鉄は、言葉として現れる——尾形乾山・陳洪綬・セザンヌほか九点
鉄は、馬の名と人の名になる
最後の二点で、鉄は名前になる。

横長の小さな画面である。
全体は35×45.4センチしかない。
画面の右に、栗色の馬がいる。
前脚を上げ、後ろ脚で立つ。
首をひねり、口を開けている。
たてがみと尾が、風で横へ流れる。
目は白く見開かれている。
足元には、赤や黄の小さな花が咲く。
草は高く、馬の脚の半ばまで届く。
手前の草だけが、一本ずつ描き分けられている。
画面の左奥に、白い煙の帯がある。
その下に、小さな黒い列車がある。
列車は左へ向かって走る。
空には、白い雲が並ぶ。
雲は横に長く、下端が平らである。
列車の煙とは、形がはっきり違う。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題にある鉄の馬とは、蒸気機関車のことである。
つまり画面には、二頭の馬がいる。
本物の馬と、鉄の馬である。
そして本物の馬が、鉄の馬に驚いている。
題は、そのいななきを指している。
列車は小さく、画面の隅にある。
面積で言えば、馬の十分の一もない。
しかし題に選ばれたのは、そちらの馬である。
描かれた大きさと、題の重さが逆になっている。

縦長の肖像である。
73.7×60.9センチある。
胸から上が描かれる。
顔はこちらを向く。
髪は黒く、長く垂れる。
頭の上には、羽根の飾りが二本立つ。
羽根の先には、赤い房が付く。
顔には、赤と黄の線が引かれている。
線は頬から顎へ、縦に下りる。
本数は左右で違う。
胸元には、黄と赤の房飾りが下がる。
肩には、獣の皮の衣がかかる。
皮の縁には、細い切り込みが並ぶ。
左肩には、青い筒状の飾りが下がる。
背景は、灰色がかった緑である。
背景には、何も描かれていない。
地面も空も分かれておらず、一様な色である。
人物だけを見せるための背景である。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題は、その人の名を音で写し、続けて意味を添えている。
意味のほうに、鉄という語が入る。
つまり鉄は、人の呼び名の一部である。
画面の中に、鉄の物はない。
羽根も、房も、皮の衣も、鉄ではない。
角そのものも描かれていない。
この画家の題の付け方については、二つの名前で扱った。
数えてみると
九点を並べ直す。
鉄そのものでできているのは、一点である。
最初のメダルだけである。
鉄が絵の具になっているのは、二点。
焼き物の黒い枝と、地面の橙である。
鉄が線の呼び名なのは、一点。
鉄でできた物が写っているのは、一点。
そして題の中に鉄があるのは、三点である。
柵と、馬と、人の名。
残る一点では、鉄は描かれなかった工場である。
数え方によっては、これも題の外にある鉄である。
題は修道院の名で、鉄という語を含まない。
もう一つ数える。
九点のうち、館の記録の材料の欄に鉄という語があるのは、二点だけである。
メダルと、焼き物の下絵である。
ほかの七点では、鉄は説明文か題の中にある。
さらに数える。
九点のうち、鉄が赤あるいは茶として見えるのは二点である。
メダルの錆と、地面の橙。
黒として見えるのは一点、焼き物の枝だけである。
同じ元素が、量と焼き方で三つの色に分かれている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、鉄が「物としてより、言葉として現れやすい」ということである。
鉄は安く、重く、錆びる。
だから作品そのものになることは少ない。
しかし色としては、赤土と黄土という形で広く使われる。
そして比喩としても使われる。
細くて硬い線を、鉄の線と呼ぶ。
蒸気機関車を、鉄の馬と呼ぶ。
九点のうち六点で、鉄は言葉のほうにあった。
そして言葉のほうの鉄は、どれも硬さと強さを指していた。
細くて折れない線、力の強い機関車、戦士の名。
材料としての鉄が持つ性質が、そのまま比喩になっている。
言えないのは、鉄がつねに黒いという話である。
焼き物の枝は黒かった。
しかし署名の三文字は茶色だった。
地面は橙で、錆は赤茶だった。
同じ酸化鉄でも、量と焼き方で色が変わる。
窯の中で酸素が足りなければ、黒に寄る。
十分にあれば、赤に寄る。
作り手は、その差を使い分けている。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
鉄のメダルは、いま錆の斑に覆われている。
作られたときは、もっと明るい灰色だったはずである。
貴金属で作られていれば、この斑はなかった。
金も銀も、空気の中では変わりにくい。
鉄だけが、置いておくだけで姿を変える。
安い金属を選んだことが、時間の跡を残した。
九点のうち、材料の側から時間が見えるのは、この一枚だけである。
ほかの八点では、材料は時間を語らない。
語るのは、館の記録と題のほうである。









