絵の裏に、もう一枚——エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー
部屋の中の四人
最後の一点は、時期がさらに下る。

ほぼ正方形の画面である。縦120.6センチ、横120.9センチ。
室内である。左に階段があり、赤く塗られている。
床には黄色と赤の縞が走っている。
中央に女性が立ち、青と白の縞の衣を着ている。
右手前の椅子に、男性が腰かけている。
左下にも人物がいて、こちらへ背を向けている。
奥の壁は黄色く、緑の額に入った小さな絵が掛かる。
その下には、動物のような形が並ぶ帯が見える。
色は相変わらず強いが、初期の作とは違う。
面が大きく、平らに塗られている。
輪郭線は残るが、以前ほど荒れていない。
装飾的といってよい画面になっている。
変化を、どう見るか
六点を年代順に並べてみる。
1907年が二点、1909年から10年、1910年、1922年、1928年から29年。
二十年以上の幅がある。
初期の二点は、筆跡が荒く、色がぶつかっている。
1910年の一点も同じ系統だが、構図は整理されている。
1922年の一点になると、面が平らになり、装飾性が増す。
1928年から29年の一点では、線が落ち着き、色数も減る。
大きな流れとしては、荒々しさから整理へ、と言える。
ただし、これを「成熟」と呼ぶかどうかは評価の問題である。
初期の荒さこそが価値だ、という見方も根強い。
作品のその後
キルヒナーの作品には、その後の歴史が重くのしかかる。
1930年代、ドイツでは近代美術への攻撃が強まった。
1937年には、こうした作品を非難する展覧会が開かれている。
彼の作品も、公立館から外された対象に含まれていたと記録されている。
そして翌1938年、彼は没した。
自ら命を絶ったと伝えられている。
作品の評価と、作者の生涯が、こういう形で交差することがある。
いま美術館の壁に並ぶ絵の多くは、一度は排斥された絵である。
そのことは、覚えておいてよいと思う。
正方形という選択
《訪問》の画面が正方形に近いことにも、触れておきたい。
縦120.6センチ、横120.9センチ。差は三ミリしかない。
正方形の画面は、上下も左右も等しいため、方向が生じにくい。
横長なら視線は左右に流れ、縦長なら上下に動く。
正方形では、その誘導が働かない。
だから画家は、画面の中に自分で方向を作らねばならない。
この絵では、床の黄と赤の縞がその役割を果たしている。
縞は左下から右上へ向かい、視線をそちらへ運ぶ。
左の赤い階段も、同じ方向を補強している。
つまり、正方形の中に斜めの流れが仕込まれている。
形式が中立であるほど、構成の腕が問われる。
この一点は、その意味で入念に作られている。
壁に掛かった小さな絵
もう一つ、この絵の細部を挙げておきたい。
奥の壁に、緑の額に入った小さな絵が掛かっている。
中身は緑の四角にしか見えないが、確かに絵として描かれている。
絵の中に絵を描くのは、古くからある仕掛けである。
その部屋がどういう場所かを、一目で示せる。
絵を掛ける部屋は、絵を買う人の部屋である。
そして壁の下部には、動物のような形が並ぶ帯が見える。
装飾の帯か、あるいは別の作品かもしれない。
キルヒナーは家具や壁面にも絵を描いたと伝えられる。
この画面の中の部屋も、そういう空間として構想された可能性がある。
ただし、この帯が何を表すかを当方は確認できていない。
裏側という記録
話を、両面の画布に戻したい。
美術館の記録では、この二組はいずれも一つの物として扱われている。
つまり、表と裏で別々の番号が振られていない場合もある。
当サイトでは、公開されている画像に合わせて、表裏を別の図版として並べた。
そのほうが、両面があることを実感してもらえると考えたからである。
展示の現場では、両面を同時に見せるのは難しい。
壁に掛ければ、片面は必ず隠れる。
ガラスケースに立てて両面を見せる展示もあるが、場所を取る。
だから多くの場合、裏の絵は記録の中にだけ存在する。
見えないほうの絵
裏の絵は、ふだん誰にも見られない。
それでも、確かにそこにある。
同じ布の反対側で、二十年前の建物が緑に塗られている。
この事実を知ってから表の絵を見ると、少し見え方が変わる。
一枚の絵は、一枚の物の片側にすぎない、ということだ。
当サイトが扱う作品にも、同じ事情のものが少なくない。
板絵の両面に絵がある例は、
デューラーの板絵にも見られる。
祭壇画の扉は、開けたときと閉じたときで別の絵になる。
絵は平面だが、物としては厚みがある。
その厚みの向こう側に、もう一枚あるかもしれない。
布が運んだもの
最後に、あの二十年の画布に戻りたい。
若い頃の都市の絵と、晩年に近い山の絵。
その二つが、一枚の布で背中合わせになっている。
画家がそれを意図したかどうかは、分からない。
ただ、結果としてできあがった物は、はっきりしている。
一人の画家の二十年が、一枚の布の厚みに収まっている。
美術館でこの絵を見るとき、たいていは表しか見えない。
けれども、裏にもう一枚あると知っていれば、見え方は違う。
絵の向こう側にも、絵がある。
そう思って見るだけで、平面が少し立体になる。
保存という問題
両面に絵がある画布には、実務上の難しさもある。
ふつう画布は、木枠に張って裏から支える。
裏に絵があると、その支えが絵に触れることになる。
額装も一筋縄ではいかない。片面を隠さずに固定する必要がある。
搬送や保管でも、両面に気を配らねばならない。
温度や湿度の影響も、片面ずつ違う出方をすることがある。
つまり両面の画布は、保存の手間が二倍かかる。
それでも処分されずに残ってきたのは、両面とも価値が認められたからだろう。
初期の一組は、表も裏も1907年の作である。
どちらか一方だけを残す、という判断はできなかったはずだ。
結果として、若い画家が布を節約した痕跡が、そのまま伝わった。
節約は、記録になった。
若い頃の絵の扱い
もう一つ、当方が考えたことを書いておきたい。
画家にとって、若い頃の自分の絵はどういうものだろうか。
売れなかった絵、気に入らなかった絵、いまなら描かない絵。
それを二十年持ち続け、あるとき裏返して使う。
否定でも肯定でもない、独特の距離の取り方に見える。
捨てなかったのだから、切り捨ててはいない。
しかし表を守るために新しい布を買う、ということもしなかった。
過去の絵は、そこにある材料として扱われている。
この扱い方には、どこか健やかなところがあると思う。
自分の過去を、記念碑にも重荷にもしていない。







