輪郭のない花——オディロン・ルドン
装飾的な一点

技法はテンペラである。卵などを媒材に使う絵具で、艶が少ない。
画面の右に、褐色の壺が置かれている。
表面に黒い人物の像が描かれている。古代の壺の意匠である。
そこから花が伸び、画面の上半分に広がる。
花は黄、紫、褐色。形が単純化され、模様のように見える。
背景は金褐色で、細かい模様が全面に散っている。
つまり背景も装飾になっている。
花と背景の境目が曖昧で、画面全体が一つの模様に近い。
古代の壺を選んだ理由も考えられる。
黒い人物像の付いた壺は、古代地中海の様式である。
つまり時代の分からない品を置くことで、場所と時刻がさらに曖昧になる。
現代の卓ではなく、どこでもない場所の花になる。
小道具の選択が、画面の性格を決めている。
曖昧な背景は、どう作るのか
背景の作り方を、もう少し具体的に見ておきたい。
まず全面に薄く色を置き、乾く前に別の色を重ねる。
境目を筆や布で擦り、境界を消す。
そのうえで、一部だけ明るい色を薄く重ねて光の溜まりを作る。
つまり形を描かず、明度と色味の斑を作っている。
この作り方では、あとから形を足すのは難しい。
背景を先に決め、そこへ花を置いていく順序になる。
普通の静物画とは、工程が逆である。
花が、雲のように浮かぶ

青い花瓶があり、そこから花が広がっている。
花は橙、桃色、白、青。輪郭がぼやけ、形が定まらない。
いくつかの花は、茎とつながっていない。
背景は淡い灰緑で、筆の跡が全面に残る。
左下に黒い小さな塊がある。影とも、開いた口とも読める。
つまりこの絵では、花が浮遊している。
物としての花ではなく、色の斑として置かれている。

こちらは比較的はっきりした一点である。
金褐色の壺に、花が生けられている。
赤い菊、白い雛菊、青い矢車菊。花の形が識別できる。
葉は緑で、茎も見える。
背景は淡い黄土色で、上部が明るい。
卓の線はないが、壺の下に影がある。
つまり同じ画家の中でも、明確さの度合いに幅がある。
見えないものを、どう描くか
この画家の主題には、目に見えないものが多い。
夢、幻、精霊、神。いずれも実物を写せない対象である。
写生できない対象を描くには、二つの方法がある。
一つは、具体的な形を与えることである。
翼のある人、角のある獣、光を放つ人物。
伝統的な図像はこの方法で作られてきた。
もう一つは、形を曖昧にすることである。
輪郭を溶かし、空間を消し、色だけを残す。
そうすれば、見る側が想像で補う余地が生まれる。
この画家は後者を選んでいる。
だから輪郭のない花や、雲と区別のつかない馬が現れる。
つまり曖昧さは、主題の性質から要求されている。
見えないものを描くために、見え方を崩している。
この判断は、同時代の詩の傾向とも重なっている。
言葉でも、直接名指さずに暗示する方法が試されていた。
神話の主題

横長の画面である。
上半分は青空で、白い雲が横に広がる。
その中に、馬が四頭ほど浮かんでいる。
輪郭は淡く、雲と区別がつかない。
下方には赤褐色の塊があり、その中に馬車らしい形がある。
つまり神話の場面が、雲の形として描かれている。
物語の説明はない。人物の顔も判別できない。
主題は太陽の神の馬車だが、描かれているのは光と雲である。
詩や音楽との関わり
交友についても触れておきたい。
この画家は、詩人や音楽家との交流で知られる。
作品の題名に、文学に由来するものが多い。
神話、寓話、聖人の物語。いずれも言葉の世界から来ている。
つまり絵の主題が、読書の経験と結びついている。
写生の対象ではなく、読んだ内容を絵にしている。
だから空間の描写よりも、印象の再現が優先される。
主題の出所を知ると、曖昧さの理由が見えやすくなる。
縦長の対の板

縦143.5センチ、横62.9センチ。細長い画面である。
女性が立ち、両手で小さな箱を持っている。
衣は淡い青緑で、体の線が柔らかい。
顔は下を向き、目は伏せている。
足元から腰まで、花が咲き乱れている。黄、白、赤の点である。
背景は淡い灰白で、上方が明るい。

同じ寸法の一点である。縦144センチ、横62.5センチ。
裸の男が、樹の幹に体を寄せている。
腰に布を巻き、両手は後ろに回されている。
顔は上を向き、目を閉じている。
樹の枝は上方に広がり、赤い実が点々と付く。
背景は青緑で、上部が明るい。足元には花が咲く。
二点はほぼ同じ寸法である。
つまり対として作られた可能性が高い。
細長い画面は、壁の一部に嵌め込む装飾の形式である。
装飾のための絵という点では、扉上の絵や柱絵と同じ系統にある。
判型と設置の関係は別のコラムで扱った。