牛は、値打ちを見せるために横を向く——カイプ・陳洪綬・ドーミエほか九点
牛は、写生の対象になる
四点目は、素描である。

小さな紙に、牛が二頭描かれている。
手前の一頭は、頭を下げて草を食んでいる。
首が前へ伸び、鼻先が地面に近い。
背中の線は肩のあたりで盛り上がり、腰へ向かって下がる。
後ろの一頭は、こちらへ顔を向けている。
角が左右へ張り出し、目のあたりに濃い影が置かれている。
二頭の体は重なり、境目が分かりにくい。
灰色の淡彩が、体の陰の部分に薄く刷かれている。
輪郭は黒鉛の細い線で引かれている。
背景には何も描かれていない。
地面の線が数本、脚のあたりに引かれるだけである。
館の記録では、これはスクラップブックに貼られていた一葉である。
制作の年は、作者の生没年がそのまま書かれている。
つまり、いつ描かれたかは分かっていない。
分かるのは、この紙が誰かの帳面に貼られていたことである。
牛の絵が、資料として集められ、束ねられた。
紙の種類も記録されている。
簀の目紙という、漉くときの型の筋が残る紙である。
淡彩を刷くと、その筋のところで色がわずかに溜まる。
牛の体の陰に、細い縞が見えるのはそのためかもしれない。
素描の紙は、たいてい絵の内容とは関係なく選ばれる。
しかし紙の目は、描かれたものの表面に必ず現れる。
牛の毛の見え方は、紙の作り方と切り離せない。
九点のうち、牛が完全に単独の観察の対象になっているのは、この一点だけである。
老子は、牛に乗って去る
五点目で、牛は乗りものになる。

正方形に近い小さな画面である。
中央に、黒っぽい牛が一頭立っている。
体は横向きで、頭は左を向く。
角は短く上へ曲がり、目が丸く描かれている。
脚は太く短く、地面をしっかり踏んでいる。
その背に、老人が横向きに座っている。
白い衣を着て、髪と髭が白い。
顔は正面を向き、口を結んでいる。
牛の背には赤い敷物が置かれ、その上に荷が結わえてある。
荷の中には巻物のようなものが立っている。
牛の前には、細い枝が斜めに伸びる。
枝には小さな葉が点々と付いている。
足もとには灰色の岩がいくつか置かれている。
館の記録では、この一葉は道教の始祖とされる思想家を描いたものである。
その人が道の書を著したと記録は書く。
そして館は、この画帖について別のことも書いている。
二十図から成る双帖で、山水と人物と花が混じる。
晩年の作で、人物も山水も縮小されているという。
その縮小は意図されたもので、失われた身分の反映だと記録は読む。
同じ画帖の別の一葉は、鶴と亀の回で見た。
そちらでは道士のかたわらに鶴が立っていた。
こちらでは、老人が牛の背に乗っている。
鶴は隣に立ち、牛は下から支える。
同じ画帖の中で、獣と鳥の位置がはっきり分かれている。
款記も残っている。
館の記録では、洪綬が敬意をもって描いた、と記されている。
そして印が一つ押されている。
鶴の一葉の款記は、道士に宛てたものだった。
こちらには宛て先が書かれていない。
宛て先のない一葉と、宛て先のある一葉が、同じ帖に綴じられている。
二十図をまとめて贈るという形が、そういう混在を許している。
水牛は、田を耕す
六点目は、働く牛である。

縦に細長い掛幅である。
上のほうに、薄い墨で山が重なる。
山のあいだには霞が横に走る。
中ほどには木が数本立ち、細い枝を垂らしている。
その下に、水を張った田が広がる。
田のあいだの畦に、人が何人か立っている。
腰をかがめ、手を水に入れている者がいる。
画面の下のほうには、水牛がいる。
一頭は体を水に浸し、頭だけを出している。
もう一頭は岸に立ち、頭を下げている。
そばには、小さな人影がひとつ。
牛の体は黒く、輪郭が太い墨で引かれている。
館の記録では、これは夏の農耕と放牧の場面である。
人々が畑で働き、水牛を追っている。
こうした場面は、豊かな国土という理想を掲げるためによく用いられた、と記録は書く。
そして、十二か月の営みとも結び付けられていたという。
作者については、歴史の資料が分かれていると記録は続ける。
多くの研究者は、京都の工房を率いた画家の次男だと考えているという。
つまり、この人が誰であるかも、完全には定まっていない。
掛幅の縦横の比も見ておきたい。
表装を含めて137.5×47.3センチである。
高さは幅の三倍近い。
その細長い面の中に、山と霞と木と田と牛が縦に積まれている。
上から下へ目を動かすと、遠景から近景へ降りてくる。
水牛は、いちばん下、つまりいちばん近いところにいる。
見る人の足もとに、水と牛がある。
高さの順が、そのまま距離の順になっている。
写真の中の牛は、隊列を組む
七点目は写真である。