一つの主題だけを、集める——ガーツ夫妻のアメリカ静物画、2003年から2018年

年の欄に、年記なし、と書かれている。
制作年が分からない、という意味である。
推定の年代すら書かれていない。
二十九点のうち、九点がこの状態である。
三分の一近い。
理由は、署名がないからだろう。
この一点には、銘記の記載もない。
年も、名前も、画面に書かれていない。
作者が分かっているのは、作風によるはずである。
第十七回でも書いたが、記録は分からないことを分からないと書く。
推定できるなら、幅を持たせて書く。
それもできないなら、年記なし、と書く。
画面には、梨が二つ置かれる。
赤みのある台の上である。
台は磨かれており、梨の姿が下に映る。
左の一つは、黄色みが強い。
右の一つは、頬に赤みが差す。
いずれも、軸が上に立つ。
背景は淡い灰色。
影がほとんどない。
題に、品種の名らしい語が入っている。
品種の名が、題に入る
この題は、興味深い。
ただの梨ではない。
ある品種の梨、と書かれている。
つまり、描かれた果物の種類が特定されている。
十九世紀のアメリカでは、果樹の品種改良が盛んに行われた。
新しい品種には、育てた人の名が付けられる。
そして、その姿を絵に残すことがあった。
農業の記録に近い性格である。
第十六回で読んだ都市の眺めと、同じ位置づけかもしれない。
美しいから描いたのではなく、記録するために描いた。
もっとも、これは推測である。
館の記録は、題を書くだけである。

淡い灰色の背景である。
中央やや右に、白い芍薬が数輪。
花弁が幾重にも重なり、大きく開く。
一輪は、淡い桃色を帯びる。
もう一輪は、ほとんど白い。
中心に、黄色い蕊が見える。
葉は濃い緑で、下へ垂れる。
花瓶は、ほとんど見えない。
花に隠れている。
そして、台の上に、もう一輪が横たわる。
倒れた花である。
こちらは、桃色が強い。
花弁が開き切って、崩れかけている。
咲いている花と、落ちた花。
二つを一枚に置いている。
野の花を、地面ごと描く

九点のなかで、これだけが屋外である。
しかも、視点が真上に近い。
地面を見下ろしている。
画面いっぱいに、落ち葉と枯れ枝が散る。
茶色と灰色である。
その上を、蔓が這う。
丸い葉が、点々と付く。
葉は濃い緑で、厚みがある。
そして、その間に、小さな花が咲く。
淡い桃色と白。
五弁で、中心が濃い。
数えると、二十以上ある。
右上に、赤い実が一つ。
背景も、地面である。
空も、水平線もない。
下部中央に、署名と年。
束ねられた野菜

石の台の上である。
中央に、アスパラガスの束。
白い茎が、何十本も揃えられている。
紐で二か所、縛られている。
穂先は緑で、細かい鱗状の形が見える。
茎は白から淡黄へ、なだらかに変わる。
その手前に、トマトが三つ。
赤く、艶がある。
一つには、緑の萼が残る。
左には、小さな南瓜。
緑と白の縞が入る。
背景は淡い灰色。
台の縁に、細い線が入る。
そして、左下に署名がある。
作者の名と、都市の略称と、年の下二桁である。
二人の名で、十五年
最後に、出所の行に戻りたい。
二人の名が並んでいる。
そして、年がない。
受け入れは二〇〇三年から二〇一八年まで続いている。
第二十五回で読んだ夫妻の寄贈も、同じ形だった。
集めながら、渡していく。
その関係が長く続くと、年を書けなくなる。
そして、この収集は、対象がきわめて狭い。
十九世紀後半のアメリカの静物画。
それだけである。
第十六回で読んだ収集は、場所を軸にしていた。
第九回は、人物を軸にしていた。
こちらは、分野そのものを軸にしている。
そして、その分野は、長いあいだ美術史の中心から外れていた。
格が低いとされ、研究も少なかった。
第十二回で読んだ美術陶器と、同じ事情である。
評価が定まる前に、集めていた人がいる。
そして、集まったものが、後から分野の輪郭を作る。
出所の行の名前は、その仕事の記録である。
記録が残すもの、残さないもの
二十九回にわたって、出所の行を読んできた。
そこに書かれているのは、名前と、年と、金の出どころである。
そして、書かれていないことのほうが多い。
いくらだったか。
なぜ集めたか。
誰が選んだか。
何を買わなかったか。
それでも、一行を集めて数えれば、輪郭は見えてくる。
同じ名前を持つ作品が何点あるか。
その内訳がどうなっているか。
受け入れの年が、いつからいつまでか。
これらは、一点ずつ見ていては分からない。
次の回で、この連載を閉じたい。
主題は、番号の中の年である。
第一回から読んできたとおり、番号には受入年が入るものと、入らないものがある。
そして、番号の年と、出所の行の年は一致しないことがある。
その食い違いが何を意味するのか。
三十回のまとめとして、そこを整理したい。
読んできた作品の番号を並べ直せば、館という仕組みの形が見えてくる。
そして、番号にも年にも書かれないものが何か。
そこまで見届けて、この連載を終えたい。
出所の行は、記録の一行にすぎない。
しかし、三十回ぶんを並べると、別のものが見えてくる。







