作品を知る

花の名が、春の代わりをする——ヒード・陳洪綬・ベローズほか九点

春と題した絵は、九点のうち三点しかない。残りは林檎、桃、梅と、木の名前だけで季節を告げる。東アジアは一枝で、西洋は籠に山盛りで。数えると、この九点に咲いた桜はなく、桜の字が出るのは実を並べた図譜だけ。梅は英語の記録でプラムと書かれていた。

林檎の花
マーティン・ジョンソン・ヒード《林檎の花》クリーヴランド美術館蔵

一枝の花が、机の上にある

こげ茶色の卓の上に、花の付いた枝が一本、立てかけてある。

花びらは白く、つぼみは濃い桃色をしている。

若い葉が、花のあいだから伸びはじめている。

背景は、飾りのない暗い壁である。

卓の上には、散った花びらが一枚落ちている。

白い花びらと桃色のつぼみは、一目見れば、桜かと思う色である。

だが、題は《林檎の花》である。

果樹の花は、こんなふうに互いによく似ている。

林檎の花
マーティン・ジョンソン・ヒード《林檎の花》1873年。館の記録では、油彩・カンヴァス。35.8×30.7センチ。番号は1915.687。クリーヴランド美術館蔵。マーティン・ジョンソン・ヒード《林檎の花》クリーヴランド美術館蔵

描いたのは、アメリカの画家ヒードである。

館の記録では、長い画歴のなかで百五十点ほどの花の静物を描いた。

そのなかでも、これは飾りをそぎ落とした一枚だという。

一本の枝と、卓と、壁。

花瓶さえない。

切り口を下にして、枝はじかに立てかけられている。

それだけで、画面は春になっている。

画面の左下には、署名と1873の年記が入っている。

来歴の欄によれば、1878年までにはクリーヴランドの収集家の手にあった。

その遺贈で、1915年に館へ入っている。

描かれてから五年のうちに買われ、百五十年近く同じ町にある勘定になる。

付記には、画家の暮らしぶりも書かれている。

花を摘んで束ね、朝食の食卓に飾るのを楽しみにしていたという。

一つの主題だけを集めた収集家の回で見たように、アメリカの静物画は熱心に集められてきた。

この一枝も、そうして館に入った一枚である。

さて、ここで考えたいことがある。

この絵のどこにも、春という字はない。

暦も、気温も、描きようがない。

それでも、花の付いた枝を見れば、春だと分かる。

季節は、花の名前で書いてある。

では、どの花が春を受け持ってきたのか。

桜か、梅か、それとも別の花か。

九点を並べて、花の名前を数えてみる。

桃が受け持つ春と、梅が受け持つ春

次の一枝は、中国の画帖から来た。

桃花の枝と鳥(古人に倣う画より)
陳洪綬《桃花の枝と鳥(古人に倣う画より)》17世紀。館の記録では、画帖の一葉、絹本着色。30.2×26.7センチ。番号は1979.27.2.14。クリーヴランド美術館蔵。陳洪綬《桃花の枝と鳥(古人に倣う画より)》クリーヴランド美術館蔵

太い枝が画面を斜めに横切り、白い桃の花が咲いている。

枝の上には、丸い体の小鳥が一羽とまっている。

花びらの白には、うっすらと輪郭が引かれ、葉は淡い緑に塗り分けられている。

鳥は目を細くあけて、花のほうへ首を伸ばしている。

明代の終わりを生きた画家、陳洪綬の筆である。

館の記録では、二十枚からなる画帖の一葉だという。

山水も人物も花も入った、晩年の画帖である。

来歴の欄には、清の高官、翁同龢の旧蔵とある。

その子孫から、1979年に館が買い入れた。

古人に倣う、と題にあるとおり、昔の絵に学んだ画風で描かれている。

銘の欄には、皇帝徽宗に倣って描き、人に贈ったと読める句が写されている。

晩年の陳洪綬は、画面の中のものを小さく描いた。

世界を縮めて手元に置く、庭や盆石のような見方だと記録は読む。

明の滅亡を生きた人々の、縮こまった暮らしの反映だという読みも添えられている。

小さな春の枝の後ろに、大きな時代の影が差している。

それでも、枝の花と小鳥だけを切り取れば、画面は静かで晴れやかである。

春の絵は、描かれた事情まで抱えて明るい。

桃は、中国の絵で春を受け持ってきた花である。

桃源郷の伝説が示すように、春の景色のしるしとして長く描かれてきた。

同じ東アジアでも、日本の絵では、その席にまず梅が座る。

土地が変われば、春の花の顔ぶれも入れ替わる。

梅の木の下の女、藤娘に見立て(大津絵の人物に見立てた女より)
柳川重信《梅の木の下の女、藤娘に見立て(大津絵の人物に見立てた女より)》1830年代初めごろ。館の記録では、多色摺の木版(摺物)。紙は20.2×18.5センチ。番号は1921.319。クリーヴランド美術館蔵。柳川重信《梅の木の下の女、藤娘に見立て(大津絵の人物に見立てた女より)》クリーヴランド美術館蔵

縞の着物の女性が、笠をかぶり、梅の木のそばに立っている。

梅の枝は、細かい花を付けて、女性の足元から画面の縁まで伸びる。

紙の上部には歌が摺られ、右下には柳川重信の署名がある。

背後には、藤の枝をかつぐ娘の絵が掛かっている。

大津絵の藤娘である。

大津絵は、街道の土産として売られた素朴な絵である。

その絵の人物に町の女性をなぞらえる趣向で、揃いものが組まれている。

館の記録では、女性を大津絵の人物に見立てた揃いものの一枚だという。

踊りの型に由来する主題であることを、後ろの絵が示しているとある。

これは摺物という種類の版画である。

仲間うちや歌の会で配るために、手間をかけて摺られたものだという。

売り物の錦絵とは、作られ方が少し違う。

多色摺の技法そのものは、錦絵の誕生を扱った回で見たとおりである。

この一枚には、春の花が二つ入っている。

立っている女性のそばには梅、掛かっている絵には藤。

梅は早春の花、藤は春の終わりの花である。

一枚の紙の上で、季節がゆるやかに幅を持っている。

ここで、桜と梅の使い分けにも触れておきたい。

日本の春は、梅に始まり、桜で盛りを迎える。

梅は寒さの残るうちに、香りとともにほころぶ花である。

桜は暖かさとともに一斉に咲き、数日で散る。

だから正月の飾りや新春の絵には梅が置かれ、花見の絵には桜が咲く。

摺物は仲間うちに配る紙だから、年の初めの句や歌と結びつきやすい。

梅がこの紙に呼ばれたのは、そういう役回りの違いからだと考えられる。

梅は、器にも住む

梅の受け持ちは、紙の上だけではない。

梅花文の茶入 一対
青木木米《梅花文の茶入 一対》1800年代初め。館の記録では、染付の磁器。全体で7.7×4.8センチ。番号は1989.265。クリーヴランド美術館蔵。青木木米《梅花文の茶入 一対》クリーヴランド美術館蔵

高さ8センチに満たない、四角い小さな容れ物が二つ。

藍色の地に、白い梅の花が一面に咲いている。

煎茶のための茶入である。

作ったのは、京都の陶工、青木木米である。

館の記録では、江戸後期の京焼を代表する三人の名工の一人に数えられる。

料理屋の家に生まれ、陶工であり、書家であり、画家であり、学者でもあった。

中国の焼き物に倣った磁器を得意にしたという。

とくに、煎茶の道具を多く手がけたとある。

藍で下絵を描くこの技法は、染付と呼ばれる。

字のとおり、染めるように付ける、の意だと記録は説明する。

白い素地に藍の梅と、藍の地に白抜きの梅。

二つの茶入で、地と花の関係が反転して見えるのも楽しい。

底には、藍で署名が入っている。

記録には、器を包む絹の袋や、箱書きのことまで書かれている。

袋は細かい文様の絹で、飾りと保護を兼ねるという。

外箱のふたには、木米が箱に字と絵を入れたことが書き付けられている。

内箱のふたには木米自身が署名し、中国の杭州の湖の絵を描いたとある。

ふたの裏には、かつての持ち主の署名と印まで残る。

小さな茶入一対に、これだけの記録が付いて回る。

器と袋と箱が、まとまって一つの作品なのである。

梅の文様は、季節を問わず使われる。

それでも、湯を注ぐ手元に早春を呼ぶ図柄であることは変わらない。

絵のなかの春は、こうして道具の上にも住みつく。

ところで、この茶入の題を英語の記録で見ると、面白いことがある。

梅の花は、プラムの花と書かれているのである。