緑は、揺れることで効く——ドア・ブリオーニ・モーリス・ドニほか九点
緑の服が、緑の地に沈む
四点目は、肖像である。

縦長の小さな画面である。
55×38センチしかない。
背景は、濁った黄緑である。
その中に、桃色の小さな花が点々と散る。
白い花も混じる。
中央に、女性が横向きに座っている。
顔は左を向き、目を伏せている。
髪は黒く、頭の上でまとめられている。
着ているのは、濃い緑のドレスである。
面には、細かい縞と点が並ぶ。
裾は床に広がり、画面の下を埋める。
膝の上で、両手が組まれている。
指は細く、丁寧に描かれている。
館の記録では、優雅に組まれた手は、この人の音楽の才を示している。
作者の義理の姉妹にあたり、優れた奏者だったという。
そして館は、支持体について重要な一行を添えている。
この肖像は、放棄された別の絵の断片の上に描かれた。
構図の縁のあたりに、その痕跡が現れる。
まるでこの人の肖像が、別の絵から不思議に現れてくるようだという。
館の記録は、そう読んでいる。
つまり緑の地の下には、別の絵がある。
九点のうち、下に別の絵が隠れているのは、この一点である。
背景の黄緑と、ドレスの濃い緑は、同じ系統の色である。
その二つを近づけると、人物は地に沈みかける。
沈まないのは、白い顔と手があるからである。
つまり緑は、顔と手を浮き立たせるために広く敷かれている。
そして背景の花は、模様のように平らに置かれている。
奥行きを作らないという選び方である。
平らな地の上に、平らな衣がある。
そのあいだで、手だけが立体として描かれている。
傘は、題では緑である
五点目では、題と画面が食い違う。

縦長の画面である。
78.8×63.5センチある。
下半分は、明るい緑の草地である。
筆触は縦向きで、黄と緑が交互に置かれる。
中央に、女性が座っている。
白い長い衣を着て、裾が草の上に広がる。
頭には白い布をかぶる。
顔は下を向き、目を伏せている。
手には、開いた傘の柄を持つ。
傘は大きく、女性の背より高い。
傘の面は、青みを帯びた灰色である。
骨の線が放射状に走る。
奥には水があり、その向こうに岸が続く。
岸には、人影が小さく見える。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
題には、緑の日傘という語がある。
しかし画面の傘は、緑には見えない。
草地のほうが、はっきりと緑である。
つまり題の緑と、画面の緑は同じ場所にない。
九点のうち、題の色が画面と食い違うのは、この一点である。
もっとも、傘の布は光を透かしている。
草地の緑が下から映り込めば、灰色は緑に寄る。
つまり題は、実際にその場で見えた色を指しているのかもしれない。
写真に残る色と、目に見えた色は違う。
館の記録は、そこまでは書いていない。
書かれているのは、題と、油彩とカンヴァスであることと、寸法だけである。
そして草地の筆触は、色を混ぜずに並べて置かれている。
離れて見ると、その並びが混じって明るい緑になる。
山の名に、緑の字が入る
六点目は、画帖の一葉である。

ほぼ正方形の小さな画面である。
26.4×28.4センチしかない。
画面の上のほうに、山が連なる。
山肌は淡い緑がかった灰色である。
その上に、濃い墨の点が密に打たれている。
点は木を表している。
中ほどには、細い川が横に流れる。
川の手前には、竹の林が広がる。
竹は細かい縦線で表され、上に葉が付く。
左には、木が数本立つ。
その根元に、小さな建物がある。
左下には、文字が縦に書かれている。
館の記録では、この画帖はある町のまわりの名所を描いている。
作者はその町の出身ではないが、注文を受けて訪れたはずだという。
十八の眺めをすべて丁寧に描き、それぞれに注記を書いた。
そして館は、この一葉の注記を訳している。
緑の崖の山には、かつて原生の森があり、その中に寺が隠れていた。
いまでは、その原生の森はほしいままに、すっかり伐られてしまった。
そのため、荒れた姿となり、訪れる者は少ない。
それでも、峰と崖と滝があり、景色の美しさに欠けるところはない。
館の記録は、そう訳している。
つまり題にある緑は、いま失われた森の色である。
前の回で見た黄龍洞の一葉は、同じ画帖の別の一枚だった。
同じ画家が、同じ大きさの絹に、十八の場所を描いている。
そして注記は、名所案内の文体をしている。
由来を述べ、いまの状態を述べ、それでも見どころがあると結ぶ。
つまりこの一葉は、絵であると同時に案内文である。
緑という語は、その案内文の中で二度働いている。
一度は山の名として、一度は失われた森の色として。
画面の緑は、そのどちらでもない。
絹の上に薄く刷かれた、灰色に近い緑である。
緑の眼が、黒一色で刷られる
七点目には、緑がない。