レンブラントは、皺をどう塗ったか——絵具の厚みで時間を示す
成功と、破産
この変化を、生活の側から見ておきたい。彼の五十年は、かなり起伏が激しい。
1606年、オランダのライデンに生まれた。粉挽き屋の息子である。
二十代でアムステルダムへ出て、集団肖像画で名を上げた。注文が相次ぎ、弟子を取り、大きな家を買った。

サスキアとの結婚は、社会的にも有利な縁組だった。彼女の実家は名家で、画商とのつながりもあった。
だが1642年、彼女は病で世を去る。子どもは一人、ティトゥスだけが育った。
その後の二十年は、金銭の面で苦しい。収集癖もあって支出は大きく、家の支払いが滞る。
1656年、ついに破産の手続きに入る。財産の目録が作られ、絵も、古美術も、家も売られた。
以後の彼は、内縁の妻と息子が作った会社に雇われる形で絵を描いた、と記録されている。自分の名前では商売ができなかったためである。
1659年の自画像は、その少しあとに描かれている。
版で刷る画家でもあった
油彩ばかり見てきたが、彼の収入の一部は版画だった。ここも押さえておきたい。
銅板に針で線を刻み、インクを詰めて紙に刷る。エッチングという技法である。

版画は複数枚が刷れる。彼はこれを商品として売り、同時に実験の場としても使った。
同じ版に手を入れて刷り直すことも多い。線を足し、削り、明暗を変える。刷った時期によって画面が違う。
こうして生まれた各段階を、版画では「ステート」と呼ぶ。収集家は、どの段階の刷りかを気にする。
ここで思い出したいのが、浮世絵の話である。別のコラムで、同じ版から刷られた三枚が別々の時間を過ごしていると書いた。
レンブラントの版画も同じで、原本の一枚は存在しない。しかも彼の場合、版そのものが途中で変わっていく。
油彩では厚みで時間を示した画家が、版画では版を彫り直すことで時間を刻んでいる。手つきは一貫している。
切られた大作
彼の代表作とされる集団肖像画にも、時間の話がある。1642年の、市民自警団を描いた大画面である。
当サイトでは扱っていない作品だが、この記事の主題に関わるので触れておきたい。
十八世紀の初め、この絵は移設のさいに四方を切り詰められた。掛ける場所の壁に収まらなかったためである。
左側からは人物が二人ぶん失われたとされる。いま私たちが名画として見ているのは、切られたあとの状態である。
作品は完成した時点で止まらない、という話はゴッホの《寝室》のコラムでも書いた。褪せる、直される、そして切られる。
四百年を経た絵を見るということは、その履歴も含めて見るということである。
顔が、商品でなくなるとき
破産の前後で、注文の性質も変わっている。
若い頃の彼は、市民団体の集団肖像画や、裕福な商人の夫婦像を手がけた。値の張る、公の仕事である。
晩年になると、そうした大口の注文は減る。かわりに増えるのが、個人の胸像や、聖書の主題の小さな絵である。

この絵の表面を見てほしい。顔と手には厚い絵具が置かれ、衣は絵具を引きずるように塗られている。
赤い衣は、一色ではない。下の層に暗い赤があり、その上に明るい赤が擦りつけられ、さらに黄色みの筆が走っている。
こういう画面は、注文主に喜ばれたのだろうか。当時の記録には、彼の粗い仕上げを批判する声も残っている。
同時代の伝記には、完成していないように見えるという苦情に対し、絵は近づいて嗅ぐものではない、と彼が答えたという話が伝わっている。
逸話の真偽は分からない。ただ、離れて見ることを前提にした絵だという主張が、そこにはある。
絵具に、触れている
技法の面をもう少し見ておきたい。晩年の彼は、筆だけで描いていない。
パレットナイフや、筆の柄の端も使っている。絵具を塗るというより、置き、削り、掻き取る。
明るい部分には、白を多く含む絵具が盛られる。乾くと表面が固く隆起し、実際の光を受けて影を作る。
つまり画面に、本物の凹凸ができる。絵の中の光と、絵の表面に当たる光が、二重になっている。
これは複製では伝わりにくい性質である。画像で見るかぎり、盛り上がりは平らな模様として写る。
美術館でこの種の絵を見る機会があれば、少し斜めから見てほしい。表面が波打ち、光の当たり方で表情が変わるのが分かる。
もっとも、拡大画像には別の利点がある。絵具の粒立ちや、筆の柄で引っ掻いた線を、実物より近くで確かめられる。
見る条件については別のコラムで書いた。厚塗りの絵は、条件の差がとりわけ大きく出る部類である。