皿の上のアメリカ——スタッフォードシャーの転写皿
独立戦争と1812年戦争で二度戦った相手国の英雄と名所を、イギリスの窯が皿にして売った。ナイアガラ、議事堂、そして英国が負けた海戦まで。藍色の転写皿九点から、外交より速く和解する商売の仕組みと、記録写真の価値を読む。

藍色の小皿に、議事堂が沈んでいる
一枚の皿から始めたい。絵画でも版画でもなく、食卓の皿である。

径16.2センチ。手のひらにおさまる小皿である。
パンやお菓子を載せる大きさ、といえば見当がつくだろうか。
中央に、白い建物が浮かんでいる。ワシントンの国会議事堂だ。
アメリカの政治の中心が、菓子皿の底に描かれている。
低い丸屋根を真ん中に置き、左右に棟を張り出す。のちの大きな丸屋根が載る前の、初期の姿と考えられる。
建物の手前には木立が茂り、小さな人影が歩く。空には雲が流れる。
議事堂は丘の上の威容としてではなく、木々の間の眺めとして描かれている。
政治の中枢というより、散歩の途中に見える名所である。
縁には花の飾りが、ぐるりと巡っている。
大ぶりの花と葉が連なり、中央の風景を額縁のように囲む。
そして画面のすべてが、濃い藍色である。
にじむほど濃いコバルトの青。この種の藍は、のちに「フロー・ブルー」とも呼ばれた。
流れる青、という意味の呼び名である。
焼成の間に顔料がわずかに流れ、輪郭がほのかに溶ける。
濃紺の絵が、白い素地に沈み込むように定着している。
版画のような線の絵でありながら、水に濡れたような深さがある。
この深い藍が、これから見ていく皿の共通の色である。
筆では、描いていない
この絵は、手で描かれたものではない。
銅版画を、皿に写し取ったものである。
手順はこうだ。まず銅版に図柄を彫る。顔料をすり込み、薄い紙に刷る。
その紙を素焼きの素地に貼り付けて、図柄を移す。
紙は薄いから、皿の曲面にもなじむ。
平らな版画を、丸い皿の上に着地させるための工夫である。
中央の風景と縁の飾りは、それぞれ別に刷って貼り合わせる。
紙を洗い流し、釉薬をかけて本焼きする。
絵は釉薬の下に封じられ、こすっても洗っても消えない。
毎日ナイフとフォークが当たる食器には、この丈夫さが欠かせない。
飾り皿ではなく、使う皿のための技術である。
この技法は18世紀後半、イギリスで発達した。転写印刷という。
利点ははっきりしている。同じ絵を、何百枚でも作れることだ。
絵付け職人が一枚ずつ描くより、はるかに速く、安い。
しかも一枚ごとの出来のばらつきがない。
手描きなら熟練の腕が要る細かい建物も、銅版なら彫版師が一度彫ればすむ。
議事堂の柱の一本一本まで、量産品に刷り込める。
版画の複製力を、陶器が取り込んだのである。
分業も進んだ。図柄を彫る彫版師と、皿を焼く窯は、別の職能である。
一枚の銅版が仕上がれば、あとは刷って、貼って、焼くだけでよい。
売れ筋の図柄は版を替えて、大皿にも小皿にも展開できた。
顔料にコバルトが選ばれたのにも、理由がある。
高温の焼成に耐える青だからである。白地に青の器は、東洋の染付にも通じる好みだった。
量産の技術が器を庶民に届けた話は、当サイトで前にも書いた。
型で押すか、手で吹くかである。
ガラスは型で押し、陶器は転写で刷る。別の材料が、同じ方向へ進んだ。
問い——なぜ、敵国の名所を焼くのか
ここで問いを立てたい。
この皿を作ったのは、イギリスの窯である。
スタッフォードシャー地方、バースレムの町のイーノック・ウッド・アンド・サンズ。
1818年ごろから46年ごろまで活動した窯と、所蔵館の記録にある。
スタッフォードシャーは、窯の煙が立ちのぼる陶業の地だった。
いくつもの窯元がひしめき、イギリス中の、そして海の外の食卓に器を送り出していた。
ここまでは、ふつうの話である。ふつうでないのは、図柄のほうだ。
イギリスとアメリカは、独立戦争で戦った。
さらに1812年からの米英戦争で、もう一度戦った。
半世紀足らずの間に、二度である。
ワシントンの議事堂は、1814年にイギリス軍に焼かれてさえいる。
その議事堂を、戦後まもないころ、イギリスの窯が皿の真ん中に据えた。
買い手は、海の向こうのアメリカの家庭である。
議事堂だけではない。
これから見ていくように、アメリカの滝も、川も、英雄も、勝ち戦も皿になった。
二度戦った相手の国の英雄と名所を、なぜ皿にして売ったのか。
これが本稿の問いである。
断り——9点のうち7点は、白黒である
本題の前に、一つ断っておきたい。
本稿で見る皿は9点。すべてメトロポリタン美術館の所蔵である。
ただし当サイトの公開画像は、7点が美術館の古い記録写真で白黒である。
収蔵品の整理のために撮られた、事務的な写真と考えられる。
カラーで見られるのは、冒頭の《国会議事堂》と、後半に出る《合衆国銀行》の2点だけだ。
だから色は、この2点の濃い藍と、記録の記述から補って読むことになる。
隠さずに言えば、これは制約である。
しかし、この種の転写皿が総じて濃い藍で刷られたことは、よく知られている。
灰色に写る7点の下にも、同じ系統の青があったと考えてよいだろう。
だが幸い、転写皿の見どころは色だけではない。
図柄。縁飾り。皿の形。
銅版から写された線の絵は、白黒の写真でもほとんど失われない。
白黒でも読める要素に論点を置いて、先へ進みたい。
滝が、食卓にやって来る
まず、ウッド社の皿を並べていく。

径26センチ。食卓の主役になる大きさである。
冒頭の小皿と同じ窯の製品である。所蔵館の記録は、こちらを盛り皿に分類する。
画像は白黒の記録写真だが、図柄はよく読める。
中央にナイアガラの滝が落ちる。
手前に張り出す平らな岩は、テーブル・ロックと呼ばれた展望の名所である。
岩の上には小さな人影が立ち、滝を見上げている。
人影が小さいから、滝の大きさが際立つ。
崇高な自然と、その前に立つ小さな人間。当時の風景画の定番の型である。
当時のナイアガラは、新大陸を代表する景勝地だった。
滝を訪ねた記憶を、あるいは訪ねたいという憧れを、皿が毎日の食卓でよみがえらせる。
料理を食べ終えるたび、皿の底から滝が現れる仕掛けである。
縁を見てほしい。貝殻や海草のような飾りが、ぐるりと巡っている。
この貝殻の縁は、ウッド社の皿にくり返し現れる。覚えておいてほしい。
給水場——土木もまた、名所である

次はフィラデルフィアである。
当時のアメリカを代表する大都市であり、かつての首都でもある。
スクールキル川のほとりに建つ、フェアマウント給水場。
川の水をくみ上げて市内に配る、当時のアメリカで最も進んだ施設の一つだった。
皿の中では、神殿風の建物が川辺に並ぶ。
給水場でありながら、外観は古代の神殿である。
新しい技術に、古典の衣装を着せる。若い共和国らしい趣味といえる。
高みから見下ろす、のどかな構図である。川面は静かで、岸辺には緑が茂る。
若い共和国の誇りは、滝のような自然だけではなかった。
最新の土木事業もまた、皿になる名所だった。
工場や水道を風景として愛でる感覚は、この時代に始まっている。
敗けた海戦さえ、皿にする

この皿を、所蔵館の記録は「マクダナー提督の勝利」の題で登録している。
1814年、シャンプレーン湖。
米英戦争の終盤、マクダナーの率いるアメリカ海軍が、イギリス海軍を破った海戦である。
アメリカ側にとっては、戦争の行方を左右した誇らしい勝利だった。
皿の中央には、湖上に並ぶ帆船が描かれる。
帆をふくらませた軍艦が向かい合い、湖の上で砲火を交える。
白黒の写真でも、帆の列と水面の広がりは読み取れる。
径26センチ。ナイアガラの皿と同じ、食卓の主役の大きさである。
考えてみれば、奇妙な皿である。
イギリスの窯が、イギリスの敗戦を皿にした。
しかも「勝利」という題まで添えて。
バースレムの職人たちは、この図柄を彫りながら何を思っただろう。
記録は何も語らない。ただ、皿は作られ、海を渡り、食卓に並んだ。
作り手の国の、負けいくさである。それでも、買い手が喜ぶなら図柄にする。
ここに、問いの答えの核心がある。
墓前のワシントン——追悼も、器になる

初代大統領ワシントンは、1799年に没した。
この皿は、その墓の前に立つワシントンの姿を描く。追悼の図である。
径21.3センチ。白黒の写真でも、木立の下の墓と人物の輪郭が読み取れる。
風景の名所ではなく、記憶の名所というべき図柄である。
死後もなお墓前にたたずむ英雄。
喪の感情をそのまま図像にした、寓意的な一枚と考えられる。
ワシントンを悼む図像は、死後のアメリカで広く流通したと伝えられる。
版画に、刺繍に、そして皿に。悼む心にも、市場があった。
アメリカの家庭は、建国の父の面影を皿の上に迎えた。
イギリスの窯は、その敬愛の需要に、海の向こうから応えたのである。
かつて独立戦争で敵将だった人物である。皿は、そんなことを覚えていない。
答え——商売だから
答えを、はっきり述べよう。商売だからである。
スタッフォードシャーは、イギリス陶業の中心地だった。
そして最大の輸出先が、アメリカだった。
若く、人口が増え続け、自前の窯業がまだ育っていない国。
これほどの得意先を、戦争ごときで手放すわけにはいかない。
1815年に米英戦争が終わり、大西洋の貿易が再開される。
窯元は競って、アメリカ人の愛国心をくすぐる図柄を作った。
英雄。勝利。名所。最新の施設。
買い手が誇りに思うものなら、敵も味方もなく皿になった。
皿は政治を語らない。ただ、売れる絵を選ぶ。
売れる絵を選び続けた結果が、敵国賛美の食器一式である。
戦争が終わるたび、皿は真っ先に海を渡った。
条約の文言より、食卓の皿のほうが先に、二つの国を結び直した。
憎しみが冷めるのを待たず、商品は港を出る。
皿は、外交より速く和解する。
縁飾りは、窯の署名でもある
もう一つ、白黒でも読める要素を挙げたい。縁飾りである。
ここまでの皿を思い返してほしい。
ナイアガラにも、海戦にも、貝殻の縁が巡っていた。
中央の図柄は皿ごとに替わる。だが縁の意匠は、窯ごとにおおむね決まっていた。
縁を見れば、どの窯の皿か見当がつく。
縁飾りは、窯の商標のような役割を果たしたと考えられる。
裏の刻印を確かめなくても、店先でひと目で分かる印。
量産品には、こうした見分けの仕組みが自然に育つ。
では、別の窯の皿では縁がどう変わるか。ページを替えて見ていこう。
川の風景——クルーズ社の皿

作り手が替わる。
コブリッジの町の、ジェームズ・アンド・ラルフ・クルーズ窯である。
所蔵館の記録は、活動期を1818年ごろから36年ごろとする。
この皿は「ピクチャレスク・ビューズ」と題されたシリーズの一枚である。
絵のような風景、という意味だ。
一枚ずつ違う名所を刷り、そろいの食器として売る趣向である。
図柄はハドソン川沿いの町、ハドソンの眺め。
川面に舟が浮かび、岸辺に樹木が茂る。町並みは遠く、小さい。
ナイアガラのような奇観ではない。川と町の、ありふれた眺めである。
そのありふれた眺めが、シリーズの題のとおり「絵のような風景」として売られた。
縁飾りは、ウッド社の貝殻とは明らかに違う。
花をちりばめた、別の意匠である。
縁が替われば、窯が替わる。前のページの見立てが、ここで確かめられる。
皿の絵には、原画があった

同じシリーズの一枚。
マウント・アイダの丘から、川沿いの町トロイを見下ろす。
古代ギリシアの地名を借りた、若い町の名である。
手前に木立を大きく置き、眼下に町と川を広げる。
風景画の定石どおりの構図である。
それもそのはずだ。このシリーズの図柄は、一冊の版画集に基づくとされる。
アイルランド生まれの画家、ウィリアム・ガイ・ウォール。
彼の水彩に基づき1820年代に刊行された版画集「ハドソン・リバー・ポートフォリオ」である。
つまり皿の絵には、原画があった。
画家が川をさかのぼって名所を描き、水彩が版画になり、版画が皿に写される。
紙の上の風景が、焼き物の上の風景になる。
名所の図像が、媒体を替えながら増えていく。
原画を知らない買い手も、皿を通じてハドソン川の眺めを覚えていく。
名所の絵を売る商売という点で、これは同時代の日本と同じ型である。
広重の東海道もまた、旅の眺めを紙に刷って売った。
詳しくは東海道は旅を売ったを参照。
版で刷るから安く、多く作れる。安いから、庶民の手に届く。
海の東西で、名所絵の商売は同じ理屈で動いていた。
違いは、日本では紙に、イギリスでは皿に刷ったことである。
藍色が、もう一度現れる

三つ目の窯、ジョゼフ・スタッブスの皿である。
そしてここで、カラーの現存品がもう一枚だけ現れる。
濃い藍色の皿。中央に、柱の並ぶ神殿風の建物。
フィラデルフィアの合衆国銀行である。
白い柱が藍の空に浮かび上がり、手前の通りには人影が行き交う。
縁には花の飾りが巡り、中央の建物を囲む。
冒頭の《国会議事堂》と同じ、にじむほど濃いコバルトの青だ。
議事堂に、給水場に、銀行。フィラデルフィアとワシントンの公共建築は、皿の人気の画題だった。
白黒でしか見られない7点も、本来はおおむねこの系統の色だったと考えられる。
灰色の写真の向こうに、この藍を思い浮かべてほしい。

同じスタッブス窯の大皿である。縦34.3センチ、横41.9センチ。
丸皿ではなく、横長の盛り皿だ。肉料理を運ぶ器だろう。
図柄は、メンデンホールの渡し場の眺めである。
川辺に建物が並び、水辺に樹木が枝を伸ばす。
画像は白黒の記録写真だが、横長の画面に風景がゆったり広がるのが分かる。
英雄でも勝利でもない、名もなき渡し場。
そんな静かな眺めまで、皿の図柄になった。
議事堂から渡し場まで。アメリカという国の全体が、食器一式の図柄に翻訳されていた。
使われ、割れ、残った
これらの皿は、飾り物ではなかった。
アメリカの家庭で、日々使われた食器である。
議事堂の上でパンが切られ、滝の上に肉汁が垂れた。
使われる皿は、割れる。割れた皿は捨てられる。
割れずに残った分が、のちに蒐集の対象になった。
本稿の9点のうち8点は、1914年にジョンストン夫妻の旧蔵品として美術館に遺贈された。
《国会議事堂》だけは早く、1898年の寄贈である。
つまり9点はいずれも、百年以上前に美術館へ入っている。
イギリス製の輸出食器を、アメリカの美術館が歴史の証人として迎えたのである。
日用品が骨董になり、骨董が美術館の収蔵品になる。
皿の旅は、海を渡ったあとも続いた。
見立て——原風景は、輸入品だった
見立てを述べたい。
ナイアガラの滝。ハドソン川。議事堂。建国の父。
これらは、アメリカの原風景というべき図像である。
だがその図像を毎日の食卓に届けたのは、かつての敵国イギリスの窯だった。
自国への誇りを、外国製の皿で確かめる。
奇妙な入れ子が、ここにある。
もっとも、当の家庭にとっては矛盾でも何でもなかっただろう。
丈夫で、絵が美しく、手の届く値段の皿。それで十分だった。
図像に国境はない。売れる図像は、作り手の国籍を問わずに流通する。
引き取り——灰色の写真も、器である
最後に、白黒の7点へ戻りたい。
美術館の古い記録写真。色は失われ、藍は灰色に写る。
だが図柄は読める。縁飾りも読める。皿の形も分かる。
考えてみれば、これらの写真は「皿の記録写真」である。
皿が風景を写し取ったように、写真が皿を写し取った。
転写皿は、銅版画の複製だった。記録写真もまた、複製である。
複製が複製を保存し、二百年前の風景が、いま手元に届く。
原画の版画集を開ける人は少ない。皿の現物に触れる人も少ない。
だが記録写真なら、誰でも見られる。
残ることの形は、一つではない。
濃い藍で残る皿もあれば、灰色の写真で残る皿もある。
灰色の皿の上に、藍色を思い描きながら見てほしい。
どちらも、あの時代の食卓を今に伝えている。





