作品を知る

草を描くことは、余白を決めること——梁楷・探幽・ドービニーほか九点

一隅の葦、鴨のそばの数本、白鷺の背後。九点のうち四点で、草は画面の一部だけを占め、残りは空白だった。草の一本ずつを数えられるのは東アジアの四点で、西洋では草は塊か短い線の集まりである。草を描くことは、描かない場所を決めることでもある。

水鳥と蘆
梁楷《水鳥と蘆》クリーヴランド美術館蔵

画面の隅にだけ、葦がある

小さな正方形に近い画面である。

画のみで23.4×23.5センチしかない。

絹の地は茶色く沈んでいる。

画面の左下の隅に、岩がある。

岩は薄い墨でぼかされ、輪郭が柔らかい。

その岩から、細い茎が何本も伸びる。

茎はまっすぐではなく、上でわずかに垂れる。

先には、穂がある。

穂は細かい点の集まりで表される。

葦である。

葦の根元に、鳥が二羽いる。

一羽は水の中に立ち、首を縮めている。

もう一羽は、その後ろで頭を下げる。

体は薄い墨で、輪郭線がほとんどない。

そして画面の右上には、何も描かれていない。

絹の地が、そのまま残されている。

水鳥と蘆
梁楷《水鳥と蘆》1200年代初め。館の記録では、掛幅・絹本墨画。画のみで23.4×23.5センチ。番号は1984.42。クリーヴランド美術館蔵。梁楷《水鳥と蘆》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、これはもと画帖の一葉で、いまは掛幅に仕立て直されている。

作者は宮廷の画家として仕えた時期がある。

その才を認められ、画家に与えられる最高の栄誉を受けたという。

しかし、その地位を離れ、寺での簡素な暮らしを求めた。

館の記録は、そう書いている。

そして構図についても説明がある。

一隅の構図と呼ばれる作り方である。

片側を空白のまま残すことで、空間の広がりを感じさせる。

館の記録は、そう読んでいる。

つまり、この葦は隅にあることに意味がある。

そして館は、この作者の描き方についても書いている。

省略の多い様式と、墨一色の表現の強さが、禅の理念を体現すると理解されてきた。

そしてそれは、のちの仏教の画家たちに受け継がれたという。

館の記録は、そう説明している。

つまり省くことが、この画面の内容である。

葦の本数も、少ない。

数えれば十本に満たない。

その少なさで、水辺という場所が示されている。

そして表装を含めれば、全体は108センチになる。

画そのものは23センチ四方しかない。

小さな面が、長い軸の中ほどに据えられている。

草は、名前を持たないことが多い

この一葉を出発点に、葦と草の絵を九点数えていく。

葦や薄のような草は、木ほど個体として扱われない。

一本ずつではなく、群れとして描かれる。

そして多くの場合、水辺にある。

先に言ってしまうと、九点のうち、葦が水辺に群れているのは五点である。

二点では、草は集められ、刈られる対象になる。

一点では、草は寓話の登場人物になる。

そして一点では、草は名の分からないまま画面を埋めている。

前の回で実が高さで読めることを見た。

草の場合、読めるのは密度である。

一本ずつ数えられるほど疎らか、数えられないほど密か。

その差が、画面の作りをそのまま表している。

鴨のそばに、葦が数本

二点目は、画帖の一葉である。

鴨と蘆
狩野探幽《鴨と蘆》1650年ごろ。館の記録では、紙本墨画の画帖の一葉。画面は21.3×27.3センチ。番号は14.76.61.61。メトロポリタン美術館蔵。狩野探幽《鴨と蘆》メトロポリタン美術館蔵

横長の小さな紙である。

21.3×27.3センチしかない。

画面の右下に、鴨が二羽いる。

手前の一羽は、体を横に向けている。

くちばしは平たく、前へ伸びる。

背中は濃い墨で塗られ、腹は白い。

奥の一羽は、首を持ち上げている。

その後ろに、葦が数本立つ。

茎は細く、上へまっすぐ伸びる。

葉は細長く、片側へ垂れる。

穂は付いていない。

画面の左半分には、何も描かれていない。

つまりこの一葉も、片側を空けている。

館の札は「鴨」の一語である。

葦は札に入っていない。

しかし題には、両方の名がある。

前の回で見た水鳥の絵では、鳥が主役だった。

こちらでも、館の分類では鳥が先に来る。

草は、鳥の居場所として数えられている。

墨の濃さも見ておきたい。

鴨の背中はもっとも濃く、葦はそれより薄い。

そして地面は、さらに薄い。

三段の濃さで、手前から奥へ並んでいる。

線の太さも三段に分かれる。

鴨の輪郭は太く、葦の茎は細く、地面の線はかすれている。

濃淡と太さの二つで、奥行きが作られている。

色は一切使われていない。

白鷺の後ろに、葦が茂る

三点目は、細長い掛幅である。

白鷺と蘆
ヤン・ギフン《白鷺と蘆》1800年代後半。館の記録では、掛幅・紙本墨画。全体は196×61センチ。番号は2015.509。クリーヴランド美術館蔵。ヤン・ギフン《白鷺と蘆》クリーヴランド美術館蔵

たいへん細長い掛幅である。

全体で196×61センチある。

画面の下のほうに、水辺がある。

地面は薄い墨で示される。

そこに白い鳥が一羽立っている。

首は長く、S字に曲がる。

くちばしは細く尖る。

脚は細く、水に浸かっている。

白鷺である。

その背後から、葦が高く伸びる。

茎は何十本もあり、画面の上まで届く。

葉は細長く、左右へ跳ねる。

穂は上のほうで垂れている。

墨の濃さは、手前ほど濃く、奥ほど薄い。

館の記録では、白鷺が塩性の湿地の岸を歩いている。

そこには葦が豊かに茂る。

作者は水鳥の主題に並ぶ者がなかったという。

そして、ある川の河口が観察と写生の場だったかもしれないと記録は書く。

さらに、館は主題の意味にも触れている。

この画家は自然を観察者の目で扱ったが、選んだ主題は伝統の記号でもある。

白鷺は学者の隠棲を、葦は謙虚と控えめを指す。

館の記録は、そう説明している。

つまりこの葦は、控えめであることのしるしとして高く茂っている。

高さと意味が、逆になっている。

そして掛幅の比も極端である。

高さ196センチに対し、幅は61センチしかない。

三倍を超える縦長である。

葦は、その縦の長さをそのまま使って伸びる。

もし横長の画面なら、葦は途中で切れてしまう。

判型が、草の丈を決めている。

白鷺の首がS字に曲がるのも、縦の空間の中で目を止めるためだろう。

屏風いっぱいに、草花が並ぶ

四点目は、大きな屏風である。