画家を知る

身振りを、集めておく——フランシス・ウィリアム・エドモンズの写生帖

指さす腕、組んだ腕、握った拳、組んだ脚。一冊の帖から出た九枚には、人の身振りだけが集められている。家の中の場面を描く画家にとって、これは材料置き場だった。題が動詞で終わる理由を見たい。技法の欄に題が紛れ込む記録にも触れる。

組んだ脚と拳を握る男の習作(写生帖より)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《組んだ脚と拳を握る男の習作(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

手と腕ばかりが、描かれている

九点を並べると、描かれているものの偏りに気づく。

指さす腕、組んだ腕、握った拳、組んだ脚、上げた手。

顔もあるが、多くは輪郭だけである。丁寧に描かれているのは、体の動きのほうである。

風景は一つもない。物も、看板らしいものが一つ出てくる程度である。

九点はいずれも、人の身振りの記録である。

身振りは、絵の中では物語を運ぶ。誰が誰に何をしているかは、手と体で示される。

言葉の書かれない絵では、身振りだけが説明になる。

だから、身振りの引き出しを持っていることが、この種の絵では強みになる。

何のための帖か

この画家は、家の中の場面を描いた油彩で知られている。

台所、居間、店先。人が何人かいて、何かが起きている画面である。

そうした絵を描くには、身振りの引き出しが要る。

驚く、諭す、断る、笑う。それぞれに手と体の形がある。

九点の帖は、その引き出しを埋める作業の跡だと考えられる。

もっとも、館の記録はそこまで書いていない。習作という区別もない。

すべて素描として登録され、題は描かれているものを並べるだけである。

ここでの読みは、九点の中身から推し量ったものである。

画室の外で見る

身振りは、目の前で見なければ描けない。

人に頼んで型を作らせることもできる。ただし、作った型は硬くなる。

自然な身振りは、当人が意識していないときに出る。

だから、こうした帖は人のいる場所へ持ち出される。店、酒場、集会、路上。

九点のうち一点には、看板らしいものが描かれている。屋外で描いた頁だと考えられる。

一冊から出た九点

九点の寸法は、二通りしかない。

縦16.8センチ、横20.3センチ。あるいは、その縦横を入れ替えた数字である。

つまり同じ大きさの紙を、横にも縦にも使っている。一冊の帖の頁である。

技法の欄も揃う。生成りの紙に鉛筆、である。

制作年は、1838年ごろとその後、と書かれる。幅のある書き方である。

いつ始まったかは分かるが、いつ終わったかは書かれない。

帖は何年も使われるものである。年を一つに決められないのは自然である。

九点とも同じ書き方で、区別されていない。

組んだ脚と拳を握る男の習作(写生帖より)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《組んだ脚と拳を握る男の習作(写生帖より)》1838年ごろとその後。生成りの紙に鉛筆。館の記録では、縦16.8センチ、横20.3センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ウィリアム・エドモンズ《組んだ脚と拳を握る男の習作(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

画像には、開いた帖がそのまま写る。左右に暗い縁が見える。

頁の左に、脚が二本描かれる。膝を組み、片方の靴が前へ出る。

腰から上は描かれていない。脚だけが浮かんでいる。

頁の右には、上半身の人物がいる。前かがみになり、右手を握る。

拳は胸の高さにあり、指の関節が丸く描かれる。

顔は輪郭と目鼻の位置だけで、表情は読み取れない。

背景は何もない。紙の白がそのまま残る。

線は細く、押しつけていない。速く動かした鉛筆である。

同じ頁に脚と拳が並ぶ。両者に関係はない。

思いついた順に置いているのだろう。空いた場所に次を描く。

一頁を一枚の絵として構成する意図は、まったく見えない。

部分だけを描く

いま見た一点では、脚だけが独立して描かれている。

これは、身振りを部品として集めているということである。

人物全体を描く必要はない。必要なのは、脚の組み方である。

あとで絵にするときは、別の人物にその脚を付ける。組み合わせて使う。

九点のうち三点が、こうした部分の習作を含む。

部分だけを描くのは、絵画の学習では基本の作業である。

手、足、耳、目。それぞれを繰り返し描いて形を覚える。

ただし、この帖の部分は、教本のような整った形ではない。実際に見た人の脚である。

型ではなく、観察から取っている。そこがこの帖の性格である。

指さして書く男、腕を組む男(写生帖より)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《指さして書く男、腕を組む男(写生帖より)》1838年ごろとその後。生成りの紙に鉛筆。館の記録では、縦16.8センチ、横20.3センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ウィリアム・エドモンズ《指さして書く男、腕を組む男(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

頁の左に、男が卓に向かう。上体を前へ倒す。

右腕を大きく伸ばし、人差し指で右方向を指す。

左手は卓の上にあり、何かを押さえている。紙かもしれない。

頁の右には、別の男が座る。腕を胸の前で組む。

こちらは指さされている側の位置にいる。

二人の視線は交わらない。左の男は指の先を見て、右の男は下を見る。

顔には陰影が入る。頬と顎に短い線が重なる。

二人の姿勢が、そのまま場面の関係を作っている。

場面が、すでに始まっている

この帖の頁には、二人以上が描かれることがある。

そのとき、二人はすでに関係を持っている。指す者と、指される者である。

つまり、単なる姿勢の記録ではない。場面の断片が試されている。

油彩の画面では、この関係が物語になる。誰が何を言い、誰が黙っているか。

九点のうち四点に、複数の人物が出てくる。

二人組の頁では、たいてい片方が動き、片方が受ける。

動く側は腕を伸ばし、受ける側は腕を組むか、身を引く。

この対比があると、頁の上に空気が生まれる。何かが起きていると分かる。

一人だけの頁には、その空気がない。形だけが残る。

演説の構えで話す男(写生帖より)
フランシス・ウィリアム・エドモンズ《演説の構えで話す男(写生帖より)》1838年ごろとその後。生成りの紙に鉛筆。館の記録では、縦20.3センチ、横16.8センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。フランシス・ウィリアム・エドモンズ《演説の構えで話す男(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

紙を縦に使った一点である。

中央に、男が立つ。全身が入る。

右腕を高く上げ、手のひらを開いて前へ差し出す。

左手は腰の後ろにあり、椅子の背に触れているように見える。

上着は前が開き、下に胴着が見える。

脚は肩幅に開き、体重が左に乗る。

顔は上を向き、口を開いているように見える。

線は輪郭だけで、影はほとんどない。形を取ることだけが目的である。

九点のうち、全身が一人で描かれるのはこの一点だけである。

全身を描くには、頭からつま先までの比率を決めなければならない。

上半身だけなら、その手間が省ける。だから帖の多くは上半身で終わる。

わざわざ全身を取ったのは、姿勢そのものが主題だったからだろう。

演説の構えは、脚の開き方まで含めて一つの型である。