夜の画面は、五点しかない——サヴラソフ・カザン・ポワンほか九点
夜の絵は、記憶で描かれる
九点のうち一点に、面白い記述があった。
真夜中の町を描いた油彩である。
館の記述によれば、この画家は記憶で描く訓練を受けた。
学校で、その方法を学んだという。
そして後に、自分の生徒にも伝えた。
つまり、この夜景は現場で描かれていない可能性が高い。
考えてみれば、夜に外で描くのは難しい。
暗くて、絵具の色が見えない。
灯りを持ち込めば、その光が画面に当たる。
だから夜の絵は、記憶か、昼の写生から作られる。
前に空を扱った回では、屋外で描く習慣に触れた。
パステルを持ち出して、その場で空を写した。
夜には、その方法が使えない。
だから夜の絵は、屋内で作られる。
そう考えると、夜の絵が少ないのも分かる。
今回の九点でも、夜の場面は五点しかなかった。
残る四点は、題に夜の語があるだけである。
夜を主題にした作品そのものが、多くないのだろう。
館の記録も、そこには触れていない。
触れているのは、記憶で描いた一点だけである。
明るい部分の面積を、測る
夜の五点で、明るい部分の広さを見たい。
画面の四分の一ほどが明るいのが、二点。
十分の一ほどが、二点。
ほとんど明るい部分がないのが、一点である。
いちばん明るいのは、日没直後の空を描いた二点だった。
地平線の上に、橙の帯が横に伸びる。
その帯が、画面の四分の一近くを占める。
いちばん暗いのは、真夜中の町である。
明るい部分は、壁の一部だけである。
面積で言えば、二十分の一もない。
それでも、建物の形は読める。
暗い画面でも、少しの明暗差があれば形は分かる。
人の目は、暗い場所でも差を拾えるからだ。
絵はその性質を利用している。
真っ黒に塗らず、わずかに差を残す。
九点の暗い四点は、いずれもその処理をしていた。
まったくの黒は、どの画面にもほとんどない。
黒く見える部分も、実際には濃い茶や濃い青である。
館の記録の技法欄には、そこまで書かれない。
書かれるのは、油彩、パステル、木版といった名だけである。
夜の絵は、暗く塗るとは限らない
数えた結果から、一つのことが言えそうである。
夜を描く方法は、暗く塗るだけではない。
九点のうち、実際に暗い画面は四点だった。
残る一点は、日本の版画である。
そこでは、夜が明るく摺られている。
理由は、技法にある。
木版で広い面を暗く摺るのは難しい。
紙が濡れて波打つからだ。
だから、夜の場面でも紙の白さが残る。
見る人は、題と場面の約束から夜だと知る。
つまり、暗さは夜の必要条件ではない。
前に音を扱った回でも、同じ話をした。
音は描けないが、題と場面で伝わる。
夜も、同じように伝えられる。
もっとも、油彩やパステルなら暗く塗れる。
材が許すなら、暗くしたほうが早い。
九点は、その両方の解き方を並べていた。
暗い画面は、細部を失う
暗く塗った四点で、何が見えなくなるかを数えたい。
顔の造作が見えないのが、三点。
建物の細部が沈むのが、三点。
色が失われるのが、四点すべてである。
暗い画面では、色はほとんど茶と黒になる。
わずかに、橙や黄が光の部分に残る。
つまり、夜の絵は色数が減る。
前に霧を扱った回でも、色が減っていた。
霧は色を薄くし、夜は色を暗くする。
どちらも、色を奪う条件である。
そして色が減ると、形の輪郭が主になる。
夜の絵で目に入るのは、屋根の線、帆柱の線、人の輪郭。
いずれも、明暗の境目である。
境目だけが残るので、画面が単純になる。
四点とも、昼の絵より要素が少なかった。
記録は、時刻を書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、時刻の欄はない。
書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。
時刻は、題にだけ現れる。
夜景、真夜中、夜歩き、夜のセーヌ。
四点の題に、時刻が入っている。
そして題に夜とあっても、画面が夜とは限らない。
九点のうち四点が、その状態だった。
逆に、画面が暗くても題に夜がない作品もあるだろう。
そちらは、この集めかたでは拾えない。
語で引く方法の限界である。
暗い画面を探したければ、画像を見るしかない。
館の記録には、明るさの欄がない。
前に扱った天気も、季節も、同じである。
画面の状態を示す欄は、記録に用意されていない。
用意されているのは、物としての情報だけである。
材、寸法、年、番号、出所。
その五つで、作品は管理されている。
画面の中身は、題と記述に押し込められている。
そして記述は、あるときとないときがある。
今回の九点では、記述の欄があるのは五点だった。
そのうち、夜そのものに触れているのは二点である。
静けさと沈黙、そして記憶で描いたこと。
もう一点では、三代を象徴的に表したと書かれている。
残る四点では、記述に夜の話が出てこない。
つまり、館も夜を主題として扱っていない。
扱っているのは、画家の経歴と、技法と、場面の内容である。
夜は、その場面が起きた条件にすぎない。
条件は、記録の欄に入らない。
入るのは、物と、人と、出来事である。
この連載でこれまで数えてきた欄も、すべてその三つだった。
天気も、季節も、時刻も、そこには入らない。
入らないものを数えるのが、こちらの仕事になる。
今回数えたのは、光源の種類と、明るい部分の面積と、人の数である。
光源は四種類、明るい部分は二十分の一から四分の一まで。
人は、ゼロから十数人まで。
いずれも、画像を見れば誰でも数え直せる。
数え直せることだけを書く方針は、この回でも同じである。
そして数えた結果、夜の絵は人が少なく、色が減り、輪郭だけが残ると分かった。
三つとも、暗いことから出てくる性質である。
暗さは、画面から情報を減らす。
減った分だけ、残ったものが強く見える。
夜の絵の静けさは、そこから来ているのだろう。
情報が少ないから、静かに見える。
昼の絵を暗くしただけでは、そうはならない。
減らすべきものを、順に減らしていく必要がある。
色を減らし、細部を減らし、人を減らす。
その三つが済んだところに、夜の画面がある。
九点のうち、三つとも済んでいたのは二点だけだった。
真夜中の町と、ヴォルガ川の夜景である。
どちらも、人がほとんどいない。
色はほとんど茶と黒である。
細部は、輪郭だけになっている。










