鳥の名前が書いてある——鍬形蕙斎の画帖
図譜なのに、めでたい取り合わせがある
ところが、図譜としては不思議な点もある。

右に大きな牡丹の花が咲いている。赤い花弁が幾重にも重なる。
その左に鳥が二羽。上の一羽は飛び、下の一羽は枝に止まる。
牡丹と鳥という取り合わせは、中国絵画の定型である。
富貴を表す花と、季節を告げる鳥。めでたい意味を持つ組み合わせだ。
種類を示すだけなら、牡丹は要らない。

こちらは松の古木である。
幹は苔で覆われ、右へ低く枝を伸ばしている。
その枝に、青い鳥が止まっている。長い尾が二本、下へ垂れる。
松と長寿の鳥。これもめでたい組み合わせである。
題名の「寿」の字が、そのまま意味を示している。
つまりこの図譜は、分類のための本でありながら、
めでたい絵としても飾れるように作られている。
情報と装飾が、同じ紙の上に同居している。
売り方の事情もあったと考えられる。
図譜は高い本である。彫りの手間も、色数も多い。
買うのは学者だけではない。裕福な町人や武家も買う。
その人たちが求めるのは、正確さだけではない。
床の間に飾れる絵であること、めでたい取り合わせであること。
需要に合わせて、図譜は装飾を身につけていったのだろう。
図譜の絵師は、他の仕事もしていた
同じ絵師の、まったく違う仕事も見ておきたい。

縦長の小さな版画である。
子どもが三人、身を寄せて立っている。白い衣に色の帯を締めている。
中央の子は肩に長い棒を担ぎ、先に花の飾りが付く。
上の隅から、大人の顔が覗いている。口を開け、目を見開いている。
祭りの行列の場面である。
右下に「北尾政美画」の署名が入る。図譜と同じ絵師の、別名での仕事である。

夜の海である。
画面の上半分は黒く、斜めの線が密に引かれている。雨である。
左上に亡霊が立つ。長刀を構え、白い装束が翻る。
下には舟が一艘。鎧を着けた者が五、六人乗り、船首が右へ突き出す。
波は白い曲線で、舟の下に渦を巻く。
同じ絵師が、静かな鳥の図と、この激しい場面の両方を作っている。
一枚ずつ売られると、組が崩れる
もう一点、収蔵のされ方に触れておきたい。
七点は同じ年に同じ寄贈で入っている。だから組であることが分かる。
しかし一般には、こうした図譜は一枚ずつ市場に流れる。
本を解いて売れば、一枚あたりの値が付き、売りやすくなる。
その結果、組物は世界各地に散る。
いま七点が同じ館に揃っているのは、幸運な例である。
散った一枚だけを見ると、それが本の頁だったことに気づけない。
寸法と年と受け入れ記録を並べて初めて、もとの姿が推定できる。
記録の役目は、そういうところにある。
見立て——名前が、絵を情報に変える
まとめておきたい。
この七点の鳥の図は、絵と情報の境目に立っている。
横向きの姿勢、植物との組み合わせ、隅に書かれた名前。
姿勢と名前は情報のための作法である。
一方で、牡丹や松の取り合わせは装飾のための作法である。
両方を同時に満たすことができたのは、木版という媒体の性格による。
同じ版から何枚も摺れるため、本にも綴じられ、一枚でも飾れる。
図譜の頁を切り離して額に入れる人が現れるのは、そのためである。
いま美術館に一枚ずつ収蔵されているこれらの図も、
もとは本の一部だったと考えられる。
見る形が変わると、絵の意味も変わっていく。
もう一つ、色の話をしておきたい。
七点はいずれも淡い色で摺られている。
濃い赤は牡丹と椿だけ。他は褐色、灰色、薄緑に抑えられている。
図譜では、色は正確さのために使う。誇張すると別の種類に見えてしまう。
役者絵の鮮やかな色とは、色の使い方の目的が違う。
同じ木版の技術でも、目的が変わると色数の設計が変わる。
摺りの技術も見ておきたい。
羽の細かい模様は、細い線を彫って表している。
一方、体の陰は色の濃淡で作られている。
濃淡は、絵具の量と摺る力で調整する。摺師の腕が出るところである。
同じ版木でも、摺る人が変われば仕上がりが変わる。
図譜の場合、この揺れは困る。個体差が種類の違いに見えてしまう。
だから丁寧な摺りが要求される。値段が上がる理由の一つでもある。
図鑑の絵は、写真より役に立つことがある
もう一点、書いておきたい。
写真が普及した後も、図鑑の挿絵は絵で描かれ続けている。
理由は単純である。写真は一個体の一瞬しか写せない。
絵なら、羽の模様を代表的な形に整理できる。
影を消し、姿勢を統一し、見分けに必要な部分を強調できる。
つまり図譜の絵は、対象を写すのではなく、対象を説明している。
蕙斎の鳥が横向きで、影を持たないのは、その説明の作法に従っているからだ。
同じ考え方で植物と鳥を描いた19世紀アメリカの画家については、
別のコラムで扱う。
暮らしへ——見た鳥の名前を、調べてみる
最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。
窓の外や公園で鳥を見たら、名前を調べてみてほしい。
名前が分かると、次に見たときの見え方が変わる。
尾の長さ、嘴の形、腹の色。見分けるための特徴を探すようになる。
これは図譜の作者がやっていたことと同じである。
図譜の絵師も、同じ順序で見ていたはずである。
まず姿を写し、次に名前を確かめ、最後に絵として整える。
そして名前を知ったあとで、もう一度その鳥を眺めてみてほしい。
情報として見る目と、姿として見る目は、切り替えることができる。
版画を飾るときは、図譜の頁のような横長の絵は、目の高さに水平に掛けるとよい。
上下の余白を等しく取ると、標本のような佇まいになる。
名前の書かれた隅を隠さないことも大事である。
マットで名前を覆うと、図譜が装飾に戻ってしまう。
文字を見せるか隠すかで、同じ絵の性格が変わる。
複数枚を並べるなら、同じ組の図を横に連ねるとよい。
寸法が揃っているため、壁の上で一冊の本のように見える。
もともと綴じられていたものを、壁の上で開き直す形になる。







