画家を知る

年の欄に、年が二つ書かれる——フレデリック・レミントン

山の男
フレデリック・レミントン《山の男》1903年、1907年3月までに鋳造。青銅。館の記録では、縦70.5センチ、横30.5センチ、奥行き25.4センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フレデリック・レミントン《山の男》メトロポリタン美術館蔵

最も高い一点

いま見た一点は、七点の彫刻で最も高い。

縦70.5センチ。

しかし、横は30.5センチしかない。

縦が横の二倍以上ある。

馬が急な斜面を下りる姿勢で、上下に細長い。

台そのものが斜面の形をしている。

暗い画像

この一点の画像は、他の六点と背景が違う。

暗い灰色の地の上に、像が置かれている。

そのため、青銅の輪郭がはっきり出る。

明るい背景では、細い脚や尾が背景に紛れる。

撮り方が、見え方を大きく変えている。

斜面という台

台を斜めに作れば、馬は自然に前傾する。

四本の脚のうち、前二本が下に、後二本が上にくる。

支えは分散し、安定する。

先に見た跳ね上がる像とは、逆の考え方である。

同じ作者が、両方の解き方を使っている。

月が書かれた理由

この一点だけ、鋳造の時期に月が入っている。

1907年3月までに、と書かれる。

その時点で、この像が存在したことを示す資料があるのだろう。

展覧会の記録か、売買の記録か。

記録には、その出所が書かれていない。

軍曹
フレデリック・レミントン《軍曹》1904年、1939年より前に鋳造。青銅。館の記録では、縦26.4センチ、横13.3センチ、奥行き10.2センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フレデリック・レミントン《軍曹》メトロポリタン美術館蔵

馬のいない一点

七点の彫刻のうち、この一点にだけ馬がいない。

頭と肩だけの像である。

つばの広い帽子をかぶり、正面を向く。

下は四角い柱で、そのまま台になる。

支える点の問題は、ここでは起きない。

帽子という形

この一点で目を引くのは、つばの広い帽子である。

つばは波打ち、前が下がり、横が跳ね上がる。

顔より帽子のほうが大きい。

青銅では、薄く広がる面を作りやすい。

石では欠けやすく、木では割れやすい。

材料が、この形を可能にしている。

最も小さい一点

この一点は、七点で最も小さい。

縦26.4センチ。最も大きい一点の四割に満たない。

奥行きも10.2センチしかない。

机の上に置ける大きさである。

大きな群像とは、想定されている置き場所が違う。

描かれた人について

題は、軍隊の階級である。

十九世紀後半の西部には、軍の部隊が置かれていた。

その任務には、先に住んでいた人々との衝突が含まれる。

この彫刻家の作品は、当時の白人の側から見た西部を主題にしている。

いま見るときには、その視点の偏りを踏まえる必要がある。

源流にて——渡渉点を探すバージェス
フレデリック・レミントン《源流にて——渡渉点を探すバージェス》1893年ごろ。紙に水彩。館の記録では、縦52.1センチ、横77.5センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フレデリック・レミントン《源流にて——渡渉点を探すバージェス》メトロポリタン美術館蔵

水彩という技法

紙に水彩で描かれているが、色は乏しい。

褐色と灰色を薄く重ね、白は紙の地を残して作る。

こうした描き方は、印刷の下絵によく使われた。

版に起こすとき、色数の少ないほうが扱いやすい。

この一点も、雑誌の挿絵のために描かれたのかもしれない。

記録には、その用途が書かれていない。

二つの数字しかない一点

いま見た一点は、彫刻ではない。

紙に水彩である。

寸法は、縦52.1センチ、横77.5センチの二つだけ。

奥行きの欄はない。

同じ作者の八点でも、種類が違えば記録の形が違う。

年が一つだけ

この一点の年は、1893年ごろ、とだけ書かれる。

一つの年に、ころ、が付くだけである。

鋳造の年は要らない。

紙に描いた絵は、描いた時点で完成している。

原型と複製の関係が、そもそもない。

彫刻と絵で、年の欄の作りが変わる理由はここにある。

題に、人の名が入る

この一点の題には、二つの部分がある。

場所を示す語と、人の名を含む説明である。

そのあいだに、長い横棒が二本続けて置かれる。

八点の中で、こうした区切りはこの一点だけである。

もとの記録の書式が、そのまま残っている。

署名

この一点の右下には、署名が読める。

その下に、年らしい数字も見える。

記録の年に、ころ、が付いているのは、なぜだろう。

画面の数字が読みにくいのかもしれない。

遠くの騎手たち

画面には、十人ほどの騎手が横に散らばっている。

手前の数人は大きく、奥の数人は小さい。

地面は平らで、遠くに低い丘が続く。

色は褐色と灰色にとどまり、鮮やかな色はない。

紙の色が、そのまま地面の色として使われている。

台紙ごと写る

この一点の画像には、周りに白い縁が写っている。

紙を貼った台紙だろう。

作品そのものは、その内側の範囲である。

記録の寸法は、内側の紙のものだと考えられる。

画像に写っている範囲と、記録の数字が一致しない。

八点のうち、こうした例はこの一点だけである。

二重の年を、読む

最後に、年の欄をまとめておく。

原型の年と鋳造の時期を書くものが六点。

原型と改訂と鋳造を書くものが一点。

年を一つだけ書くものが一点。

彫刻では、年は一つに決まらない。

その事情を、記録は正直に書いている。

十年という時期

七点の彫刻の原型は、1898年から1908年の十年に収まる。

水彩の一点は、それより五年ほど古い。

つまり、絵が先で、彫刻が後である。

平面で試したものを、立体に移した順序が見える。

もっとも、八点だけでそう言い切ることはできない。

支える点を、数える

そして、彫刻の画像を見るときには、台との接点を数えてみるとよい。

馬の脚が何本地面にあるか。

そのほかに、何が支えになっているか。

草の塊、切り株、岩、尾、倒れた人。

七点のうち六点で、脚以外の支えが使われている。

見た目の激しさは、その支えによって成り立っている。

西部を主題にした絵については、「記録」という言葉を、疑ってみる——ジョージ・カトリンの肖像も参照されたい。

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