作品を知る

草を描くことは、余白を決めること——梁楷・探幽・ドービニーほか九点

草花
北川宗雪《草花》1600年代半ば。館の記録では、六曲一双の屏風・紙本着色。画面は153.7×329.2センチ。番号は1968.193。クリーヴランド美術館蔵。北川宗雪《草花》クリーヴランド美術館蔵

横に長い屏風である。

153.7×329.2センチある。

地は白く、余白が広い。

その面に、草花が横一列に並ぶ。

背の高い草が何本も立つ。

細い葉が左右へ広がる。

穂を付けたものもある。

そのあいだに、花が咲く。

黄色い花、白い花、青い花。

葉の形はそれぞれ違う。

草は根元でまとまり、上へ向かって開く。

一株ずつが、隣と重ならないように置かれている。

館の記録では、作者はある大名家のために描いた。

屏風は、大きな邸宅で部屋の仕切りや背景として使われた。

この構成は、作者の代表作の一つとされるという。

そして館は、系譜についても書いている。

作者は、ある画家の弟子と考えられている。

その画家はさらに、京の名高い画家の弟子だった。

その京の画家は、のちに一つの様式の創始者と見なされる人である。

この系譜の画家を選ぶことで、大名家は自らの美意識を都と結び付けた。

館の記録は、そう読んでいる。

つまりこの草花は、家の格を示すために並べられている。

九点のうち、草が主役として並べられているのは、この一点である。

そして印が二つ、左下に押されている。

館の記録は、その二つの印文も写している。

屏風は部屋を仕切る道具でもある。

立てれば、草花の列が部屋を横切る壁になる。

高さ153.7センチは、座った人の目の高さを超える。

つまり座敷では、草花が視線を遮る。

野の草が、室内の壁として使われている。

そして地の白は、金でも銀でもない。

紙のままの白が、草の色を引き立てている。

葦の間から、船頭が現れる

五点目は、油彩である。

葦の間の船頭
カミーユ・コロー《葦の間の船頭》1865年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。画面は59.7×81.3センチ。番号は32.100.136。メトロポリタン美術館蔵。カミーユ・コロー《葦の間の船頭》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

59.7×81.3センチある。

画面の下半分は、静かな水である。

水面は灰色で、わずかに光る。

手前の岸には、草が茂る。

草は細く、上へ伸びる。

その一部が、水の上へ倒れかかる。

草のあいだに、小舟がある。

舟は細長く、水面に低く浮かぶ。

その中に、人がひとり立っている。

棒を持ち、水底を押している。

姿は小さく、輪郭がぼやける。

奥には、木立が霞んで広がる。

空は白く、雲が薄い。

館の札は「風景」と「舟」の二つである。

つまり館は、この画面を風景として登録している。

葦は札に入っていない。

しかし題には、葦の間と書かれている。

この画家の人物の扱いについては、人物の置き方で扱った。

草は、人を隠すための繁みとして描かれている。

絵の具の置き方も見ておきたい。

草は、細い筆で一本ずつ引かれてはいない。

先を割った筆で、まとめて掃くように描かれている。

だから一本ずつは数えられない。

数えられないことが、繁みらしさを作る。

そして水面の反射は、横方向の短い筆で置かれている。

縦の草と、横の水。

筆の向きの違いが、二つの面を分けている。

樫が倒れ、葦は残る

六点目は、素描である。

樫と葦
シャルル・フランソワ・ドービニー《樫と葦》1873年ごろ。館の記録では、青と灰と黒の淡彩、黒鉛。紙は29.3×23センチ。番号は2008.357。クリーヴランド美術館蔵。シャルル・フランソワ・ドービニー《樫と葦》クリーヴランド美術館蔵

縦長の紙である。

29.3×23センチしかない。

画面の中央に、大きな木が横倒しになっている。

根が地面から引き抜かれ、土がついている。

幹は太く、枝が折れている。

その手前と周囲に、細い草が立つ。

草は倒れず、風になびいている。

上のほうには、濃い青の雲が広がる。

雲は左から右へ、地面へ迫ってくる。

その上には、灰色の淡彩が斜めに刷かれている。

雨である。

地面には、明るい部分と暗い部分がまだらに散る。

館の記録では、この素描はある寓話を絵にしている。

樫は、風の前でしなう葦を見下して憐れんでいた。

しかし、激しい北風によって、その樫が地面から引き抜かれる。

館の記録は、その話をそう伝えている。

そして、作者は引き抜かれた樫に焦点を当て、激しく表情のある扱いにしたという。

つまりこの草は、勝った側である。

しかし画面では、倒れた木のほうが大きく描かれている。

九点のうち、草が寓話の登場人物になっているのは、この一点である。

淡彩の色にも注意しておきたい。

青と灰と黒の三色しか使われていない。

そのうち青は、雲にだけ使われている。

地面と木は、灰と黒である。

つまり色は、空から迫るものにだけ与えられている。

紙の左下には、贈った相手の名と署名が記されている。

友への贈り物として描かれたことになる。

寓話の絵を友に贈るという行為には、含みがあるかもしれない。

ただし、それは記録に書かれていない。

葦は、刈られて運ばれる

七点目は、油彩である。

葦を集める人々
ニコラース・ベルヘム《葦を集める人々》1657年。館の記録では、油彩・カンヴァス。番号は1968.239。クリーヴランド美術館蔵。ニコラース・ベルヘム《葦を集める人々》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

画面の右手前に、人が数人いる。

腰をかがめ、束を抱えている。

束は細い茎の集まりである。

葦である。

一人は肩に担ぎ、歩いている。

もう一人は、地面の束を結んでいる。

そのそばに、家畜が数頭いる。

背には荷が載っている。

画面の左には、水が広がる。

水辺には、まだ刈られていない葦が立つ。

奥には、低い丘と、明るい空がある。

館の記録は、題と材料しか書いていない。

寸法の欄は、はっきりしない。

見えるのは、草が資材として扱われていることである。

葦は屋根を葺き、籠を編むのに使われた。

つまりここでの草は、収穫の対象である。

九点のうち、草が刈られているのは、この一点だけである。

そして刈られた葦は、束にされている。

束にすると、一本ずつの区別は消える。

太さと長さだけが問題になる。

つまり材料になった瞬間に、草は数から量に変わる。

画面の左に立つ葦は、まだ数えられる。

右に運ばれる束は、もう数えられない。

同じ一枚の中で、その変化が起きている。

家畜の背に載る荷も、同じ束である。