草を描くことは、余白を決めること——梁楷・探幽・ドービニーほか九点

横に長い屏風である。
153.7×329.2センチある。
地は白く、余白が広い。
その面に、草花が横一列に並ぶ。
背の高い草が何本も立つ。
細い葉が左右へ広がる。
穂を付けたものもある。
そのあいだに、花が咲く。
黄色い花、白い花、青い花。
葉の形はそれぞれ違う。
草は根元でまとまり、上へ向かって開く。
一株ずつが、隣と重ならないように置かれている。
館の記録では、作者はある大名家のために描いた。
屏風は、大きな邸宅で部屋の仕切りや背景として使われた。
この構成は、作者の代表作の一つとされるという。
そして館は、系譜についても書いている。
作者は、ある画家の弟子と考えられている。
その画家はさらに、京の名高い画家の弟子だった。
その京の画家は、のちに一つの様式の創始者と見なされる人である。
この系譜の画家を選ぶことで、大名家は自らの美意識を都と結び付けた。
館の記録は、そう読んでいる。
つまりこの草花は、家の格を示すために並べられている。
九点のうち、草が主役として並べられているのは、この一点である。
そして印が二つ、左下に押されている。
館の記録は、その二つの印文も写している。
屏風は部屋を仕切る道具でもある。
立てれば、草花の列が部屋を横切る壁になる。
高さ153.7センチは、座った人の目の高さを超える。
つまり座敷では、草花が視線を遮る。
野の草が、室内の壁として使われている。
そして地の白は、金でも銀でもない。
紙のままの白が、草の色を引き立てている。
葦の間から、船頭が現れる
五点目は、油彩である。

横長の画面である。
59.7×81.3センチある。
画面の下半分は、静かな水である。
水面は灰色で、わずかに光る。
手前の岸には、草が茂る。
草は細く、上へ伸びる。
その一部が、水の上へ倒れかかる。
草のあいだに、小舟がある。
舟は細長く、水面に低く浮かぶ。
その中に、人がひとり立っている。
棒を持ち、水底を押している。
姿は小さく、輪郭がぼやける。
奥には、木立が霞んで広がる。
空は白く、雲が薄い。
館の札は「風景」と「舟」の二つである。
つまり館は、この画面を風景として登録している。
葦は札に入っていない。
しかし題には、葦の間と書かれている。
この画家の人物の扱いについては、人物の置き方で扱った。
草は、人を隠すための繁みとして描かれている。
絵の具の置き方も見ておきたい。
草は、細い筆で一本ずつ引かれてはいない。
先を割った筆で、まとめて掃くように描かれている。
だから一本ずつは数えられない。
数えられないことが、繁みらしさを作る。
そして水面の反射は、横方向の短い筆で置かれている。
縦の草と、横の水。
筆の向きの違いが、二つの面を分けている。
樫が倒れ、葦は残る
六点目は、素描である。

縦長の紙である。
29.3×23センチしかない。
画面の中央に、大きな木が横倒しになっている。
根が地面から引き抜かれ、土がついている。
幹は太く、枝が折れている。
その手前と周囲に、細い草が立つ。
草は倒れず、風になびいている。
上のほうには、濃い青の雲が広がる。
雲は左から右へ、地面へ迫ってくる。
その上には、灰色の淡彩が斜めに刷かれている。
雨である。
地面には、明るい部分と暗い部分がまだらに散る。
館の記録では、この素描はある寓話を絵にしている。
樫は、風の前でしなう葦を見下して憐れんでいた。
しかし、激しい北風によって、その樫が地面から引き抜かれる。
館の記録は、その話をそう伝えている。
そして、作者は引き抜かれた樫に焦点を当て、激しく表情のある扱いにしたという。
つまりこの草は、勝った側である。
しかし画面では、倒れた木のほうが大きく描かれている。
九点のうち、草が寓話の登場人物になっているのは、この一点である。
淡彩の色にも注意しておきたい。
青と灰と黒の三色しか使われていない。
そのうち青は、雲にだけ使われている。
地面と木は、灰と黒である。
つまり色は、空から迫るものにだけ与えられている。
紙の左下には、贈った相手の名と署名が記されている。
友への贈り物として描かれたことになる。
寓話の絵を友に贈るという行為には、含みがあるかもしれない。
ただし、それは記録に書かれていない。
葦は、刈られて運ばれる
七点目は、油彩である。

横長の画面である。
画面の右手前に、人が数人いる。
腰をかがめ、束を抱えている。
束は細い茎の集まりである。
葦である。
一人は肩に担ぎ、歩いている。
もう一人は、地面の束を結んでいる。
そのそばに、家畜が数頭いる。
背には荷が載っている。
画面の左には、水が広がる。
水辺には、まだ刈られていない葦が立つ。
奥には、低い丘と、明るい空がある。
館の記録は、題と材料しか書いていない。
寸法の欄は、はっきりしない。
見えるのは、草が資材として扱われていることである。
葦は屋根を葺き、籠を編むのに使われた。
つまりここでの草は、収穫の対象である。
九点のうち、草が刈られているのは、この一点だけである。
そして刈られた葦は、束にされている。
束にすると、一本ずつの区別は消える。
太さと長さだけが問題になる。
つまり材料になった瞬間に、草は数から量に変わる。
画面の左に立つ葦は、まだ数えられる。
右に運ばれる束は、もう数えられない。
同じ一枚の中で、その変化が起きている。
家畜の背に載る荷も、同じ束である。