで枝が広がる。

枝の影が、地面に長く落ちる。

奥には、大きなアーチの並ぶ建物がある。

アーチの下は暗い。

右のほうに、小さな人影がある。

地面は白く、影だけが黒い。

画面の下には、年と署名が書き込まれている。

署名は筆記体で、右下にある。

年は左下にあり、四桁の数字である。

館の記録は、題と材料しか書いていない。

材料はリトグラフである。

石の上に脂で描き、水と油の反発で刷る。

だからここにも、鉄は使われていない。

鉄は、題にある柵の材質としてある。

しかし画面の柵は、黒い線でできている。

線が鉄に見えるのは、細く硬く、まっすぐだからである。

先に見た鉄線描と、理屈は同じである。

違うのは、こちらが実在の柵を写していることである。

鉄線描のほうは、実在しない線の呼び名だった。

同じ比喩が、片方では物を指し、片方では方法を指す。

鉄の工場が、描かれなかった

七点目では、鉄は画面から消されている。

ニース修道院
ピーター・デ・ウィント《ニース修道院》1840年代ごろ。館の記録では、水彩、黒鉛の下描きの痕跡、掻き落とし。全体は16×23.6センチ。番号は2005.198。クリーヴランド美術館蔵。ピーター・デ・ウィント《ニース修道院》クリーヴランド美術館蔵

横長の小さな水彩である。

全体は16×23.6センチしかない。

画面の右に、石造りの廃墟が立つ。

壁は高く、上端が崩れている。

窓の穴が、いくつも開いている。

その左には、低い木立が横に続く。

木立の下に、小さな人影が数人いる。

手前は、緑と褐色の草地である。

空は白と灰色で、雲が厚い。

色は、どれも土の色に近い。

輪郭の線は、ほとんどない。

広い刷毛で、色を面として置いている。

廃墟の壁だけは、細い筆で窓の穴が入れられている。

そのほかは、輪郭を持たない。

掻き落としの跡が、草地の数か所に白く残る。

館の記録では、この画家は英国の水彩の黄金期の重要な作者の一人である。

広々とした、ありふれて見える風景を、土色の広い刷毛で描くことで知られた。

そして館は、この場所について書いている。

十二世紀初めに建てられた修道院の廃墟である。

しかしこの画家が描いたころには、その周囲を鉄の会社が飲み込んでいた。

銅の製錬と製造が行われていたという。

そして画家は、その変化の跡を描かないことを選んだ。

館の記録は、そう書いている。

つまりここでは、鉄は画面の外にある。

描かれなかったものとして、記録にだけ残っている。

画面を見ただけでは、そこに工場があったとは分からない。

空は白く、煙もない。

館の記録がなければ、静かな廃墟の絵である。

記録が、絵に写っていないものを教えている。

九点のうち、鉄が消された跡として語られるのは、この一点である。