裸は、水に入らない——ドガ・ブラックモン・春汀ほか九点の湯浴み
湯浴みと水浴の絵を九点集めると、湯船の見える絵は一点もなかった。裸の五点で水に入るのは膝までの一人だけ、肩まで浸かるのは着物と水着の人である。裸ほど水から遠く、着衣ほど水に近い。湯屋を出る素足から、人のいない沐浴池まで数える。

濡れた背中に、白い布
裸の背中が、画面の真ん中で丸くなっている。
うつむいた頭から髪が垂れ、顔は見えない。
右腕が腰の後ろへ回り、手には白い布がある。
布は、腰のくぼみに押し当てられている。
湯上がりの体を、拭いている途中である。
奥には花模様が広がり、右の端には縦の筋が下りる。
壁紙かカーテンか、部屋のしつらえらしいものが、体を囲んでいる。
画面ぜんたいが、こすれたようにざらついている。

館の記録では、ドガは湯から上がる女性の姿を数多く作った。
そばで侍女が、大きなタオルか湯上がり着を持って待つ、という図だという。
ただし、この一枚に侍女の姿はない。
体と布のほかは、模様と影だけである。
この像は二年のあいだ、いくつもの版画に作り直された。
転写紙を使い、切り取り方と大きさを変えていったとある。
題の大型版という言葉は、その作り直しの中での区別である。
写し直しを重ねるうちに、背中のような調子の部分に、独特のざらつきが生まれた。
そのやり方は実験的で、当時のリトグラフの限界を押し広げたと記録は述べる。
付記によれば、転写リトグラフは美術の用途では、まだ新しい技法だった。
画面は30.4×32.4センチ、紙は40.3×46.8センチとある。
ほぼ正方形の画面が、余白の広い紙の真ん中に据えられている。
寄贈の欄も変わっている。
版画愛好会の五十周年を記念して、夫妻から贈られた一枚だという。
会の記念日に、湯上がりの背中が館へ入った。
ところで、この絵に湯は見えない。
湯船も湯気も、画面の外にある。
見えるのは、体と布だけである。
湯浴みの絵と聞いて思い浮かべるはずのものが、ほとんど描かれていない。
では、湯浴みや水浴の絵とは、水の絵なのか、体の絵なのか。
湯船につかる、川で泳ぐ、たらいで行水する、海で波に入る。
水と体の付き合い方は、暮らしの中にいくつもある。
そのどれが絵になり、どれが絵にならなかったのか。
湯の絵、水浴の型の絵、海辺の絵、水だけの写真。
九点を並べて、確かめてみたい。
題に水浴とあるのに、水がない
二点目は、木々を背にした若い女性である。
両腕を上げて、ほどけた髪に手をやっている。
ひじが左右に張り、顔はうつむき加減になる。
かたわらには、赤い水玉の布と麦わら帽子が積まれている。
腰には、白い肌着がまとわりつく。
肌は桃色に照り、背景の緑とやわらかく混ざる。
そして、画面のどこにも水が見えない。

題には、水浴の女とある。
だが泳いだ跡も、川岸も、この画面は示さない。
髪を整えるしぐさと、脱いだ布の山が、水浴の前か後かをほのめかすだけである。
水浴という言葉が、木立の中の裸を説明する枠として働いている。
枠だけ借りて、水を描かない。
そういう水浴図が成り立つこと自体が、この型の性格をよく示している。
この絵は、収集家チェスター・デールの集めた一群から館へ入った。
カンヴァスは高さ92.4センチと、一メートルに近い。
水を欠いた水浴図が、堂々たる本画として描かれ、集められていた。
次の一点で、体はようやく水に入る。

森の池に、裸の女性が立っている。
水は、膝の下まで来ている。
両腕を上げて、長い髪を絞っている。
体には白いチョークが重ねられ、まわりの闇から浮き上がる。
背後には、大きな木と茂みが黒く広がる。
その中に、白い点が花のように散らばっている。
水面には、白い筋が横に引かれている。
紙は茶色で、その地の色が肌の中間の調子を受け持っている。
館の記録では、ブラックモンは異なる技法を混ぜることに関心を持っていた。
1900年ごろには、そうした試みが増えていたという。
黒と白のさまざまな画材を使って、森の池の裸婦を描いたとある。
画面には、薄い方眼の跡も残っている。
同じ図柄の七宝と版画とのあいだで、図を移すために引かれた線だという。
つまりこの紙は、作品であると同時に、仕事の道具でもあった。
紙の下の縁には、黒チョークで一から八までの数字が並んでいる。
方眼の列を数えた印だろう。
制作の途中の印が、そのまま残されている。
館の記録では、この素描は画家の存命中の二度の大きな展覧会に出た。
そのうち1907年の展示から、パリの収集家ブールドレイに売られたという。
同時代の美術をひととおり集めようと、何百点もの素描を買った人だとある。
さて、ここまでの二点と違って、この人は水の中にいる。
膝から下が、水に消えている。
ただし、水に入っていく姿ではない。
髪を絞っているのだから、上がる間際である。
水に立ってはいるが、水浴はもう終わりかけている。
セザンヌの岸は、もっと硬い。