大理石は、削るしかない——ロダン・パーマー・エーレトほか九点
粘土は足して直せ、青銅は型から何度でも出せる。大理石は削るだけで、削り残しがそのまま意匠になる。九点を数えると、原型から十七年後に彫られた像、題にあって材料の欄にない天板、光だけを通す透かし格子があった。一方向の作業をめぐる記録である。

白い石が、人の形にまで削られている
細長い小像である。
39.9×11.6×4.9センチしかない。
厚みは五センチもない。
正面から見ると、人の姿である。
横から見ると、板に近い。
頭は楕円で、後ろへ反る。
顔には、鼻だけがある。
目も口も、彫られていない。
首は短く、肩は水平に張る。
腕は胸の前で組まれる。
左腕が上、右腕が下である。
腕の境は、浅い溝で示される。
胸の下には、横の線が一本ある。
腰から下は、まっすぐ落ちる。
膝のあたりに、浅い溝がある。
脚は二本に分かれる。
足先は下へ向き、まっすぐ伸びる。
石の色は、乳白色である。
ところどころ、褐色の染みがある。
染みは面の下から出ているように見える。
塗られたものではない。
土の中で長く置かれた跡らしい。

館の記録では、材料は大理石の一語である。
大理石は、石灰岩が熱と圧力で変わったものである。
粒がそろっていて、どの方向にも割れにくい。
だから細かく削れる。
そして削るしかない。
足すことができない。
削りすぎれば、戻せない。
九点のうち、彫刻の材料としての大理石は五点である。
浮き彫りを別に数えれば、六点になる。
数え方で、答えが一つ動く。
大理石は、削られた分だけの形になる
この一つを出発点に、大理石にまつわる九点を数えていく。
大理石には、二つの顔がある。
一つは、白くて均質な、形を彫るための石である。
もう一つは、色と筋の入った、模様を見せるための石である。
先に言ってしまうと、九点のうち、白い大理石は五点である。
一点では、大理石は色と筋のほうである。
一点では、大理石が写真に写っている。
一点では、大理石が絵に描かれている。
そして一点では、大理石は題にあって材料の欄にない。
つまり九点のうち二点で、大理石は記録の中で位置がずれている。
題にあるか、説明文にあるかの差である。
頭だけが、残っている
二点目は、小さな頭部である。

首から上だけの像である。
全体は14×12.2×8センチしかない。
顔はやや右を向く。
額は広く、眉が張る。
目は細く、瞳が彫り込まれている。
鼻は高く、先が丸い。
頬はこけ、口の脇に皺がある。
口は閉じ、口角が下がる。
顎は小さく、前へ出る。
髪は短い巻き毛である。
巻き毛は額のまわりに並ぶ。
耳は、髪に半分隠れる。
首の切り口は、斜めである。
切り口の面は粗く、削り跡が残る。
後から切り離されたらしい。
石の色は白く、灰色の筋がある。
館の記録では、この二つの大理石の頭部が、もともと何のためのものかは分からない。
館の記録は、そう書いている。
城館の浮き彫りの一部だったか、あるいは墓の彫刻だったかと推測されている。
様式は、ある彫刻家の作を思わせる。
その人は、ある地方で王侯貴族に仕えた著名な彫刻家である。
しかしこの頭部は、その人に近い追随者か、工房の一員が彫ったものかもしれないという。
館の記録は、そう説明している。
つまり作者も、もとの場所も、確かではない。
分かっているのは、材料と大きさだけである。
そして館は、この頭部がもう一つと対をなすと書いている。
二つで一組の彫刻だったことになる。
しかし、何の一部かは分からない。
彫刻の材料の欄については、材料の欄で扱った。
白い胸像が、黒い台に載る
三点目では、二種類の大理石が使われる。

胸から上の像である。
40.5×33×29センチある。
顔は正面を向き、わずかに上を見る。
目は大きく、瞳が深く彫られる。
唇はやや開く。
髪は太い巻き毛で、頭の周りを渦巻く。
巻き毛の一本ずつが、下まで彫り抜かれている。
隙間に、影が入る。
首は太く、傾く。
肩には、布が掛かる。
布は右肩を覆い、左胸で折れる。
胸は裸で、鎖骨が見える。
下端は、水平に切られる。
その下に、黒い台がある。
台は段になって広がる。
黒には、白い筋が走る。
筋は細く、まばらである。
台の段ごとに、筋の向きが変わる。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
材料の欄は、大理石と、斑のある黒大理石の台座である。
つまり同じ石が、二つの役を持つ。
上は形を見せ、下は模様を見せる。
白い像は、光を柔らかく通す。
黒い台は、光を返さない。
九点のうち、白と黒の大理石が同居するのは、この一点である。
台座は、像の一部ではない。
しかし館の記録は、材料の欄に書いている。
像と台を、一つの作品として扱っている。
削り残した部分が、そのまま見える
四点目では、削らなかった部分が意味を持つ。