夕方が八点、朝は一点——バンス・シャントルイユ・ビーチほか九点

二点目は、小さな油彩である。
30.5×40.6センチ。
画面の左に、大きな木がある。
葉は暗い塊で、輪郭がにじむ。
右にも、木が数本立つ。
その間に、低い草地が広がる。
草地に、家畜が二頭いる。
一頭は黒く、一頭は白い。
奥には、低い建物と木立がある。
空は白っぽく、雲が広がる。
絵具は厚く、表面に細かい亀裂がある。
館の記録によれば、制作年は1912年から32年である。
二十年の幅がある。
画家が長く手を入れ続けたのだろう。
題は、夕暮れの牧場という。

三点目は、銅版画である。
館の記録に、寸法の欄はない。
画面の左に、大きな木が二本立つ。
幹は太く、枝が上へ広がる。
葉は細かい線の塊である。
右のほうに、川が横たわる。
水面は白く、線が引かれていない。
その奥に、低い岸と木立が続く。
空も白いまま残されている。
つまり、明るい部分は塗り残しである。
館の記録の題は、ある国の日没という。
だが、太陽も、赤い空も描かれていない。
版画では色が使えないので、光は白さで示すしかない。

四点目は、写真である。
画面は14.6×10センチ。
台紙まで含めると22.7×17.8センチになる。
縦長の画面である。
画面の右に、女性が一人立っている。
横を向き、うつむいている。
白い襟の暗い服を着ている。
手に、小さなものを持つ。
その左と上に、木の枝と葉がある。
葉は細かく、光を透かす。
背景は暗く、細部が沈む。
館の記録の題によれば、森のはずれの夕暮れである。
括弧のなかに、写された人の名がある。
館の記述によれば、この写真家は複数の技法を試した。
そして、同じ場面を別の方法で刷ることもあった。
一つは印画紙に染み込ませる方法。
もう一つは、版に刷る方法である。
この一点は、後者である。
館は、その違いが見え方に出ることも書いている。
この写真家の別の作品は、窓を扱った回でも取り上げた。

朝は、一点だけ
朝を主題にした一点は、彫刻である。
全体で高さ55.3センチ。
台を除くと35.6センチになる。
白い大理石を彫ったものである。
下のほうに、渦を巻いた塊がある。
雲か、霧を表すらしい。
その塊から、人の姿が浮かび上がる。
数人の体が、重なって見える。
いちばん上に、馬に乗った人物がいる。
馬は前脚を上げ、体をひねる。
人物は衣を着ていない。
腕を上げ、上のほうを向いている。
石の表面は、部分によって仕上げが違う。
人の体は磨かれ、雲の部分は粗く残されている。
館の記述によれば、この作品には正面が一つある。
丸彫りだが、見るべき向きが決まっているという。
題は《暁》である。
九点のなかで、唯一の朝の作品であり、唯一の彫刻でもある。

支持体が、三層になっている
今回の九点で、技法の欄がいちばん複雑だったのは油彩の一点である。
紙に油彩で描き、それを厚紙に貼り、さらに合板に貼る。
三層の支持体である。
なぜそうなったのか、記録には書かれていない。
推測はできる。
紙に描いた絵は、そのままでは弱い。
反り、破れ、折れる。
だから板か厚紙に貼って補強する。
その厚紙も反るので、さらに合板に貼る。
つまり、後から補強を重ねた結果だろう。
もとは、屋外で描いた紙だったと思われる。
紙は軽く、持ち運びやすい。
前に空を扱った回でも、屋外の画材の話をした。
その場で描くには、軽い支持体が要る。
そして、持ち帰ってから補強する。
三層の記録は、その手順を残している。
館は、貼った時期を書いていない。
画家がやったのか、後の人がやったのかも分からない。
分かるのは、いま三層になっているという事実だけである。
こういう欄は、作品の来歴を考える手がかりになる。
光を、色のない材でどう示すか
九点のうち三点は、色を使えない材だった。
銅版画、写真、そして大理石である。
その三点で、光をどう示しているかを見たい。
銅版画では、線を引かないことで示している。
川の面と、空が白く残されていた。
線のある部分が暗く、ない部分が明るい。
つまり、光は白紙である。
写真では、露光の差で示している。
葉のあいだから光が透け、輪郭が明るくにじむ。
背景は暗く沈む。
その差だけで、夕方らしさが出ている。
大理石では、表面の仕上げで示している。
人の体は磨かれ、光を反射する。
雲の部分は粗いままで、光を散らす。
同じ白い石で、二通りの明るさが作られている。
つまり、色がなくても光は示せる。
必要なのは、明るい部分と暗い部分の差である。
前に霧や夜を扱った回でも、同じことを書いた。
差さえあれば、色は要らない。
そして差が大きいほど、光は強く見える。
九点のうち、いちばん差が大きいのは写真の一点だった。