美術史・技法

教える人は、手を触れない——歌麿・テル・ボルフ・ドガほか九点

教える場面の九点を数えると、手が触れ合う絵は一つもなかった。指すか、示すか、見るだけである。筆も弦も刀も、持っているのはいつも教わる側だった。教える人はいつも少し離れて立ち、代わりにやることをしない。

娘に手習いを教える母
喜多川歌麿《娘に手習いを教える母》クリーヴランド美術館蔵

母が、娘の手を見ている

縦長の版画である。

娘に手習いを教える母
喜多川歌麿《娘に手習いを教える母》1798年ごろ。館の記録では、木版多色摺。紙は38.8×25.2センチ。番号は1921.337。クリーヴランド美術館蔵。喜多川歌麿《娘に手習いを教える母》クリーヴランド美術館蔵

紙は38.8×25.2センチある。

背景は、淡い褐色である。

余分なものは、何も描かれない。

画面の上に、女がいる。

女は身を乗り出す。

髪は大きく結い上げられる。

髷の形は、上に張り出す。

顔は下を向く。

目は、手元を見ている。

口は閉じている。

衣は白と黒である。

襟は幾重にも重なる。

その下に、娘がいる。

娘は座っている。

背は丸い。

顔は、机の上に近づく。

髪は、母より小さく結われる。

右手に、筆を持つ。

筆は立てて握られる。

穂先は、紙に触れている。

左手は、紙の端を押さえる。

机は低く、黒い。

机の上に、紙が広げられる。

紙には、線が引かれている。

文字らしい形が見える。

母の手は、娘に触れていない。

指も差していない。

ただ、見ているだけである。

館の記録では、これは連作の一枚である。

女の十二の仕事を並べた組だという。

仕事の一つとして、教えることが数えられている。

館の記録には、版元の名も残る。

署名も、記録に書き写されている。

画面の余白について、もう一度書いておきたい。

背景には、線が一本もない。

部屋の壁も、窓も描かれない。

二人と、机と、紙だけである。

何もないから、視線がよく見える。

母の目は下へ、娘の目も下へ向く。

二つの視線が、同じ紙に集まる。

集まる先に、書かれかけた文字がある。

画面の中で、いちばん小さいものである。

いちばん小さいものが、二人をつないでいる。

教えることは、九つの場所に現れる

このコラムでは、教える絵を九点並べる。

九点は、館も年代も技法も違う。

版画があり、油彩があり、細密画があり、大理石がある。

共通するのは、館の記録に教えるか稽古の語があることだけである。

数えるのは、教える人と教わる人の距離である。

譜面を指で押さえる

二点目は、油彩である。

音楽の稽古
ヘラルト・テル・ボルフ《音楽の稽古》1670年ごろ。館の記録では、油彩・カンヴァス。63.6×50.4センチ。番号は1891.1。シカゴ美術館蔵。ヘラルト・テル・ボルフ《音楽の稽古》シカゴ美術館蔵

縦長の画面である。

63.6×50.4センチある。

部屋は暗い。

壁は褐色で、何も掛かっていない。

奥に、扉が半ば開く。

床は板である。

画面の右に、女が座る。

女は白い繻子の衣を着る。

上に、赤い上着を重ねる。

裾は床に広がり、光を返す。

顔は横向きである。

視線は、前の譜面に落ちる。

膝の上に、弦楽器がある。

右手が、弦の上にある。

左手は、棹を押さえる。

女の前に、机がある。

机の上に、譜面が立つ。

その左に、男が立つ。

男は黒い帽子をかぶる。

黒い上着に、白い襟である。

体は前へ屈む。

右手を伸ばす。

指が、譜面の一点を指す。

口は開いている。

何かを言っているらしい。

手前の椅子に、犬がいる。

犬は丸くなって眠る。

稽古を、見てはいない。

光の入り方を見る。

明るいのは、女の衣と譜面だけである。

男の黒い服は、暗がりに沈む。

顔だけが、わずかに明るい。

光が当たるのは、教わる側である。

教える側は、影の中にいる。

画面の下半分を、白い裾が占める。

布の襞は、細かく描き分けられる。

繻子の光り方まで写されている。

館の記録では、この画家は布を描くことで知られた。

稽古の絵でありながら、布の絵でもある。

楽器の弦は、細い線で引かれる。

数えられるほど、はっきりしている。

布で口を覆って、教えを説く

三点目は、紙に描かれた細密画である。

教えを説く白衣派ジャイナ教の師
サーヒブ・ラーム《教えを説く白衣派ジャイナ教の師》1750年から60年ごろ。館の記録では、紙にガム・テンペラと金。全体は20×27.9センチ。番号は2018.171。クリーヴランド美術館蔵。サーヒブ・ラーム《教えを説く白衣派ジャイナ教の師》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

全体は20×27.9センチある。

周りに、赤い縁がある。

画面の中は、建物の内部である。

奥に、階段と柱がある。

柱は白く、細い。

壁には、青と白の縞がある。

床は明るい。

画面の右に、師がいる。

師は白い衣を着る。

高い座に、腰を下ろす。

片手を上げる。

指は、説くための形になる。

もう一方の手に、布がある。

布は、口の前にある。

館の記録では、虫を吸い込まないための布である。

師の前に、低い机がある。

机の上に、写本が開かれる。

館の記録では、そこに短い祈りの句が書かれている。

師の後ろにも、白い衣の人が並ぶ。

その人たちの前には、払子が置かれる。

画面の左に、聴く人が並ぶ。

手前に、男たちが座る。

奥のほうに、女たちが集まる。

数は二十人を超える。

みな、師のほうを向く。

館の記録では、聴く人は在家の人たちである。

師の後ろの人たちは、僧である。

ただし、髪も髭も剃っていない。

色のついた肩掛けも許されている。

それは、位を示すものだという。

館は、そう説明している。

この地方では、僧が書写の役も担った。

写本の蔵を守る仕事である。

机の上の写本は、そのしるしでもある。

聴く人の並び方も見ておきたい。

手前が男、奥が女である。

位置が、はじめから分かれている。

師との距離も、その分だけ違う。

舞台の稽古を、袖から見る

四点目は、紙に描かれた絵である。

舞台のバレエ稽古
エドガー・ドガ《舞台のバレエ稽古》1874年ごろ。館の記録では、テレピンで薄めた油絵具、水彩とパステルの跡、ペンとインクの下描き。54.3×73センチ。番号は29.160.26。メトロポリタン美術館蔵。エドガー・ドガ《舞台のバレエ稽古》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。

54.3×73センチある。

色は少ない。

褐色と灰色が主である。

画面の左に、木立の書き割りがある。

右にも、暗い幕が下がる。

これは舞台の上である。

床は明るく、奥へ傾く。

画面の中央に、踊り手が並ぶ。

腕を上げ、片脚を伸ばす。

姿勢は、みな同じである。

七、八人はいる。

裾の短い衣を着る。

その右に、黒い服の男が立つ。

男は腕を横へ伸ばす。

指で、何かを示す。

踊り手のほうを向く。

手前には、二人が座る。

一人は、床に脚を投げ出す。

もう一人は、背を丸める。

稽古を待っている姿である。

奥の隅にも、黒い服の人がいる。

椅子に腰かける。

見ているだけである。

館の記録では、材料が複雑である。

テレピンで薄めた油絵具が主である。

そこに、水彩とパステルの跡が残る。

下には、ペンとインクの線がある。

紙は、厚紙に貼られている。

さらに、カンヴァスに張られている。

何度も手を入れた一枚である。

舞台の床は、奥へ向かって上がる。

上がるほど、人は小さくなる。

手前に座る二人が、いちばん大きい。

稽古をしていない二人である。

踊っている人より、休んでいる人が大きい。

画面の広さの配り方が、そうなっている。

少年が、片脚を上げる

五点目は、習作である。

〈ダンスの稽古〉のための習作、少年
トマス・エイキンズ《〈ダンスの稽古〉のための習作、少年》おそらく1877年。館の記録では、油彩・カンヴァス。全体は53.3×23.2センチ。番号は1985.64.15。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。トマス・エイキンズ《〈ダンスの稽古〉のための習作、少年》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

細長い画面である。

全体は53.3×23.2センチある。

高さは、幅の二倍以上ある。

背景は、褐色である。

上のほうは、灰色がかる。

床の線は、はっきりしない。

画面の中央に、少年が立つ。

少年は横向きである。

顔はやや下を向く。

髪は短い。

上着は暗い青である。

袖は長く、手が隠れる。

ズボンは膝の下までである。

裾は、まくれている。

足は裸足である。

右脚は、地に着く。

左脚は、前へ上がる。

踵が浮く。

膝は、わずかに曲がる。

腕は、体の後ろに回る。

体は、少し傾く。

踊っている途中の姿勢である。

しかし、相手も先生もいない。

館の記録では、これは大きな絵のための習作である。

その絵の題は、ダンスの稽古という。

この一点には、稽古の相手が描かれていない。

習作という形についても書いておきたい。

本画を描く前に、一人ずつ写す。

姿勢と、光の当たり方を決めるためである。

だから、背景は塗られない。

褐色のまま残される。

輪郭も、途中で消える場所がある。

足の下には、床の線がない。

立っている場所は、決まっていない。

本画では、部屋の中に置かれる。

館の記録では、その絵の題は稽古である。

この少年は、その中の一人になる。

細長い画面は、人一人ぶんの幅である。

稽古で、打ち倒される

六点目は、石版画である。

一八四三年の理解力の授業
オノレ・ドーミエ《一八四三年の理解力の授業》1843年。館の記録では、リトグラフ。画面は17.3×23センチ。番号は2011.407。クリーヴランド美術館蔵。オノレ・ドーミエ《一八四三年の理解力の授業》クリーヴランド美術館蔵

横長の画面である。

画面は17.3×23センチある。

紙には、余白が広く残る。

余白に、手書きの文字がある。

館の記録では、刷る前の指示や台詞である。

画面の中は、稽古の場である。

床は板で、平らである。

画面の左に、男が倒れている。

男は仰向けに近い。

片手を顔に当てる。

もう一方の腕は、後ろへ流れる。

脚は、投げ出される。

その右に、二人が立つ。

一人は、細い棒を持つ。

棒を、前へ突き出す。

もう一人は、山高帽をかぶる。

腕を組んで見ている。

さらに右に、人の群れがいる。

四、五人が並ぶ。

顔は、笑っているように見える。

倒れた男を、見下ろしている。

館の記録では、これは新聞に載った絵である。

連作の九十二枚目だという。

翌年、別の新聞にも載った。

そのとき、題の年が変わったと館は書く。

題に年が入っているのは、そのためである。

載る日が変われば、年も書き換えられる。

絵は同じでも、題が動く。

新聞の絵とは、そういうものだった。

余白の書き込みも見ておきたい。

館の記録では、急ぎで刷るようにと書かれている。

連作の名と、雑誌の名も記される。

画面の下には、台詞が書かれる。

受けそこねた、という意味の言葉である。

つまり、これは剣術の稽古である。

受け方を教えた直後に、打たれている。

笑いの絵として作られた一枚である。

題にだけ、手習がある

七点目は、役者の版画である。

「菅原伝授手習鑑」の二代目市川八百蔵・二代目中島三甫右衛門・三代目市川海老蔵・九代目市村羽左衛門
勝川春章《「菅原伝授手習鑑」の二代目市川八百蔵ほか》1776年7月。館の記録では、木版多色摺(三枚続のうち一枚)・紙。画面は31.9×14.6センチ。番号はJP553。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《「菅原伝授手習鑑」の二代目市川八百蔵・二代目中島三甫右衛門・三代目市川海老蔵・九代目市村羽左衛門》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。

画面は31.9×14.6センチある。

館の記録では、三枚続のうちの一枚である。

地面は淡い緑である。

背景に、柱と塀がある。

上のほうは、白いままである。

画面には、役者がいる。

衣は淡い黄褐色である。

袴の裾は、大きく広がる。

顔は白く塗られる。

眉は太い。

目は見開かれる。

口は、への字に結ばれる。

体は、低く構える。

膝は曲がる。

手には、刀がある。

刀は抜かれている。

刃は、斜めに立つ。

もう一方の手は、前へ出る。

指が開く。

争いの場面である。

教える場面ではない。

館の記録では、芝居の題に手習の語がある。

書を伝えるという名の芝居である。

しかし、この画面に机も筆もない。

芝居の内容は、書の伝授から始まる。

しかし、話は争いへ進む。

描かれるのは、たいてい後のほうである。

役者の絵は、見せ場を選ぶからである。

館の記録には、役者の名が四人ぶん並ぶ。

代数まで、記されている。

芝居の絵は、役者の記録でもある。

誰がどの役を演じたかが、後から分かる。

年も、月まで記録されている。

1776年の七月である。

上演のたびに、絵が作られた。

教えの語は、その題の中に残っただけである。

記録の中だけに、師がいる

八点目は、素描である。

農家の小屋(表)
アブラハム・ブルーマールト《農家の小屋(表)》1600年ごろ。館の記録では、ペンと茶インク、茶・青・赤・黄の淡彩、黒と赤のチョークの上に。紙は17.2×27.2センチ。番号は1940.737.a。クリーヴランド美術館蔵。アブラハム・ブルーマールト《農家の小屋(表)》クリーヴランド美術館蔵

横長の紙である。

紙は17.2×27.2センチある。

紙は薄い褐色である。

画面の中央に、小屋がある。

小屋は、藁で葺かれる。

屋根は厚く、大きい。

屋根の面が、画面の半分を占める。

壁は低い。

窓は小さく、暗い。

戸口は、影になる。

屋根の稜線は、緩く曲がる。

線は細く、震えている。

淡彩は、赤褐色と青である。

青は、屋根の陰に置かれる。

赤は、壁と地面にある。

左には、細い木がある。

葉はほとんどない。

右にも、低い木がある。

人は、一人も描かれない。

道具も、動物もいない。

館の記録では、この画家は重要な教師だった。

多くの弟子を育てたという。

そして、当時の著述家の記述も引かれる。

農家や農具を、生きたまま写す人だと書かれている。

館は、この一枚がその記述に近いとする。

教えたことは、記録の中にしかない。

画面には、教室も弟子もない。

あるのは、屋根と壁と木だけである。

館の記録では、この画家は写生を重んじた。

実際に見たものを、そのまま描いたという。

弟子たちは、それを学んだのだろう。

学んだ結果は、別の絵にある。

この一枚は、その手本である。

手本は、教える場面を描かない。

描かれるのは、教える内容のほうである。

屋根の線の震えも、その内容の一部だろう。

速く引いた線が、そのまま残されている。

弟子の名が、記録に残る

九点目は、大理石の胸像である。

ファブリツィオ・ナーロの肖像
ドメニコ・グイディ《ファブリツィオ・ナーロの肖像》1680年ごろ。館の記録では、大理石。全体は81.5×70.4×50.1センチ。番号は1979.39。クリーヴランド美術館蔵。ドメニコ・グイディ《ファブリツィオ・ナーロの肖像》クリーヴランド美術館蔵

胸から上の像である。

全体は81.5×70.4×50.1センチある。

台の高さは、18.7センチある。

石は白く、艶がある。

顔は、右へ向く。

首は、わずかにひねられる。

目は見開かれる。

瞳の位置には、彫りが入る。

眉は上がる。

口元は、少し開く。

髭は、薄く彫られる。

髪は長く、渦を巻く。

彫りは深い。

穴のように、影が落ちる。

衣は厚い。

胸の前で、布が大きく折れる。

上着には、細かい模様がある。

模様は、浅く彫られる。

深い彫りと浅い彫りが、同じ像にある。

館の記録では、この作者はある彫刻家の弟子だった。

師の名も、記録に書かれている。

そして、この人物の名も後から特定された。

別の墓の肖像と比べたのだという。

館は、そこまで説明している。

館の記録は、彫り方についても書く。

広い布の面と、深く彫った髪を並べる。

その対比が、この時代の肖像の特徴だという。

細かい模様は、表面にだけ入る。

首のひねりも、この時代のものである。

弟子であることは、様式にも残る。

師のやり方を、受け継いでいるからである。

記録に残る師弟の関係は、そこで見える。

像そのものには、何も書かれていない。

名も、年も、彫られていない。

分かるのは、比べた結果だけである。

数えてみると

九点を並べ直す。

教える人と教わる人が、同じ画面にいるのは五点である。

母と娘、譜面の男と女、師と聴衆である。

舞台の男と踊り手、稽古で棒を持つ人と倒れた人である。

教わる人だけが描かれるのは、一点である。

脚を上げる少年である。

教える場面ではない絵が、三点ある。

役者の版画と、農家の素描と、胸像である。

この三点では、教えは記録の中にしかない。

もう一つ数える。

教える人が手を出しているのは、三点である。

譜面を指す指、説くために上げた手、示す腕である。

触れている人は、一人もいない。

母は、娘の手に触れなかった。

さらに数える。

聴く人の数を比べる。

一人だけが三点、七人以上が二点である。

二十人を超えるのが、一点である。

場所でも分かれる。

屋内が六点、屋外が一点である。

残る二点は、場所が示されない。

舞台の一点は、屋内でも屋外でもない。

書き割りの木立が、外を装っている。

技法でも数える。

油彩が三点、版画が三点である。

紙の絵が二点、大理石が一点である。

年でも並べてみる。

十七世紀が二点、十八世紀が三点である。

十九世紀が四点である。

三百年の幅がある。

それでも、触れない距離は変わらない。

身振りについては、エドモンズと身振りでも触れた。

言えることと、言えないこと

言えるのは、教える絵が触れないということである。

九点のうち、手が触れ合う場面は一つもなかった。

指すか、示すか、見るだけである。

母は身を乗り出したが、筆は娘が握っている。

譜面の男は、譜面のほうを指した。

説く師は、口を布で覆っていた。

教えは、離れた場所から届くものとして描かれる。

言えないのは、教える絵が静かだという話である。

九点のうち一点では、人が床に倒れていた。

見ている人は、笑っている。

稽古の絵が、そのまま笑いの絵になっている。

芝居の一枚では、刀が抜かれていた。

題に教えの語があっても、画面は争いである。

画面のなかの音楽については、画面のなかの音楽で扱った。

最後に、はじめの一枚へ戻る。

歌麿の版画では、母がただ見ていた。

手も出さず、口も開いていない。

娘の筆は、すでに紙に触れている。

九点を数え終えて残るのは、その距離である。

教える人は、いつも少し離れて立っている。

離れているから、教わる人の手が見える。

触れてしまえば、それは代わりにやることになる。

教えるとは、代わりにやらないことでもある。

九点は、その線引きを揃って示していた。

指す手と、動く手は、別のものである。

動く手は、いつも教わる側にある。

筆も、弦も、刀も、そちらが持っていた。

教える人が持っていたのは、指と言葉だけである。

言葉は、絵には写らない。

写るのは、指の向きと、目の高さだけである。

九点は、それだけで教えを示していた。

残るのは、その距離のほうである。

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