作品を知る

猛禽は、捕る前と捕った後にしか描かれない——八大山人・湖龍斎・フロマンタンほか九点

鷹は、手袋の上で運ばれる

ここから、人の連れとしての鷹に入る。

風景の中の鷹狩り(裏は酒を讃える詩の書)
アブド・アッサマド《風景の中の鷹狩り》1558年から60年ごろ。館の記録では、紙にガム・テンペラとインクと金。画面は21.5×13センチ。番号は2013.292。クリーヴランド美術館蔵。アブド・アッサマド《風景の中の鷹狩り(裏は酒を讃える詩の書)》クリーヴランド美術館蔵

淡い桃色の岩山が、画面いっぱいに盛り上がっている。

岩は丸みを帯び、雲のように重なり合う。

その岩のあいだを、馬に乗った人々が進む。

人の背丈は指の先ほどしかない。

画面の下のほうで、二人の男が向かい合っている。

一人は白い頭巾をかぶり、黒い羽根を挿している。

もう一人は髭を生やしている。

二人のあいだで、鳥が受け渡されている。

館の記録では、この鳥は鷹である。

鴨を捕らえたところで頭巾をかぶせられ、渡されているという。

記録によれば、ムガルの人々は馬に乗り、鷹を連れて狩りをした。

狩りの一行が野へ出て、獲物を追い立てる。

そして鷹の目隠しを取ると、鷹が獲物を追って落とす。

館の記録は、その手順をそう書いている。

白い頭巾に黒い羽根を挿した若者は、若き日のアクバル帝かもしれないという。

記録は「かもしれない」という言い方をしている。

断定はしていない。

そして館は、細かいところを一つ拾っている。

男が鷹を鴨から引き離すあいだ、狩人の手袋が地面に落ちている。

手袋は、鷹を腕にとまらせるための道具である。

その道具が地に落ちている一瞬が、この小さな画面に描かれている。

馬の上で、鷹は空に向かう

同じ狩りを、三百年後のヨーロッパの画家が描いた一点がある。

アラブの鷹匠
ウジェーヌ・フロマンタン《アラブの鷹匠》1864年。館の記録では、油彩・カンヴァス。画面は108.6×72.4センチ。メトロポリタン美術館蔵。番号は23.103.2。ウジェーヌ・フロマンタン《アラブの鷹匠》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面である。

下三分の一が乾いた土地、上三分の二が曇り空である。

その境に、黒い馬が一頭立ち上がっている。

前脚を上げ、首を大きくのけぞらせている。

馬上の男は、白い布を巻いた頭を右へ向ける。

上体をひねり、右腕を高く突き上げている。

その腕の先に、鳥がいる。

翼を半分開き、腕から離れようとしている。

男の白い外衣が、風で後ろへ大きく流れる。

画面の上のほう、雲のあいだにも小さな鳥影が一つある。

先に放たれた一羽なのか、獲物なのかは分からない。

館の記録は、この点について何も書いていない。

記録が書いているのは、題と、油彩とカンヴァスという材料だけである。

館の札には「鷹」と「男性」と「馬」が並ぶ。

つまり館は、この画面を鷹と人と馬の絵として登録している。

鷹は腕から離れる瞬間にいて、まだ狩りをしていない。

画面の大きさも見ておく。

高さ108.6センチ、幅72.4センチ。

人の上半身ほどの大きさがある。

その面積のうち、鷹が占めるのは掌ほどにすぎない。

残りは、馬と人と、厚い雲である。

題は「鷹匠」であって「鷹」ではない。

館の題も札も、主役を人の側に置いている。

鷹は、その人が何者であるかを示す持ちものになっている。

鷹狩りの絵に、鷹がいない

ここから、鳥のいない二点に入る。

鷹狩の道具のある壁龕
クリストフェル・ピールソン《鷹狩の道具のある壁龕》1660年代か。館の記録では、油彩・カンヴァス。画面は80.5×64.5センチ。番号は2003.39.1。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。クリストフェル・ピールソン《鷹狩の道具のある壁龕》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

石でできた半円形のくぼみが描かれている。

くぼみの奥は、白く塗られた壁である。

その壁の前に、道具がいくつも吊り下げられている。

左上には、革の袋が二つ掛かる。

その下に、赤い房の付いた紐が垂れる。

中央には、細い骨組みの籠が置かれている。

籠は半円形で、上に赤い玉が付いている。

右側には、細長い木の棒が二本立てかけてある。

棒の先には、革の帯が巻かれている。

下のほうには、緑の草が一束差し込まれている。

館の記録では、これは鷹狩りの道具を集めた壁龕である。

籠も、袋も、紐も、鷹を運び、つなぐための道具である。

しかしこの画面に、鷹はいない。

道具だけが、主人のいない場所で吊るされている。

こうした壁のくぼみを描く絵は、だまし絵の静物画の系列に属する。

見る人は、壁に近づいて手を伸ばしたくなる。

伸ばしても、そこにあるのは絵の具の面である。

鷹は、その面の向こう側にすら描かれていない。

九点のうち、鷹狩りを主題としながら鳥がいないのは、この一点だけである。

籠の形も見ておきたい。

半円の骨組みは細く、隙間だらけである。

閉じ込めるためというより、運ぶための籠に見える。

その上に載る赤い玉は、目印なのか、飾りなのか。

館の記録は書いていない。

書かれていないものを、道具の形だけから決めることはできない。

鷹は、人の名の中にいる

もう一点、鳥のいない画面がある。

チェタンウォアクトアマング(歩きながら狩る鷹)
アントニオン・ゼノ・シンドラー《チェタンウォアクトアマング(歩きながら狩る鷹)》1887年ごろ。館の記録では、板紙に油彩。画面は31.8×24.2センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。アントニオン・ゼノ・シンドラー《チェタンウォアクトアマング(歩きながら狩る鷹)》スミソニアン協会蔵

胸から上を描いた肖像である。

背景は暗い茶色で、何も描かれていない。

男は正面を向き、目をこちらへ向けている。

頭には赤い布の帯を巻き、その上に羽根が数本立っている。

耳からは金色の輪が二つ下がる。

首には、白と青の玉をつないだ首飾りが幾重にも掛かる。

肩には赤褐色の衣がかかっている。

右手には、白い羽根を束ねた扇のようなものを持つ。

左手には、柄の長い道具を握っている。

館の記録では、題はこの人の名である。

その名は、歩きながら狩る鷹という意味だと記録は添えている。

つまり画面に鷹はいないが、題には鷹がいる。

前の回の遊女の名と、事情はよく似ている。

ただし違いもある。

遊女の名は、めでたい字を選んで付けられた見世の名だった。

こちらは、その人が実際にどう狩るかを言い表した名である。

鷹という語が、人の動き方を説明している。

館の記録はそれ以上を書いていない。

だから、この名がどう与えられたのかは分からない。

分かるのは、題の中に鷹の語があり、画面に鳥がいないことだけである。