島は、画面に描かれない——カナレット・ピサロ・カルポーほか九点
島は、名前のなかにある
数えた結果から、はっきり言えることがある。
島は、絵に描きにくい。
囲まれていることを見せるには、上から見るしかない。
だが、上から見た画面は九点に一つもなかった。
前に鳥瞰の話を予告したが、そちらは別の回で扱う。
今回の九点では、島は名前として現れる。
町の名、州の名、島の名、人の名。
そのいずれかに、島の語が入っている。
そして画面には、海辺か、人か、船が描かれる。
これは、島に限った話ではないかもしれない。
前に山や川を扱ったときにも、名だけが残る例があった。
だが島の場合、比率が極端である。
九点のうち七点で、島は画面にない。
理由は、島という語が場所の分類だからだろう。
山や川は、形として見える。
島は、周りとの関係で決まる。
関係は、形として画面に入らない。
隔たりは、大きさに関係ない
九点の寸法を並べておきたい。
いちばん小さいのは、直径5.8センチのメダルである。
いちばん大きいのは、128センチの油彩。
そして、表装を含めれば189.2センチの掛幅もある。
面積で比べると、千倍以上の差がある。
面白いのは、隔たりを主題にした三点の大きさである。
彫刻が21.6センチ、写真の画面が16センチ、掛幅が105.7センチ。
小さいものが二点、大きいものが一点である。
つまり、主題の重さと作品の大きさは対応していない。
流された人を表した彫刻は、手のひらに載る。
亡命先で撮られた写真も、葉書より小さい。
にもかかわらず、記録には長い記述が付いている。
亡命の年、出版された本の名、撮影の経緯。
作品が小さいほど、記述が長いということもある。
これは偶然だろう。
だが、記録の詳しさは作品の大きさで決まらない。
決めているのは、その作品にどれだけ調べられたかである。
有名な人物を写した写真には、調べる人が多い。
無名の風景画には、少ない。
九点でも、その差ははっきり出ていた。
記述の欄があるのは五点、ないのが四点である。
島は、隔たりを示す
もう一つ、気づいたことがある。
九点のうち二点が、流された人を扱っていた。
一点は写真、一点は彫刻である。
そして、もう一点の掛幅も、隔たりの話だった。
海の底の宮殿から戻ったら、三百年が経っていた。
三点とも、島が隔たりの印になっている。
島は、水で囲まれているので出入りが難しい。
その難しさが、流刑にも、異界にも使われる。
つまり島は、地形であると同時に比喩でもある。
そして比喩のほうは、画面に描く必要がない。
題に島の名があれば、それで伝わる。
だから島の絵では、島が描かれない。
描かれるのは、そこにいる人である。
椅子に座る人、外套にくるまる人、釣り竿を持つ人。
三点とも、一人で描かれていた。
囲まれた場所にいる人は、一人で描かれやすい。
これは九点から言えることにすぎない。
だが、三点そろっているのは面白い。
記録は、島の面積を書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、島の大きさを書く欄はない。
面積も、周囲の長さも書かれない。
書かれるのは、作品の寸法である。
いちばん小さいのは5.8センチのメダル。
いちばん大きいのは128センチの油彩である。
そして、島の名は題にしかない。
題を読まなければ、そこが島だとは分からない。
画面からは、海辺か、人物か、町しか見えない。
これは、公開データを使う側にとって重要である。
島の絵を集めたければ、題で引くしかない。
画像から島を判定することは、ほぼできない。
そして題で引くと、名前だけの一致が混じる。
今回は、九点のうち七点がそうだった。
外れが多いのではない。
島という語の使われ方が、そもそもそうなっている。
地名にも、姓にも、昔話の主人公の名にも入る。
その広がりを、九点はそのまま示していた。
そして、その広がりには理由がある。
島は、人の住む単位として古くから使われてきた。
一つの島に、一つの町がある。
境目がはっきりしているので、名を付けやすい。
だから地名として残りやすい。
さらに、島は隔たりの比喩としても使われる。
流刑地、異界、隠れ家。
いずれも、出入りの難しさから来ている。
そして姓にも入る。
土地の名が姓になるのは、よくあることである。
つまり島の語は、地形の名から始まっていくつもの層に広がっている。
語で記録を引くと、その層が全部出てくる。
今回の九点は、その断面だった。
いちばん下の層に、実際の島がある。
その上に、地名がある。
さらに上に、比喩と、人名がある。
九点は、下から上まで一つずつ拾っていた。
意図して選んだわけではない。
語で引いたら、そうなった。
そして、そうなった理由が語の性質にある。
こういうことは、九点を並べてはじめて見える。
一点ずつ見ていたら、ただの肖像写真であり、ただの海景である。
並べると、題のなかの同じ語が浮かび上がる。
その語が、九点をつないでいる。
つないでいるのは画面ではなく、記録の文字列である。
この連載の集めかたは、いつもそこから始まる。
画面が似ているから集めるのではない。
題の語が同じだから集める。
そして、集めてから画面を見る。
見ると、たいてい似ていない。
似ていないことが、その語の広がりを示している。
今回の九点は、そのなかでもとくに似ていなかった。
肖像写真、ブロンズ像、メダル、掛幅、海景、素描。
材も時代も土地も、まったく違う。
共通するのは、題に島の語があることだけである。
それでも、並べると一つのことが言えた。
島は、画面に描かれない。
その一点だけが、九点すべてに当てはまった。










