作品を知る

横顔は、輪郭だけで足りる——コズメ・トゥーラ・マイヨール・ルドンほか九点

顔だけでなく、体も横を向く

最後の一点は、頭部ではない。

全身が横を向いている。

先住民の人物の横顔
ヘンリー・カーク・ブラウン《先住民の人物の横顔》1851年。題は館の記録の表記による。館の記録では、薄い生成りの金縁ブリストル紙に水彩と黒鉛。35.9×26.5センチ。番号は1990.46.2。メトロポリタン美術館蔵。ヘンリー・カーク・ブラウン《先住民の人物の横顔》メトロポリタン美術館蔵

人物が真横を向いて立つ。

体も、足も、顔も、すべて横である。

長い弓を持ち、その先が地面につく。

肩から布を掛け、腰に縞の布を巻く。

足には飾りのついた履物。

背景には、垂れ幕と、二本の柱のようなものが描かれている。

地面に、薄い影が落ちる。

館の記録では、これは彫刻を作った人の手による水彩である。

つまり、立体を作る前の図だと考えられる。

そう見ると、この向きの理由が分かる。

真横から描けば、寸法が測れるからである。

正面からでは、腕の長さも脚の運びも読めない。

第十九回で、馬は横から見なければ馬に見えないと書いた。

馬の向きの話と、根は同じである。

形を伝えるための向きが、真横なのだ。

背景に、何を置くか

九点の背景を数えた。

一色で塗ったものが三点である。

トゥーラの紺、無名の画家の青灰色、ルドンの黒。

紙の地をそのまま残したものが四点。

マイヨール、ピアッツェッタ、カソラーニ、マネである。

線で背景を作ったものが二点。

ホラーの斜めの線と、ブラウンの垂れ幕である。

つまり、半分近くは背景を作っていない。

紙を残せば、背景になる。

横顔は、背景を必要としない形式なのだと思う。

輪郭がはっきりしていれば、後ろに何もなくてよい。

逆に言えば、背景を描き込むと、横顔の効き目が弱くなる。

ブラウンの一点だけは、垂れ幕と柱を描き込んでいる。

その分、顔よりも姿全体に目が行く。

顔の前に、余白がある

もう一つ、九点に共通することがある。

顔が向いている側に、余白が空けてある。

トゥーラの板では、顔の前に紺色の面が残る。

マイヨールでは、鼻の先から紙の縁まで距離がある。

ルドンでも、顔の前が明るく開いている。

顔を画面の中央に置き、前後を同じだけ空けた例はない。

これは、絵の常識として説明されることが多い。

向いている側を広く取ると、落ち着いて見えるという。

ただし、九点だけでそれを法則とは言えない。

言えるのは、九点がすべてそうなっている、ということだけである。

そして、余白の広さには差がある。

いちばん広いのはマイヨールで、顔の前が紙の三分の一近くある。

いちばん狭いのはホラーで、版が小さいぶん余白も少ない。

版の大きさが、余白の取り方を決めている面もある。

九点を並べて、数えられたこと

向きを数えた。

左を向くものが五点、右を向くものが四点である。

ほぼ半々で、片方に偏ってはいない。

素材を数えた。

板が二点、紙が七点。

紙の七点のうち、版画が三点、素描が三点、水彩が一点である。

つまり横顔は、大きな油絵の主題ではない。

小さな紙の上で、繰り返し作られてきた。

大きさを数えた。

九点のうち、縦が40センチを超えるものは一点もない。

最も小さいホラーの版は、縦8センチである。

横顔は、近くで見る絵である。

横顔で描かれるのは、誰か

九点の主役を数えた。

名前が分かっている人は、一人もいない。

トゥーラの若い男は「若い男性」である。

ワシントンの一点も「男性」だけ。

マイヨールは「若い娘」、ピアッツェッタは「女」。

カソラーニも「女」である。

ルドンは女神で、実在しない。

ホラーの一点は「少年」とだけ書かれている。

ブラウンの一点は「先住民の人物」である。

マネの一点にいたっては、鳥である。

これは、少し意外だった。

横顔の肖像は、権力者を刻む形式として始まったからである。

硬貨に彫られる顔は、名前のある顔だった。

だが、館に残る横顔の多くは、名前を持たない。

理由は二つ考えられる。

一つは、素描や版画が多いことである。

習作や挿絵は、特定の誰かを写す必要がない。

もう一つは、記録が失われたことである。

小さな板絵は、家から家へ移るうちに、誰かが分からなくなる。

第十九回で、遠くの人は顔が描かれないと書いた。

遠くの人の話では、大きさが理由だった。

ここでは、大きさではなく記録が理由である。

顔ははっきり描かれているのに、誰かが分からない。

記録に書かれていないこと

館の記録は、顔の向きを書かない。

書くのは、素材と寸法と番号と、受け入れの経緯である。

向きは、題に紛れ込むことがあるだけだ。

「横顔」「右を向く」という語が、題の中に入る。

そして題は、作った人が付けたとはかぎらない。

九点のうち、題に横顔の語を含むのは六点である。

残りの三点は、画像を見なければ横顔だと分からない。

つまり、この回で並べた九点は、記録だけでは集まらなかった。

語で引いて、画像で確かめて、はじめて九点になった。

顔がどちらを向いているかは、記録の外にある。

見るしかない。

そして、見た結果は数でしか書けない。

左が五点、右が四点。

真横が六点、やや手前が三点。

背景を作らないものが四点。

この数え方には、限界がある。

九点しか見ていないからである。

未使用の在庫には、横顔で拾える作品が二百十点あった。

そこから九点を選んだにすぎない。

二百十点を全部数えれば、割合は変わるかもしれない。

それでも、数えたことは書いておきたい。

記録に載らない性質を扱うには、一点ずつ見て数えるしかないからである。

この回で数えた向きは、次の回でも使う。

次に扱うのは、顔ではなく視線である。

こちらを見る顔と、見ない顔の違いである。

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