画家を知る

筆でも窯でも、同じ意匠——尾形乾山

問い——乾山の本業は、絵か、器か

当サイトには、尾形乾山の作品が7点公開されている。

すべてメトロポリタン美術館の所蔵である。

内訳は、肉筆の絵が5点。焼き物の皿が2点。

窯元として立った人の仕事に、絵と器が並んでいる。

そこで問いを立てたい。

乾山の本業は、絵か、器か。

陶工が余技で絵を描いたのか。

それとも絵師が、たまたま窯を持ったのか。

どちらの答えも、この人にはうまく収まらない気がする。

そもそも江戸時代には、絵画と工芸の垣根が今より低かった。

絵師が着物の下絵を描き、蒔絵の意匠を考えることもあった。

それでも乾山ほど、筆と窯を行き来した人は珍しい。

答えを探しに、まず絵の側を見ていく。

歌人の暦を、絵にする

定家詠十二ヶ月花鳥図のうち六月
尾形乾山《定家詠十二ヶ月花鳥図のうち六月》1743年。掛軸。紙に墨と淡彩。縦15.9センチ、横23.2センチ。メトロポリタン美術館蔵。尾形乾山《定家詠十二ヶ月花鳥図のうち六月》メトロポリタン美術館蔵

《定家詠十二ヶ月花鳥図》という連作がある。

もとになったのは、鎌倉時代の歌人、藤原定家の和歌である。

定家は十二の月それぞれに、花と鳥を詠み分けた。

一月には一月の花と鳥、六月には六月の花と鳥がある。

いわば、和歌でできた暦である。

定家は、平安から鎌倉へ移る時代を生きた歌の第一人者である。

その名は、後世の歌人と絵師にとって権威そのものだった。

この歌群は、のちの時代の絵や工芸の画題になった。

月ごとの花と鳥という枠組みが、絵にしやすかったのだろう。

乾山もこの歌に基づき、月ごとの図を描いた。

これはそのうちの六月である。

画面の左に、舟が浮かぶ。舳先で篝火が燃えている。

水面には鵜が泳ぐ。夏の夜の鵜飼である。

鵜飼とは、飼いならした鵜に魚を捕らせる、夏の川漁をいう。

夜の川に火を焚き、その明かりで魚を集める。

篝火の明かりに照らされて、鵜が魚を追う。

古くから歌に詠まれ、絵に描かれてきた夏の風物である。

墨の線は少なく、彩色は淡い。

闇も水音も描かれていないのに、夜の川が立ち上がる。

そして画面の右には、和歌の書がゆったりと添えられている。

やわらかな仮名の連なりが、絵と同じ画面に同居する。

書の墨と絵の墨は、同じ濃さで響き合う。

書もまた、乾山の見せ場である。

四月——垣根の花と、飛ぶ鳥

定家詠十二ヶ月花鳥図のうち四月
尾形乾山《定家詠十二ヶ月花鳥図のうち四月》1743年。掛軸。紙に墨と淡彩。縦16センチ、横22.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。尾形乾山《定家詠十二ヶ月花鳥図のうち四月》メトロポリタン美術館蔵

こちらは四月の図である。

旧暦の四月だから、いまの初夏にあたる。

画面の下に垣根が横たわり、白い卯の花が咲きこぼれる。

垣根の直線と、花の白い点が、画面に律動を作る。

空には時鳥が一羽、翼を広げて飛んでいく。

卯の花と時鳥は、和歌の世界で初夏を告げる取り合わせである。

歌人たちは毎年、時鳥の初音を待ちわびて歌に詠んだ。

定家の歌のとおりに、花と鳥がひとつの画面に収まる。

ここでも和歌の書が、絵と同じ重さで画面を占めている。

縦16センチほどの小さな画面である。

手もとで眺めるための、親密な大きさといってよい。

歌を読み、絵を見て、また歌に戻る。

目が画面を往復するたび、季節が立ち上がる。

絵は歌の挿絵ではなく、歌は絵の説明ではない。

二つが対等に並んで、はじめて一枚が完成する。

書と歌と絵が一体になった、小さな宇宙である。

これこそ乾山の面目だと、当サイトは考える。

なお所蔵館の記録では、二幅の表具の寸法は等しい。

そろいの表具に仕立てられた、連作の二幅ということである。

十二の月を掛け替えて、一年を壁の上でめぐる。

そういう楽しみ方が想像できる仕立てである。

所蔵館の記録は、この二図を1743年の作とする。

乾山が江戸で没した、まさにその年である。

最晩年まで、この人は歌と絵を手放さなかった。

蔦の紅葉、籠の桔梗

蔦の秋
尾形乾山《蔦の秋》1732年以後。画帖を掛軸に改装。紙に墨と彩色。縦21.3センチ、横27.6センチ。メトロポリタン美術館蔵。尾形乾山《蔦の秋》メトロポリタン美術館蔵

《蔦の秋》。紅く色づいた蔦が、つるを伸ばしている。

蔦の紅葉は、和歌では秋の深まりを告げる景物である。

葉の一枚一枚が、単純な形に整えられている。

同じ形の葉が、向きを変えながら繰り返される。

赤の濃淡だけで、季節の移ろいが示される。

ここにも歌が書き込まれ、絵と響き合う。

もとは画帖の一葉で、のちに掛軸に改装されたものである。

帖の頁として眺められた絵が、壁に掛かる絵に変わった。

日本の絵は、こうして形式のあいだを移動することがある。

籠に生けた桔梗
尾形乾山《籠に生けた桔梗》18世紀。掛軸。紙に墨と彩色。縦26センチ、横34センチ。メトロポリタン美術館蔵。尾形乾山《籠に生けた桔梗》メトロポリタン美術館蔵

《籠に生けた桔梗》。編んだ籠に、白と青の花が生けてある。

桔梗は秋の草花の代表である。

星のような五弁の花が、青と白で涼しげに並ぶ。

籠に花を生けるという趣向そのものが、ひとつの意匠である。

籠の網目は、墨の線の繰り返しで描かれている。

線を重ねるだけで、竹の編み目が立体になる。

ここにもまた、歌書きが添えられている。

秋草を愛でる感覚は、琳派の意匠の得意分野でもあった。

蔦も桔梗も、着物や蒔絵の文様として親しまれた植物である。

乾山は、その文様の世界と絵の世界を自由に往復する。

いずれも軽い筆の小品である。大作ではない。

しかし、手もとに置きたくなる親密さがある。

五点の絵のすべてに、書か歌が伴っている。

絵だけで完結させない。それが乾山の絵の癖である。

言葉と形を組み合わせて、ひとつの画面に仕立てる。

その手つきは、絵というより誌面の設計に近い。

やや時代は下るが、京都では詩と絵を重ねる感覚が続いていく。

日本の文人画も、この土壌から出た。

さて、絵は5点を見た。

残るは、焼き物である。