作品を知る

点は、目の中で混ざらない——スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》を読む

点は、目の中で混ざるのか

まず、技法の話から片づけたい。

近くで見ると、画面は無数の小さな点で埋まっている。緑の芝生は、緑一色ではない。黄、青、橙、そして紫の点が並んでいる。

離れると、それらが芝生の緑に見える。

この方法の背景には、十九世紀の色彩研究がある。

化学者シュヴルールは1839年、隣り合う色が互いの見え方を変える現象——同時対比——について本を書いた。ゴブラン織物工場で、糸の色が隣の糸によって違って見える問題を調べた結果である。

アメリカの物理学者オグデン・ルードは1879年に色彩の本を出し、フランス語訳が1881年に出た。絵具を混ぜると濁るが、光として混ぜれば明るさが保たれる、という考え方がそこにある。

スーラはこれらを読んでいた。混ぜてから塗るのをやめ、混ざらないまま並べる。混合は見る人の目の中で起こる——という筋書きである。

では、本当に混ざるのか。

正直に言えば、理屈どおりにはならない。

点が完全に混ざって見えるには、点が十分に小さいか、見る距離が十分に遠いことが要る。実際の展示室でその距離を取ると、今度は絵の細部が見えなくなる。

そして、明るさも理論ほどは上がらない。並置した色は、混ぜた色より濁りにくいが、劇的に輝くわけではない。

つまりこの絵は、科学理論の正しい実演ではない。理論を手がかりに作られた、ひとつの制作方法である。

ちなみに「点描」という呼び名は、当時の批評家がつけたものだった。スーラ自身は分割という語を使っている。批評家フェリックス・フェネオンは1886年、彼らの一群を「新印象派」と呼んだ。

点に行き着くまで

スーラは最初から点を打っていたわけではない。

石を割る男
《石を割る男》1882年ごろ。木に油彩、およそ15×24センチ。槌を振り下ろす男を、粗い斜めの筆だけで塊として捉えている。ジョルジュ・スーラ《石を割る男》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

二十代前半の小品を見ると、主題は農村の労働である。石を割る男、鍬を持つ農夫、干し草を積む人。

これは前の世代の画家たちが扱ってきた主題である。方法も、まだ荒い筆づかいにとどまっている。

そこから《グランド・ジャット》までは、わずか三、四年しかない。

途中に一枚、大きな作品がある。《アニエールの水浴》——セーヌ川で水浴する人々を描いた、やはり二メートルを超える大作である。

《アニエールの水浴》のための最終下絵
《〈アニエールの水浴〉のための最終下絵》1883年。板に油彩。川べりに坐る人物と、水に入る人物。ここでも人物は動きを止めている。ジョルジュ・スーラ《《アニエールの水浴》のための最終下絵》シカゴ美術館蔵

その下絵を見ると、人物を止めて置く構えは既にできあがっている。

つまり順序としては、まず「止める」があり、あとから「点」が来た。技法が先ではない。

止めるための方法を探していたら、色の並置に行き着いた——と考えるほうが、この画家の歩みには合っている。

板切れに描かれた、小さな下絵

この絵がどう作られたかは、残された下絵が教えてくれる。

《グランド・ジャット島の日曜日の午後》のための油彩下絵
《〈グランド・ジャット島の日曜日の午後〉のための油彩下絵》1884年。木の板に描かれた、縦15.5センチの小品。点ではなく、粗い斜めの筆で埋められている。ジョルジュ・スーラ《《グランド・ジャット島の日曜日の午後》のための油彩下絵》シカゴ美術館蔵

まず、掌に乗る大きさの板に、油彩で現場を写す。この種の小品は数十点残っている。

見てのとおり、点はまだない。斜めに走る粗い筆が、光と影を大まかに置いているだけである。

《グランド・ジャット》のための人物習作
《〈グランド・ジャット〉のための人物習作》1884〜85年。木に油彩。人物は輪郭だけの塊として置かれ、顔も服の細部もない。ジョルジュ・スーラ《《グランド・ジャット》のための人物習作》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

人物の習作になると、顔は描かれていない。必要なのは、その人物が画面のどこに、どんな形の影として立つか、である。

そして、大きな下絵がある。

《グランド・ジャット島の日曜日の午後》のための習作
《〈グランド・ジャット島の日曜日の午後〉のための習作》1884年。縦70.5センチ、横104.1センチ。完成作とほぼ同じ構図だが、人物の配置と数が違う。ジョルジュ・スーラ《《グランド・ジャット島の日曜日の午後》のための習作》メトロポリタン美術館蔵

この一枚は、すでに一点の作品として通用する大きさである。完成作と見比べると、人物の位置や数が違うことがわかる。

現場で採った小さな板、人物の型、大きな下絵。そして最後に、四畳分の画布。

戸外で一気に描く印象派の方法とは、まったく違う手順である。むしろ、古い時代の大作の作り方に近い。

板に描かれた小品は、いずれも縦15センチ前後。持ち運びやすく、そのまま蓋つきの箱に収まる。

スーラはこの寸法をほぼ固定して使っていた。同じ大きさで採れば、あとで比較しやすいからだろう。

油彩の下絵とは別に、コンテ・クレヨンによる素描も大量に残っている。粗い紙にコンテを擦りつけると、紙の目に粒が乗り、白い凹みが残る。

線を引かずに、明暗の塊だけで人物を掴む描き方である。あの止まった人物の型は、この素描の段階でほぼ決まっている。

素描がどんな役割を果たすかについては、別のコラムでまとめて扱っている。

二年後に、戻ってきた

さらに、この絵には後からの手が入っている。

所蔵館の記録によれば、スーラは制作開始から二年後に画面へ戻り、いくつかの人物の輪郭を強め、人物を描き足した。

館が挙げているのは、綱につながれた猿と、遠くで丸めた新聞を抱えている男である。

猿のほうは、いまとなっては構図に欠かせないものに見える。後から足されたとは思えないほど、右下の一角を締めている。

そして1888年から89年にかけて、画布の縁に点で描いた帯が加えられた。

絵の外側に、絵具でできた額縁を作ったことになる。周囲の壁の色に画面が影響されるのを嫌ったのだろう、と説明されることが多い。