作品を知る

戸口が、人を切り抜く——欧米絵画・版画・素描ほか九点

戸口は、四角い枠である。そこに人が立つと、額に入ったように見える。そして、向こう側の空間が見える。九点で、戸口の使われ方を読みたい。開いた戸と閉じた戸では、意味が変わる。戸口の奥をどこまで描くかも、九点で分かれる。

フィラエ、イシス神殿ティベリウス室の東の入口
ヘンリー・ロデリック・ニューマン《フィラエ、イシス神殿ティベリウス室の東の入口》メトロポリタン美術館蔵

「入口」と呼ばれるもの

前の回で、窓を見た。

窓は光を入れ、外を見せる。

しかし、人は通らない。

今回は、人が通る場所である。

館の記録で、入口や門と分類されたものを集めた。

すると、九点の中身がばらばらだった。

石の扉、木の柵の門、大きな屋敷の門。

そして、港の入口、村の入口、森の入口。

さらに、山の谷を指す地名まで混じっている。

前の回までと同じく、語の幅が広い。

九点を並べて、その幅と、入口の働きを読みたい。

フィラエ、イシス神殿ティベリウス室の東の入口
ヘンリー・ロデリック・ニューマン《フィラエ、イシス神殿ティベリウス室の東の入口》1905年。館の記録では、生成りの簀の目のない紙に水彩と鉛筆。木枠に貼った紙に裏打ちと記される。66×43センチ。番号は1990.48。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・ロデリック・ニューマン《フィラエ、イシス神殿ティベリウス室の東の入口》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。

石の壁が、正面から描かれている。

大きな切石が、水平に積まれている。

一つずつの目地が、細かく引かれている。

その壁の中央に、四角い開口がある。

上に、太い横石が渡る。

そして、その開口の中が暗い。

奥に、わずかに明るい部分が見える。

さらに向こうにも、開口があるらしい。

壁の下部は、崩れている。

石が乱雑に積み重なる。

上は、淡い紫がかった空。

開口の中が、暗い

この扉には、扉板がない。

石の枠だけが残っている。

そして、その中が暗い。

外が明るく、中が暗いからである。

第十三回で、戸口が明かりの窓になる例を読んだ。

あちらは、暗い部屋から明るい外を見ていた。

こちらは逆である。

明るい外から、暗い中を見ている。

そして、暗い開口は穴に見える。

壁に穴が一つ空いている。

その穴が、画面のなかでいちばん暗い部分になる。

第三回で、橋の孔が枠になると書いた。

あちらは、孔の向こうが明るかった。

明暗が逆になると、働きも変わる。

明るい孔は、目を通す。

暗い孔は、目を止める。

入口の高さと幅

九点の入口の大きさを比べたい。

石の扉は、人の背丈の二倍ほどある。

幅は狭く、一人がやっと通れる。

街区の門は、さらに高い。

しかし、幅も広い。

大勢が通る場所だからである。

木の柵の門は、腰の高さである。

人は跨ぐか、開けて通る。

屋敷の門は、人の背丈より少し高い。

つまり、入口の大きさは、通るものの数と種類で決まる。

一人だけなら、狭くてよい。

荷車が通るなら、広くする。

そして、格を示すためには、高くする。

石の扉が高いのは、神殿だからである。

人が通るために必要な高さより、はるかに高い。

つまり、実用を超えた大きさが、その場所の性格を示している。

第十八回で、道具の装飾がその持ち主の階層を示すと書いた。

入口の大きさも、同じことを語っている。

入口は、通り抜けられる

窓と戸口の違いは、人が通れるかどうかである。

そして、通れるということは、その先があるということである。

この一点でも、開口の奥にさらに開口が見える。

つまり、部屋が連なっている。

奥へ進めば、次の部屋がある。

第四回で、道が時間を含むと書いた。

入口も、同じである。

通り抜けるには、時間がかかる。

そして、その先は見えない。

見えないことが、入口を入口らしくしている。

廓中東雲
歌川広重《廓中東雲》1857年4月。館の記録では、木版画、紙本着色。37.1×25.1センチ。番号はJP65。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。歌川広重《廓中東雲》メトロポリタン美術館蔵

縦長の版画である。

画面の左に、大きな門が立つ。

太い柱が二本、高く伸びる。

その上に、横木が渡る。

門の向こうに、通りが奥へ続く。

そこに、人が数人。

いずれも小さい。

門の右手には、桜の木。

白い花が、密に付く。

その奥に、板張りの塀と、建物。

二階の窓が並ぶ。

そして、空が明るい青緑である。

上端に近いほど濃い。

夜明けの色である。

題にも、東雲とある。

右上に、題箋。

門が、区画を分ける

この門は、街区の入口である。

門の内と外で、場所の性格が変わる。

そして、門は閉まる。

時刻によって、通れなくなる。

つまり、この門は境界であり、時間の区切りでもある。

第三回で、橋が二つの通り道を交差させると書いた。

門は、一つの通り道を区切る。

そして、その区切りが画面の構図になる。

門の柱が、縦の線を作る。

第七回で、木が縦の柱になると書いた。

門の柱は、それより明確である。

まっすぐで、太く、画面の高さいっぱいに伸びる。

木の柵の門

門のそばで食事をする人々とロバのいる風景
ジョゼフ・ポールに帰される作《門のそばで食事をする人々とロバのいる風景》1830年から1880年ごろ。館の記録では、布に油彩。123.2×99センチ。番号は1942.9.14。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。ジョゼフ・ポール(帰属)《門のそばで食事をする人々とロバのいる風景》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

第十八回で読んだウィドナー・コレクションの、一点である。

縦長の画面である。

画面の中央に、木の柵がある。

横木が数本渡され、その一部が門になっている。

低く、腰の高さほどである。

その手前に、ロバが二頭。

一頭は褐色、一頭は灰色。

首を下げ、草を食んでいる。

柵の左手に、人が数人。

地面に座り、輪になっている。

その上に、大きな木が広がる。

葉は黄褐色と暗い緑。

秋らしい色である。

左奥に、明るい空が覗く。

木のあいだから差し込む光が、黄金色である。

低い門は、視界を遮らない

この門は低い。

だから、向こうが見える。

つまり、境界ではあるが、視界の区切りにはならない。

前の二点は、視界を遮っていた。

石の壁と、高い門柱。

こちらは、線が一本引かれているだけである。

そして、その線が画面を横に切る。

第三回で、橋が横の線を作ると書いた。

低い柵も、同じ働きをする。

手前と向こうを分けるが、遮らない。

そういう境界の描き方もある。