題が用意する理由——デューラー・モディリアーニ・スーラほか九点の裸体

小さな板絵である。
縦13.3センチ、横21.9センチ。
手のひらに載る。
画面の上半分は、灰色がかった青の海である。
水平線が、まっすぐ横に通る。
左のほうに、白い帆が一つ浮かぶ。
下半分は、砂浜である。
そこに、人影が点々と並ぶ。
一人の高さは、数ミリしかない。
衣を着ているか、着ていないかは判別できない。
題には「水浴する人々」とある。
つまり、記録がそう呼んでいる。
だが、画像からは確かめられない。
第十九回で、遠くの人は輪郭の要点だけになると書いた。
ここでは、その要点すら小さすぎる。
館の題を疑っているのではない。
題の語と、画像から読めることが一致しない場合がある、ということである。

こちらも小さな板である。
縦15.7センチ、横24.9センチ。
画面の中ほどに、川が横たわる。
対岸に、低い建物と煙突が並ぶ。
手前は、緑の土手である。
そこに、青い服を着た人物が座る。
帽子をかぶり、こちらへ背を向ける。
館の記録によれば、これは大きな絵のための習作である。
その大きな絵では、人々が川で休んでいるという。
そして館は、明るい色と、はっきりした輪郭の組み合わせに触れている。
題に水浴の語があるが、この習作に裸の人物は見あたらない。
写っているのは、服を着て座る一人だけである。
習作とは、そういうものである。
完成作の一部分を、先に試す。
このときに試されたのは、土手と川と対岸の並べ方だろう。
体の描き方は、別の紙で試したはずだ。
横たわる体

館の記録は、支持体を「リネン」と書いている。
九点のなかで、布の種類まで書かれているのはこの一点だけだ。
ほかの二点は「布」とだけある。
同じ布でも、織りの目の細かさが違う。
目が粗ければ、絵具が粒として乗る。
細かければ、平らに伸びる。
記録が織りの種類を書くかどうかは、館によって違う。
横長の画面である。
人物が、体を横たえている。
背景は、赤茶色の面と暗い面に分かれる。
体の下に、青い布が敷かれる。
顔は左を向き、目は細く描かれる。
髪は黒く、頭のまわりで広がる。
体の輪郭は、長い曲線でつながる。
腰から脚へ、線が途切れずに続く。
肌は、橙みのある色で塗られる。
影は、緑がかった色で置かれる。
前の回で、この作者の肖像を見た。
視線の話で扱った一点と、顔の作りが同じである。
首が長く、目の焦点が読めない。
同じ作者が、同じころに描いている。
この一点も、名前は記録されていない。
館の記録は、描かれた人が誰かを書かない。
題は「青いクッションの裸婦」である。
人ではなく、敷かれた布の色が題に入っている。

縦長の小さな板である。
人物が正面を向いて立つ。
背景は、赤、青、黄の面に分かれる。
平らな色の帯が、縦に並ぶ。
体の輪郭は、太い線で囲まれる。
肩が狭く、腰が広い。
顔は小さく、目と口が簡略に置かれる。
手は胸の前に上がる。
館の記録は、寸法に「見える範囲で」と付けている。
額に隠れる部分があるからだ。
つまり、板そのものの大きさは分からない。
第十三回で、寸法の欄の書き方を並べた。
見える範囲だけを測る、という書き方も、そこにある。
立体で見せるための写真

黒い枠の中に、同じ像が二つ並ぶ。
左と右で、ほんのわずかに角度が違う。
どちらにも、同じ人物が写る。
体をやや斜めに向け、布を持つ。
背景に、垂れ布がある。
像には、手で色が塗られている。
肌が薄い赤みを帯び、布に色が付く。
館の記録によれば、これは立体視のための写真である。
二つの像を、専用の器具で同時に見る。
すると、奥行きがあるように見える。
そして館は、この作者が商業の肖像写真を専門にしたと書く。
手で彩色した立体視用の写真を得意にしたという。
これは館の記述である。
つまり、この一点は売るために作られた品である。
前の八点とは、成り立ちが違う。
彫刻も、絵も、素描も、注文か制作者の意思で作られた。
こちらは、商品として作られている。
そして、題がない。
「無題」と記録されている。
九点のうち、題がないのはこの一点だけである。
売る側にとって、題は必要なかったのだろう。
館は、それを括弧付きで補っている。