横顔は、輪郭だけで足りる——コズメ・トゥーラ・マイヨール・ルドンほか九点
練習としての横顔
九点のうち、二点は素描である。
どちらも、仕上げた作品ではないと考えられる。

館の記録は、技法を細かく書いている。
黒チョークを紙にこすってぼかす。
その上に、白チョークと石膏で明るいところを起こす。
三段階の明るさが、これで作れる。
いちばん暗いところが黒チョーク。
中間が紙の褐色。
いちばん明るいところが白と石膏である。
紙の色を中間に使うのは、節約のためでもある。
白い紙に描けば、明るい面をすべて塗ることになる。
褐色の紙なら、起こしたい場所だけ白を置けばよい。
褐色の紙に、女の頭部が描かれている。
顔はやや下を向き、左を向く。
頭にスカーフを巻いている。
黒チョークで陰を作り、白で光を起こす。
紙の褐色が、中間の明るさとして働いている。
首から下は、線が数本あるだけで止まっている。
顔だけを描くための一枚だと分かる。
紙は縦40センチある。
顔の習作としては大きい。

館の記録には、来歴が長く書かれている。
十九世紀のロンドンの収集家から始まる。
そのあと、ダブリンの持ち主、別の持ち主と続く。
最後に画商を経て、館に入った。
一枚の小さな素描に、これだけの経路が残る。
第十八回で、出所の行の読み方を並べた。
出所の行の話で見たとおり、記録は金と名前を残す。
だが、誰がこの顔を描かせたかは書かれていない。
こちらは、一枚の紙の表と裏である。
館の画像は、表と裏を並べて撮っている。
左が表で、老いた女の横顔。
右が裏で、台所で働く女の姿。
紙は茶色く焼け、縁が傷んでいる。
同じ紙の両面に、別の主題が描かれている。
第十七回で、表と裏に別々の番号が付く例を読んだ。
ここでは番号は一つである。
一枚の紙は、一点として数えられている。
だが画像は二つ並ぶ。
数え方と、見え方が食い違っている。
記録の言葉は、人にだけ使われない
九点を選ぶとき、館の記録の「横顔」という語で拾った。
すると、人ではないものが一点混じった。

この紙は、他の八点と手ざわりが違う。
館の記録には紙の色の指定がない。
だが画像では、はっきり赤みがかった褐色である。
黒の面が、その上でよく目立つ。
刷りの黒は、濃さが一定でない。
嘴の先はほとんど紙が見え、首のあたりは真っ黒である。
褐色の紙に、黒い塊が一つある。
鴉の頭である。
嘴が右を向き、先が鋭く尖る。
首のあたりで、黒がほどけて筆の跡になる。
目は描かれていない。
輪郭と、嘴の線だけで鴉になっている。
館の記録によれば、これは詩の翻訳につけられた図の一つだという。
米国の詩人が書いた「大鴉」を、フランスの詩人が訳した。
その本のために、四枚の図が作られた。
表紙と広告にも、この鴉の頭が使われた。
つまり、これは看板として描かれた横顔である。
一目で何かが分かればよい。
だから輪郭だけで足りる。
人の横顔が硬貨に彫られる理由と、同じところに出ている。
外れとして落とすつもりだったが、落とさなかった。
横顔という形式の効き目が、人以外でも同じだと示すからである。
記録が横顔と書いても、真横とはかぎらない
もう一点、記録と画像がずれる例がある。

エッチングは、金属板に線を刻んで刷る技法である。
刻んだ線に絵具を詰め、圧をかけて紙へ移す。
線は、細く、深く、まっすぐ出る。
この一点でも、頬の陰は細い線の集まりで作られている。
線の間隔を詰めれば暗くなり、離せば明るくなる。
面を塗ることはできない。
だから、明るさはすべて線の密度で決まる。
版の大きさは、縦8センチ、横5.9センチである。
名刺より小さい。
その中に、少年の頭部が彫られている。
館の題は「右を向く横顔」と読める書き方をしている。
だが画像を見ると、真横ではない。
顔はやや手前に向き、両方の目が見えている。
四分の三に近い角度である。
耳は片方だけ見える。
白い襟が、首のまわりで開く。
右上に、彫った人の名と年が入っている。
館の題を疑っているのではない。
横顔という語が、真横だけを指すとはかぎらない、ということである。
記録の語は、角度を測って付けられているわけではない。
見た人が、そう呼んだから、そう書かれている。
九点のうち、真横と言い切れるのは六点だった。
残りは、少し手前を向いている。
顔の向きは、思ったより幅のある言葉である。