作品を知る

裸は、水に入らない——ドガ・ブラックモン・春汀ほか九点の湯浴み

水浴の人々
ポール・セザンヌ《水浴の人々》1899年から1904年。館の記録では、油彩・カンヴァス。51.3×61.7センチ。番号は1942.457。シカゴ美術館蔵。ポール・セザンヌ《水浴の人々》シカゴ美術館蔵

大きな木が、右から画面へ倒れ込むように伸びる。

その下の緑に、十人ほどの裸の体が群れている。

体は左右の二つのかたまりに分かれ、間に青い奥行きが覗く。

輪郭は青い線で何度もなぞられ、内側を桃色の絵の具が埋める。

塗り残しの部分もある。

記録の年代は1899年から1904年と、幅を持っている。

顔は、どの体にもほとんどない。

体は木や岩と同じ、構図の部品として置かれている。

スーラが《アニエールの水浴》を小さな板で組み立てた回で見たように、水浴は近代絵画の大きな主題だった。

だがこの画面では、水がどこにあるのかさえ、はっきりしない。

中央の青が水なのか空なのか、筆はどちらとも言わずに置かれている。

この場所が実在の川岸なのか、頭の中の岸なのかも、記録は言わない。

確かなのは、体と木と青が、一枚の織物のように組まれていることだけである。

水浴の型は、ここでは水を忘れかけている。

括弧の中の、神話の名

五点目は、夕暮れの水辺である。

暗い土手に、裸の女性が横座りして、背中をこちらへ向けている。

赤い髪が肩に落ち、足の先には白く光る水面がある。

茂みと空の間で、体だけが淡く光る。

水浴する女(エコー)
ジャン=ジャック・エンネル《水浴する女(エコー)》1881年。館の記録では、油彩・カンヴァス。96.8×70.5センチ。番号は87.15.54。メトロポリタン美術館蔵。ジャン=ジャック・エンネル《水浴する女(エコー)》メトロポリタン美術館蔵

輪郭はぼかされて、体は闇ににじみ出た光のようである。

題は、水浴する女。

その後ろに括弧付きで、エコーという名が添えられている。

エコーは、ギリシア神話で声だけになって消えた存在である。

神話の名がひとつ付くと、裸の絵は物語の絵に変わる。

裸体の題が見る理由を用意することを数えた回の仕掛けが、ここでも働いている。

体は水辺にいるが、水には入っていない。

夕闇と裸を絵にするために、水浴とエコーの二つの名が働いている。

この絵の館の整理札には、女性裸体という分類が付いている。

題の言い分がどうであれ、棚の上では体の絵として数えられているわけである。

記録では、この絵は収集家キャサリン・ロリラード・ウルフの遺贈で館へ入った。

遺贈は1887年、描かれてからわずか六年後のことである。

描かれてすぐ集められるほど、この種の水浴図には買い手がいた。

ここで、途中の勘定をしておく。

九点のうち、裸の体が主役の絵は、ここまでの五点である。

そのうち水に足を入れているのは、髪を絞る一人だけである。

残る四点は、湯から上がった後か、水に入る前か、そもそも水が見えない。

水浴図の水は、体を野外へ連れ出すための口実に近い。

体を描くための約束事、それが水浴の型である。

五点の内訳も、書いておく。

室内が一点、森の中が二点、川か池のほとりが二点。

海はない。

型としての水浴は、人目のない水辺で起きることになっている。

そして五点とも、描いた人はフランスで働いた画家である。

十九世紀の後半から二十世紀の初めに、集中している。

この型が最も盛んだった土地と時代が、そのまま数に出た。

湯屋ののれんと、明治の海

六点目から、暮らしの側へ移る。

板張りの通路で、着物の女性が前かがみになっている。

着物の裾を片手でつまみ、素足で板を踏む。

もう片方の手には、赤い鼻緒の黒い履物を提げている。

後ろには藍色ののれんが掛かり、白く大きな文字が抜かれている。

文字は画面の縁で切れて、読み通すことはできない。

それでも、のれんが店の入り口の印であることは分かる。

湯屋を出る女(大津絵より)
歌川国貞《湯屋を出る女(大津絵より)》1820年代半ばごろ。館の記録では、多色木版。紙は37.5×23.2センチ。番号は1940.711。クリーヴランド美術館蔵。歌川国貞《湯屋を出る女(大津絵より)》クリーヴランド美術館蔵

題のとおり、湯屋を出るところである。

江戸の湯上がりの、ほんの数歩が絵になっている。

湯屋は、銭を払って入る町の湯である。

家に風呂のない暮らしを、この一枚は前提にしている。

体を洗う場所が、町の側にあった時代の絵である。

裸ではなく、着物をまとい直した姿のほうを、絵は選んだ。

まだ履物を履いていない素足が、湯から出て間もないことを教えている。

画面の右上には、小さな絵が描き込まれている。

瓢箪から馬が飛び出す図である。

館の記録では、道教の仙人・張果老の故事によるという。

大津絵と呼ばれる民画で、人気のあった画題だとある。

シリーズの名も、大津絵より。

湯上がりの女と瓢箪の駒が、どう掛かるのか。

記録は故事の説明だけで、それ以上を語らない。

画中には署名と版元の印、検閲の印も刷り込まれていると記録にある。

湯屋という商売の場と、出版という商売の仕組み。

一枚の紙に、江戸の暮らしが二重に写っている。

七点目で、水浴は海へ出る。

海水浴
宮川春汀《海水浴》1898年。館の記録では、木版三枚続・紙に墨と色。各画面34.4×24.1センチ。番号はJP3433。メトロポリタン美術館蔵。宮川春汀《海水浴》メトロポリタン美術館蔵

三枚続の木版に、明治の海辺が広がる。

左では、着物の女性と子どもたちが日陰の台を囲む。

真ん中では、女性が波打ち際に立ち、その先の海に子どもの頭が浮かんでいる。

右では、男たちが舟のそばに腰を下ろす。

水平線の近くには、赤い日がある。

浜で休む人、水に入る人、舟のそばの人。

海辺の時間の流れが、三枚に割り振られている。

波は低く、水の色は浅葱から白へと薄く摺り分けられている。

三枚をつなげると、幅は70センチを超える横長の海になる。

題は、海水浴。

1898年、明治31年の日付が記録に残る。

九点のなかで、肩まで水に入った人が現れるのは、この絵が最初である。

しかも入っているのは、遊ぶ子どもたちである。

八点目は、同じころの海の向こう側である。