蘭は、庭の名として生き延びた——ヒード・円山応挙・八大山人ほか九点

小さな縦長の紙である。
46.7×25.4センチしかない。
画面いっぱいに、文字が並ぶ。
行は縦に走り、字の大きさがそろわない。
墨は濃い部分と、かすれた部分に分かれる。
字の形は角が丸く、線が曲がる。
止めや払いは、しばしば省かれている。
絵は描かれていない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題は、四世紀の書家が記した文に倣うというものである。
その文は、先の二点に描かれた会のために書かれた序である。
つまりこの一幅は、会そのものではなく、会の記録の文を写している。
そして、その文の題に蘭の字が入っている。
九点のうち、蘭が書の題としてだけ現れるのは、この一点である。
倣うという言い方も見ておきたい。
もとの書を、そっくり写すのではない。
その筆づかいの精神に沿って、自分の手で書く。
だから字の形は、もとの書とは違う。
館の題は、その関係を倣うという語で示している。
九点のうち、絵が一つも描かれていないのは、この一点だけである。
それでも、この一幅は蘭の回に入る。
題の中に、庭の名があるからである。
記録の中の水仙
最後の一点は、花瓶の絵である。

たいへん小さな板絵である。
26.4×22.6センチしかない。
背景は暗い褐色である。
石の台の上に、ガラスの器が置かれている。
器は透明で、細い首を持つ。
水の面が、器の中ほどに見える。
その器から、花が数本立ち上がる。
いちばん上には、大きな薔薇がある。
花びらが幾重にも重なり、外側が反る。
その下に、赤い花がある。
さらに手前には、白い花がある。
花びらは六枚で、中心が黄色い。
館の記録では、この白い花は水仙で、桃色を帯びているという。
そして、わずかな花で高度に洗練された釣り合いを作り出したと記録は書く。
さらに、ガラスの器に窓の映り込みが描かれていることにも触れる。
ただし、窓の正確な形は示されていない。
そして石の面には、いくつか欠けが描かれている。
材質を確かにするための、よく使われる手法だという。
館の記録は、そう説明している。
日本語では、この白い花の名にも蘭の字が入らない。
しかし漢字では、水の仙人と書く。
蘭と同じく、花の名が人や場所を思わせる語でできている。
そしてこの一点は、蘭の回に入りながら蘭を持たない。
薔薇と、赤い花と、白い水仙。
館の記録が名を挙げるのは、その三つである。
小さな板の上に、三種類の花が置かれている。
そのまわりに、小さな花がいくつか散らされる。
わずかな花で釣り合いを作るという記録の言葉は、その配置を指している。
館の記録は、作者が早くに海を渡り、王の宮廷で働いたとも書いている。
花の絵の写実が、たいそう称えられたという。
数えてみると
九点を並べ直す。
蘭の花が描かれているのは、二点である。
熱帯の白い花と、茶器の面の青い線。
椿が描かれているのが一点、鈴蘭が一点である。
そして三点では、蘭は場所か書の題として現れる。
黒い蘭の一点では、花の種類が定まらない。
花瓶の一点では、白い花は水仙である。
つまり九点のうち、蘭の花が確かに描かれているのは二点しかない。
もう一つ数えておく。
九点のうち、余白の広い画面は三点である。
屏風と、巻子と、書の掛幅。
いずれも蘭が題にだけある点である。
蘭の花が描かれた二点では、背景は暗く塗り込められている。
花があるときは背景を埋め、題だけのときは余白を残す。
これは偶然かもしれない。
しかし理屈は付けられる。
花を見せるなら、まわりを暗くして浮かせるのがよい。
集まりや文字を見せるなら、余白があるほうが読みやすい。
主題が何であるかが、背景の扱いを決めている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、蘭という語が「場所と書に強く結び付いている」ということである。
九点のうち三点で、蘭は庭の名と、その庭で書かれた文の名として現れた。
四世紀の一日の集まりが、千数百年のあいだ描かれ続けている。
そのあいだ、庭の名の中の蘭は一度も咲いていない。
言えないのは、花としての蘭が軽んじられたという話である。
熱帯の一点では、蘭は画面の中心にあった。
茶器の面でも、蘭は器の主題だった。
ただ、その数が少ないだけである。
言葉として使われる回数のほうが、描かれる回数より多い。
最後に、はじめの一点へ戻る。
白い花のまわりは、暗く塗り込められていた。
根は空中に垂れ、土に届いていない。
木に着いて育つ植物を描くには、下に地面を描く必要がない。
そのかわり、まわりを暗くして浮かせる。
そして根は、白く、細く、葉より目立たない。
館の記録も、根については何も書いていない。
書かれているのは、三度の旅と、鳥と花の絵のことだけである。
九点を数え終えて残るのは、その地面を持たない根のほうである。









