画家を知る

輪郭のない花——オディロン・ルドン

初期の風景

ブルターニュの村
オディロン・ルドン《ブルターニュの村》1890年ごろ。油彩・画布。縦22.5センチ、横32.5センチ。ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵。オディロン・ルドン《ブルターニュの村》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

小さな絵である。縦22.5センチ、横32.5センチ。

村が描かれている。白い壁と灰色の屋根の家が並ぶ。

手前は草地で、黄緑と褐色の筆が横に走る。

空は濃い青で、白い雲が二つ浮かぶ。

輪郭は明確である。家の壁は直線で、屋根の稜線も定まっている。

つまりこの一点では、空間が描かれている。

前景、中景、遠景の区別がある。

制作は1890年ごろ。花の絵より二十年ほど早い。

同じ画家が、明確な空間の絵も描いていたことになる。

装飾として注文された絵

細長い対の画面について、もう少し書いておきたい。

19世紀末から20世紀初頭には、個人邸宅の装飾の注文が多かった。

食堂、書斎、応接間の壁に、画家が絵を描き込む。

壁の割り付けに合わせるため、画面は細長くなる。

つまり寸法は建築が決めている。

そして装飾では、絵は主役になりすぎてはいけない。

強い物語や激しい動きは、部屋の落ち着きを壊す。

だから主題は静かで、色は柔らかく、輪郭は曖昧になる。

この画家の後半の作品が、装飾の注文に向いていた理由が分かる。

曖昧さは、部屋に合う性質でもあった。

同じ事情は、扉の上の絵や天井画にも当てはまる。

装飾画の作りについては別のコラムで扱った。

用途を知ると、絵の性質が読みやすくなる。

見立て——曖昧さは、選ばれている

まとめておきたい。

初期の風景では、輪郭と空間が明確である。

後半の花の絵では、卓の線が消え、背景が曖昧になる。

つまり曖昧さは能力の問題ではなく、選択である。

何のためかを考えると、二つの答えがありうる。

一つは、対象を現実から切り離すためである。

場所が分からなければ、花は記憶や想像の中の花になる。

二つは、装飾として機能させるためである。

空間のない画面は、壁の模様に近づく。

細長い対の画面が装飾用に作られていることも、その傍証になる。

花は、何を描く対象なのか

もう一点、書き添えておきたい。

同じ時代に、花だけを四十年描き続けた画家がいる。

その画家の花は、卓の上に置かれ、光の方向が定まっていた。

比べると、この画家の花はまったく違う扱いを受けている。

同じ主題でも、目的が違えば描き方が変わる。

もう一つ、この画家の花の絵には共通の性格がある。

季節が分からないことである。

春の花と夏の花が同じ画面に混ざる例がある。

実際の花束としては成立しない組み合わせである。

つまり写生ではなく、記憶と想像から組み立てている。

花の絵を写生とみなすと、この画家の絵は読み損なう。

花の静物画の別の型についてはこちらのコラムで扱った。

同じ主題を、別の材料で

材料の話をもう一度したい。

同じ花瓶の花という主題を、パステル、油彩、テンペラで描いている。

パステルは粉で、境目が溶ける。

油彩は層を重ねられ、深い色が作れる。

テンペラは艶が消え、模様のような平面になる。

つまり同じ主題でも、材料によって仕上がりが変わる。

三つを並べて見ると、材料の性質がよく分かる。

公開画像で三点を続けて見られるのは、こうした比較に向いている。

材料を横断して主題を追う見方も、絵の楽しみの一つである。

公開分の構成

最後に数を確かめておきたい。

13点のうち、花を主題にした作品が半分を超える。

残りは神話と寓意の主題、そして初期の風景である。

前半生の黒の作品は含まれていない。

つまり公開分だけを見ると、この画家は花の画家に見える。

実際の仕事の幅とは、かなり違う印象になる。

公開作品の構成が画家像を作ることは、繰り返し確かめておきたい。

暮らしへ——机の線を、消してみる

最後に、日常に持ち帰れる話をひとつ。

花を撮るとき、机の縁を画面から外してみてほしい。

背景を布や壁だけにすると、花が浮いたように見える。

逆に机の線を入れると、置かれていることがはっきりする。

一本の線があるかないかで、写真の性格が変わる。

そして背景をぼかすと、さらに現実味が薄れる。

百年前の画家が絵具でやっていたことを、
いまの道具でも試すことができる。

もう一つ。季節の違う花を一つの器に入れてみるのも面白い。

現実にはあり得ない組み合わせが、画面の中では成立する。

絵の自由は、そういうところにも現れている。

そして、背景をぼかした写真と、はっきりした写真を並べてみてほしい。

同じ花でも、置かれている場所の情報が変わる。

曖昧さは、情報を減らすことで別のものを見せる手段である。

群として見ると、偏りが見える

最後に、見方をまとめておきたい。

13点はほとんどが後半生の作品である。

つまり公開分だけでは、この画家の前半が見えない。

収蔵と公開の偏りを知ってから読むことが必要になる。

見えているものと、見えていないものを区別しておきたい。

公開画像は、そのための道具である。

ただし公開分の偏りは、画像の側からは見えにくい。

何が入っていないかは、別の資料で補うしかない。

見えているものだけで判断しない姿勢を、いつも持っておきたい。

そして、見えなかった部分を書き留めておきたい。

公開分に何が欠けているかは、忘れやすい。

一行の注記が、後の誤解を防いでくれる。

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