レンブラントは、皺をどう塗ったか——絵具の厚みで時間を示す
なぜ、老人ばかり描いたのか
もう一つの疑問に触れておきたい。彼は生涯を通じて、老人の顔を描き続けた。
若い頃の《金の鎖をつけた老人》もそうだし、晩年の自画像もそうである。皺のある顔が、繰り返し主題になっている。
理由はいくつか考えられる。まず、市場の需要である。先に触れた「顔の習作」は、老人の顔が好まれた。
皺や髭は、描き手の腕を見せるのに都合がよい。買い手にとっても、技量を確かめやすい。
次に、素材としての面白さがある。皺の刻まれた顔は、光を複雑に受ける。平らな若い肌より、はるかに変化に富む。
そして三つ目に、聖書の主題との相性がある。預言者、使徒、老いた両親。物語画の登場人物に、老人は欠かせない。
だが、それだけではないだろう。晩年の自画像を並べると、彼が自分の老いを、観察の対象として扱っていることが分かる。
同じ顔を、条件を変えて何度も描く。モネが積みわらでやったことを、彼は自分の顔でやっていたとも言える。
悲劇の天才、という物語
もう一つ、気をつけておきたいことがある。彼の生涯には、できすぎた物語が付いて回る。
若くして成功し、妻を失い、破産し、孤独のうちに死んだ天才。十九世紀のロマン主義的な読み方である。
その筋書きに合わせて、晩年の粗い筆致は「苦悩の表れ」と説明されてきた。分かりやすい話ではある。
だが記録を追うと、話はもう少し散文的になる。彼は最後まで注文を受け、弟子を取り、絵を売っていた。
破産も、当時のアムステルダムでは珍しい出来事ではない。市場は投機的で、多くの商人が同じ目に遭っている。
そして晩年の技法は、突然の変化ではない。三十代から少しずつ厚塗りへ向かっており、連続した変化である。
不幸が様式を変えた、という説明は魅力的だが、証明されたものではない。むしろ、市場と技術と加齢が同時に働いた結果と見るほうが妥当だろう。
伝記が絵の見え方を作ってしまうことは、しばしばある。物語を一度外して、画面だけを見てみるのがよい。
時間を、絵具の量で示す
最後に、この記事の見立てを書いておきたい。
晩年のレンブラントがやっていたのは、たぶん「時間を厚みに翻訳すること」だったのだと思う。
若い頃の絵では、皺は形として描かれていた。線の集まりであり、記号である。
晩年の絵では、皺は絵具の量になっている。塗り重ねた層が、そのまま顔の起伏になる。
生きてきた年月を、絵具の堆積で示す。理屈としては単純だが、これを実行できた画家は多くない。
そして自画像には、もうひとつの層が重なる。描いている本人が、描かれている顔と同じだけ年を取っている。
制作の時間と、モデルの人生が、同じ速度で進む。自画像だけが持つ条件である。
彼は生涯におよそ八十点の自画像を残したとされる。油彩、版画、素描を合わせた数である。
それだけの数を並べれば、一人の人間の顔が変わっていく記録になる。連作という言葉が生まれる二百年前に、彼はそれをやっていたことになる。
拡大して、絵具を見る
この記事で見た五枚は、いずれも CC0 として公開されている。拡大して細部を確かめられる。
まず1631年の老人の、金の鎖を拡大してほしい。輪の一つずつに小さな光の点が置かれているのが見える。
次に1659年の自画像の額を拡大する。皺の谷に暗い絵具が溜まり、山の上に明るい絵具が乗っているのが分かる。
同じ画家が、同じ主題を、まったく違う手つきで作っている。二十八年という時間が、そこに見えている。
そして最後に、両方を縮小して並べてほしい。細部が消え、顔の印象だけが残る。
そのとき、若い頃の絵より晩年の絵のほうが、はるかに強く見えるはずである。少ない情報で、より多くを伝えているからだ。
省略の効き方については、浮世絵を扱った別のコラムでも書いた。描く量と伝わる量は、比例しない。









