作品を知る

花の名が、春の代わりをする——ヒード・陳洪綬・ベローズほか九点

プラムと梅の、あいだ

プラムの語で集めると、こういう紙も挙がってくる。

ダマスカスプラム
B・ミシェル《ダマスカスプラム》1768年。館の記録では、水彩。番号は1939.280。クリーヴランド美術館蔵。B・ミシェル《ダマスカスプラム》クリーヴランド美術館蔵

枝に、青紫の実が三つぶら下がっている。

下には、もいだ実と、割った実と、種が並ぶ。

画面の隅には、小さな白い花も描かれている。

フランスの植物画である。

実の姿を正確に伝えるための、図鑑のような水彩だ。

枝ぶりや葉の付き方まで、観察の目で写し取られている。

記録は作者の名と年と技法だけの、短いものである。

寸法の欄も空いている。

版画クラブからの寄贈で、ある人の追悼として館に入ったことだけが分かる。

これは春の絵ではない。

実がなっているのだから、季節はむしろ夏から秋である。

それでも挙がってきたのは、梅とスモモが英語では同じプラムだからである。

日本語は、梅と桜と桃とスモモを別の名で呼び分ける。

英語の記録では、その区別がプラムやチェリーの語にまとめられてしまう。

花の名前で季節を書き分ける文化と、そうでない文化がある。

言葉で絵を集めると、その継ぎ目がこうして見えてくる。

この一枚は、九点のなかの物差しとして残しておく。

区別の細かさは、その花への関心の深さでもある。

雪の呼び名が多い土地は、雪をよく見ている土地である。

花の名前を呼び分ける絵の伝統は、花ごとに別の季節と別の意味を託してきた。

ここまでの五点を数えると、花の名前が題に入ったものが四点ある。

林檎、桃、梅、そしてスモモ。

春という字は、まだ一度も題に現れていない。

名前の分かる花は、それだけで季節の証明になるからである。

後半の四点で、事情は逆転する。

春を、山盛りにする

東アジアの三点は、枝の一本や文様で春を示した。

西洋の春は、もっと物量で来る。

春の花
クロード・モネ《春の花》1864年。館の記録では、油彩・カンヴァス。116.8×90.5センチ。額を含めて144.5×117.2×12.1センチ。番号は1953.155。クリーヴランド美術館蔵。クロード・モネ《春の花》クリーヴランド美術館蔵

暗い背景の前に、花が山と積まれている。

館の記録では、シャクヤク、鉢のアジサイ、籠のライラックが数えられている。

奥にはゼラニウムが立ち、花は手前へあふれ落ちる。

一メートルを超える、大きな静物画である。

描いたのは、二十四歳のモネである。

署名の脇には、64の年記がある。

館の記録では、画業が実り始めた最初の年の作だという。

のちに移ろう光の画家になる人が、まず花を数え上げるように描いた。

ほとんど科学のような正確さ、と記録は評している。

それでいて、葉や花びらの上で光が躍る様子は、すでに勢いのある筆で書かれている。

移ろいやすいものへの関心は、この早い一枚にもう表れていると記録は読む。

暗い背景から花を浮かび上がらせる構図が、新鮮さのもとだともある。

来歴の欄には、兄レオンの手元にあったことが書かれている。

家族が持ち続けた、若い日の大作だったことになる。

館へ来たのは、1953年である。

そして付記には、画家自身の言葉が伝えられている。

画家になれたのは、たぶん花のおかげだ、という一句である。

睡蓮の池にたどり着く人の出発点に、切り花の山があった。

枝ではなく、籠と鉢で春を運ぶやり方については、花瓶画の四百年を数えた回でも見た。

集めて、盛って、あふれさせる。

一枝のヒードとは、正反対の春である。

桜は、実になってから来た

ここまでの春は、どれも咲いている花だった。

咲いたあとのことは、まだ画面に出てきていない。

桜桃(ポモナ・ブリタニカより・第十)
ジョージ・ブルックショー《桜桃(ポモナ・ブリタニカより・第十)》1805年、1812年刊。館の記録では、色刷りのアクアチントとスティップル、手彩色。版の跡は41×31.1センチ。紙は53.9×42.3センチ。番号は2020.168。クリーヴランド美術館蔵。ジョージ・ブルックショー《桜桃(ポモナ・ブリタニカより・第十)》クリーヴランド美術館蔵

三本の枝が、上下に分けて並べられている。

上の枝には、黒く熟した実がひとかたまり。

下の左には、白から桃色へ移る実が、割ったものと一緒に置かれる。

下の右には、赤い実が細い柄でぶら下がっている。

葉は、表と裏の両方が見えるように描き分けられている。

背景は、上半分が生成り、下半分が焦茶に塗り分けられている。

黒い実は明るい地に、淡い実は暗い地に置かれた。

実の色が沈まないように、地の色のほうを変えてある。

図譜の作りが、そこに出ている。

下の縁には、飾り枠の中に版の番号と刊記が刷り込まれている。

館の記録では、これは1812年の図譜《ポモナ・ブリタニカ》の一葉である。

ポモナは、果樹と庭と果樹園をつかさどるローマの女神の名だという。

イギリスの田舎紳士のための、果実を見分け分類する手引きとして作られた。

図の元になった実の多くは、ハンプトン・コートとケンジントンの王室庭園から来たとある。

一図につき一種の果実を、しばしば実物大で載せた。

花と葉も、細かく描き込んだという。

色刷りに手彩色を重ねたこうした植物図譜は、当時の教養ある蔵書に欠かせないものだった。

豆知識の欄には、この果実がイギリスへ入った由来まで書かれている。

大陸で味を知った王が、国へ入れるよう命じたのだという。

さて、ここまでの八点に、桜の花は一度も咲かなかった。

その桜の字が、この一葉でようやく題に現れる。

ただし、花ではなく実の名としてである。

しかもこの葉には、花のほうが描かれていない。

春の花を集めていくと、いちばん名の通った春の花だけが、するりと抜けていく。

そして抜けた先で、実になって待っている。

花の絵は、その先が何になるかを見せない。

実の絵は、その前が何だったかを見せない。

一本の木を、絵は二度に分けて描いてきたのである。

花のない春も、ある

残る二点には、花が見当たらない。