題の末尾に、疑問符がある——ミケル・シトウほかの肖像
誰それの肖像(か)。九点のうち五点の題は、括弧の中の一文字で終わる。名は伝わっているが、確証がない。絵の中に名が書かれていても、疑問符が外れない一点もある。中間の状態を書き残す道具を読みたい。寄贈者の姓が、題の名と同じ一点もある。

題の末尾に、疑問符がある
マッテオ・オリヴィエーリ(か)。
ディエゴ・デ・ゲバラの肖像(か)。
エリアブ・メトカーフ(か)。
九点のうち五点は、題の末尾に疑問符が付く。
括弧の中に、疑問符が一つだけ入る形である。
これは、描かれた人物が誰か確定していないという意味だ。
名は書かれているが、確かではない。
書かないこともできたはずである。
《男の肖像》とすれば、疑問符は要らない。
それでも名を書き、疑問符を添える。
書かなければ、伝わってきた説が消えてしまうからだ。
疑問符は、四つの場所に現れる
九点を見ると、疑問符の位置が四通りに分かれる。
題の末尾。これが五点。
作者の欄の頭。おそらく、という語が付く形が一点。
作者の欄の括弧の中。可能性がある、と書かれる形が一点。
そして、技法の欄の括弧の中。これが一点。
疑問符そのものは記号だが、語で書かれることもある。
おそらく。可能性がある。
意味は近いが、位置と形が違う。
どの欄に、どの形で置かれるか。
その組み合わせで、何が不確かなのかが決まる。

九点でいちばん疑問符の多い一点である。
題に一つ、技法の欄に一つ。
さらに作者の欄には、地名と世紀しかない。
画面には、若い男が真横を向いて立つ。
頭には、鮮やかな朱色の帽をかぶる。
帽は大きく、後ろへ布が垂れる。
髪は帽の下から、耳の上に出る。
衣も朱色で、首もとが黒い。
背景は深い青で、平らである。
下部には、横長の帯がある。
その帯に、金色の文字が並ぶ。
文字は名を記しているように見える。
絵の中に名があるのに、題には疑問符が付く。
絵に書かれた名を、疑う
いま見た一点について、もう少し考えたい。
画面の下に、名らしい文字がある。
それでも館は、題に疑問符を付けている。
理由は書かれていないが、推測はできる。
文字が後から書き加えられた可能性がある。
別の記事では、後の時代に書き足された銘記の例を見た。
四百年後に付けられた名が、絵の一部のように見えることがある。
そうであれば、文字は証拠にならない。
館は、絵の側の文字を無条件に信じない。
信じないが、消しもしない。
疑問符を一つ付けて、両方を残す。

年配の男が、半身で描かれる。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
髪は赤みを帯びた褐色で、肩まで垂れる。
顔は面長で、頬がこける。
目は落ちくぼみ、視線が強い。
肩には、斑のある毛皮の襟が掛かる。
その下は、金の刺繍の入った衣である。
胸もとには、白い布が見える。
右手を胸に当てる。
指には、指輪が光る。
左には、赤い衣の一部が見える。
背景は暗く、上部がわずかに明るい。
作者の欄には、疑問符がない。
誰が描いたかは分かり、誰を描いたかは分からない。
描いた人と、描かれた人
九点を通して見ると、面白い分かれ方がある。
描いた人が分かっている作品と、分かっていない作品。
描かれた人が分かっている作品と、分かっていない作品。
この二つは、独立している。
作者が分かっていても、人物が分からない例がある。
作者が分からなくても、人物の名が伝わっている例もある。
九点では、その組み合わせが混ざっている。
作者が分かり、人物に疑問符が付くのが三点。
作者に留保があり、人物にも疑問符が付くのが二点。
作者に留保があり、人物の名がないのが二点。
そして、作者が分かり、人物の名がないのが二点。
疑問符の付き方は、二つの軸で決まっている。

年配の女性が、赤い椅子に腰かける。
体は正面を向き、顔もこちらを向く。
頭には、白い縁飾りの大きな帽をかぶる。
帽の縁は幾重にも重なり、顔を囲む。
衣は黒く、袖が膨らむ。
袖口から、白い布が出る。
胸もとには、白い襞飾りが広がる。
両手を膝の上で組む。
椅子の肘掛は、赤い布で覆われる。
背景は暗い褐色で、平らである。
顔の肌は白く、頬に赤みがない。
作者の名は分かっている。
年も、1838年と一つに決まっている。
分かっていないのは、描かれた人だけである。

若い男が、上半身で描かれる。
体は正面を向き、顔はやや左を向く。
髪は黒く、額の上で立ち上がる。
もみあげが、頬の横に伸びる。
首には、白い布が高く巻かれる。
上着は黒く、襟が大きい。
その下に、白い胴着が見える。
腕を胸の前で組む。
背景は暗く、右上が黄褐色に明るい。
左には、赤い布が垂れる。
顔の肌は白く、頬に赤みが差す。
作者の欄には、地名と世紀しかない。
題には、名と疑問符がある。
描いた人も、描かれた人も、確かではない。
「おそらく」が、作者の欄の頭に来る
九点のうち一点は、作者の欄がこう始まる。
おそらく、イギリス、18世紀。
地名と世紀の前に、留保の語が置かれる。
つまり、地域さえ確定していない。
地名と世紀の書き方の、さらに手前の段階である。
作者不詳の記録にも、確からしさの段階がある。
地名まで絞れる場合と、絞れない場合。
絞れないときは、留保の語を頭に置く。
一語を足すだけで、段階が一つ下がる。

年配の男が、上半身で描かれる。
画面の中に、楕円の枠が描かれる。
その内側に、人物が収まる。
頭には、白い大きな鬘をかぶる。
鬘は左右に膨らみ、肩まで垂れる。
顔は丸く、頬が下がる。
首もとには、白い布が二本垂れる。
衣は褐色で、前が開く。
その下に、暗い胴着が見える。
背景は褐色一色で、平らである。
顔の肌は白く、影が薄い。
題には名がない。
作者の欄にも、地域さえ確定していない。
分かっているのは、年のおおよその幅だけである。
寄贈者の姓が、題の名と同じ
九点のうち一点は、出所の行に注目したい。
寄贈者の姓が、題に書かれた人物の姓と同じである。
つまり、その家の子孫が贈った可能性が高い。
それでも、題には疑問符が付いている。
家に伝わった呼び名であっても、確証にはならない。
家の言い伝えは、しばしば入れ替わる。
祖父の肖像が、曾祖父の肖像として伝わることもある。
館は、伝わったとおりに題を書き、疑問符を添える。
贈った側の言い分を尊重しつつ、確定はしない。
出所の行と題の欄が、そういう関係で並んでいる。

若い男が、上半身で描かれる。
体は正面をやや外し、顔はこちらを向く。
髪は黒く、耳の上で巻く。
もみあげが、頬の横に伸びる。
首には、白い布が高く巻かれる。
その上に、黒い襟が重なる。
上着は黒く、前が開く。
その下に、赤い胴着が見える。
赤は画面の中で唯一の強い色である。
背景は暗い緑褐色で、右上が明るい。
顔の肌は白く、頬に赤みが差す。
作者の欄には、地名と世紀しかない。
対の絵に、両方とも疑問符
九点のうち二点は、対の肖像である。
男性と女性、それぞれの題に疑問符が付く。
二人は同じ姓を持つ。
夫妻の肖像だと考えられている。
しかし、その特定に確証がない。
だから両方に疑問符が付く。
対の絵で、片方だけが確定することはまずない。
片方が分かれば、もう片方も分かる。
片方が分からなければ、両方が分からない。
疑問符が対で並ぶのは、そのためである。

楕円の画面である。寸法の欄にも楕円と書かれる。
年配の女性が、上半身で描かれる。
体は右を向き、顔はこちらへ戻す。
髪は白く、頭の上でまとめられる。
顔は面長で、目が大きい。
衣は淡い青灰色で、光沢がある。
袖口には、白い布が重なる。
胸もとは開き、白い布が渡る。
肩から、濃い青の布が掛かる。
その布を、右手で押さえる。
背景は深い青で、平らである。
対の一点と、寸法がほぼ同じである。

こちらも楕円の画面である。
男が、上半身で描かれる。
体は左を向き、顔はこちらへ戻す。
対の一点とは、向きが逆である。
頭には、白い大きな鬘をかぶる。
鬘は高く盛り上がり、肩まで垂れる。
衣は青灰色で、金の縁飾りが入る。
胸には、釦が縦に並ぶ。
袖口から、白い襞飾りが出る。
右手を前に出し、指を開く。
その手の下に、暗い布がある。
背景は深い青で、対の一点と同じである。
番号は、対の一点の次に来る。
括弧の中に、名と留保
九点のうち一点は、作者の欄の括弧に名が入る。
アントウェルペン、16世紀(マティス・コックの可能性)。
地名と世紀のあとに、括弧が続く。
括弧の中には、画家の名と留保の語がある。
つまり、こういう構造だ。
地域と時代は分かっている。
その中で、ある画家の可能性がある。
しかし確定できない。
工房作の書き方と、形は似ている。
主となる帰属が先、推定の名が括弧の中。
記録の構造は、欄が違っても共通している。

横に長い画面である。縦の二倍近い幅がある。
九点で唯一、肖像ではない。
左手前は、褐色の岩と土である。
その上に、小さな人物が散らばる。
中央には、白い浜と水が広がる。
右には、鋭い岩山が立ち上がる。
岩は灰色と褐色で、垂直に切り立つ。
その下に、建物と人の群れが見える。
水面には、小さな舟が浮かぶ。
奥には、青い海と空が広がる。
左上の空は暗く、雲が厚い。
風景の中に、物語の場面が小さく置かれる。
技法の欄には、合板へ移されたと書かれる。
楕円が、二点
九点のうち二点は、寸法の欄に楕円と書かれる。
対の肖像の二点である。
別の記事でも、楕円の画面を見た。
そのときは、布そのものが楕円だった。
こちらも、布が楕円である可能性が高い。
寸法の欄に形が書かれるのは、長方形でない場合だけだ。
もう一点には、画面の中に楕円が描かれている。
四角い布の四隅を暗く塗った作りである。
こちらは、寸法の欄に楕円と書かれない。
書かれるのは、物としての形だけだからだ。
同じ楕円に見えても、記録の扱いが違う。
見た目と、物としての形は別である。
記録は、物の側に立って書かれている。
名を書くか、書かないか
疑問符を付けずに済ませる方法もある。
名を書かず、《男の肖像》とすればよい。
実際、館の記録にはそういう題が多くある。
作者不詳の肖像も、そうだった。
では、なぜ九点では名を書いたのか。
伝わってきた説があったからである。
家の言い伝え、古い目録の記載、裏に書かれた文字。
そういう手がかりがある場合に、名が題に入る。
手がかりがまったくなければ、一般名詞になる。
つまり、疑問符の付いた題は、手がかりがある証拠でもある。
《男の肖像》より、情報が多い。
疑問符は、情報が少ないしるしのように見える。
しかし、名がある分だけ多いとも言える。
読み方によって、意味が反転する。
八点が、肖像である
九点のうち八点は肖像である。
残る一点だけが、風景の中の物語である。
疑問符が肖像に集中するのは、当然でもある。
肖像は、誰を描いたかが最大の情報だ。
その情報が不確かなときに、疑問符が要る。
風景や静物では、そういう問題が起きにくい。
描かれた場所が不確かなら、題を一般的にすればよい。
人物の場合は、名を出すか出さないかの二択になりやすい。
だから中間の記号が必要になる。
疑問符が肖像で多く使われるのは、そのためだろう。
館の公開データを見ても、その傾向は確かめられる。
五点が、同じ受入から
九点の番号を見ると、五点が同じ帯にある。
1937.1が二点、1947.17が三点。
いずれも同じ収集から来ている。
その収集には、アメリカの肖像が多く含まれていた。
別の記事でも、同じ帯の作品を扱った。
家に伝わった肖像がまとまって入ると、こういう記録になる。
伝わった名はあるが、確証はない。
そういう作品が、群として館に届く。
だから疑問符も、群として現れる。
一点だけを見ていては、この偏りは分からない。
番号の帯ごとに数えると、傾向が見えてくる。
年の欄は、比較的しっかりしている
疑問符が多い九点だが、年の欄は意外に確かである。
一つの数字で書かれるものが三点。
1731年が二点、1838年が一点。
ごろ付きが四点、幅を持つものが二点。
つまり、年については比較的よく分かっている。
人物の名は分からないのに、年は分かる。
これは、判断の材料が違うためだ。
年は、様式や衣装から推し量れる。
人物の名は、記録が残っていなければ分からない。
材料の種類が違えば、分かることも違う。
九点の欄は、その差をよく示している。
不確かさは、欄ごとに独立している。
疑問符の数を、数えてみる
九点の記録に含まれる疑問符と留保の語を数えてみる。
題の疑問符が五つ。
作者の欄の留保が二つ。
技法の欄の疑問符が一つ。
合わせて八つある。
一点あたり、平均で一つに近い。
もっとも、これは疑問符のある作品を選んだ結果だ。
館の公開データで数えると、題に疑問符のある作品は多くない。
未使用の作品で見ても、十点に満たない。
つまり、これはかなり珍しい書き方である。
多くの作品では、題は疑問符なしで書かれる。
書けない場合は、名を出さずに一般名詞にする。
疑問符が使われるのは、その中間の状態だけだ。
中間の状態を、書き残す
名が分かる。分からない。
その二つのあいだに、疑問符の場所がある。
伝わってきた説はあるが、確証がない状態だ。
こういう状態は、記録としては扱いにくい。
書けば、確定したように読まれる恐れがある。
書かなければ、説そのものが消える。
疑問符は、その板挟みを解く道具である。
説を残し、確定していないことも示す。
一文字で、二つのことを同時に伝えている。
留保の語と、役目は同じだ。
年の欄の「おそらく」も、作者の欄の「に帰される」も。
いずれも、中間の状態を書き残すための道具である。
一文字を、読み落とさない
美術館の札を見るとき、疑問符は小さく見える。
括弧の中の一文字である。
読み落としても、絵の見え方は変わらない。
しかし、その一文字があるかないかで、記録の意味は変わる。
《ディエゴ・デ・ゲバラの肖像》と書かれていれば、確定である。
そこに疑問符が付けば、確定していない。
同じ題に見えて、まったく違うことを言っている。
読み落とせば、確定した事実として受け取ってしまう。
館は、読まれることを期待して一文字を置いた。
置かれた以上、読む価値がある。
九点の記録は、その一文字の使い方を集めたものである。
そして、その一文字は消える可能性もある。
調べが進んで名が確定すれば、疑問符は外される。
外れた日には、記録の意味が一つ変わる。
逆に、説が否定されれば、名ごと消えるかもしれない。
その場合、題は《男の肖像》に戻る。
疑問符は、そういう可能性の上に置かれている。
いま読める題は、いまの判断でしかない。
判断が動けば、題も動く。
動く欄と動かない欄の話は、これまでにも書いた。
題の欄は、動く側に属している。
動く欄を読むときは、いつの判断かを意識するとよい。
そして、動いた跡は残らないことが多い。
いま見えているのは、最新の一枚だけである。
その一枚に、括弧と疑問符が一つ入っている。
小さな記号だが、置いた人の慎重さがそこにある。
慎重さは、しばしば読み飛ばされる。
読み飛ばされても、記号は消えない。
いつか誰かが立ち止まって読むまで、そこに残る。
記録とは、そういう待ち方をするものである。

