作品を知る

横顔は、輪郭だけで足りる——コズメ・トゥーラ・マイヨール・ルドンほか九点

顔を真横に置くと、目は片方しか見えない。それでも人だと分かる。輪郭に情報が集まるからである。九点で、この向きの働きを測りたい。左向きが五点、右向きが四点。板から版画まで、素材も並べる。記録は顔の向きを書かない。

若い男性の肖像
コズメ・トゥーラ《若い男性の肖像》メトロポリタン美術館蔵

顔が、完全に横を向いている

一枚の板に、若い男が描かれている。

顔は真横を向く。

こちらを見ていない。

見えている目は、片方だけである。

額から鼻へ、鼻から唇へ、線が一本で続く。

赤い帽子をかぶっている。

金色の髪が、耳のあたりを覆う。

衣は深い緑である。

背景は濃い紺一色。

そして板の両端に、塗られていない茶色が細く残っている。

若い男性の肖像
コズメ・トゥーラ《若い男性の肖像》1470年代。館の記録では、板にテンペラ。全体28.3×19.7センチ。描かれた面は27.3×14センチ。番号は14.40.649。メトロポリタン美術館蔵。コズメ・トゥーラ《若い男性の肖像》メトロポリタン美術館蔵

板の記録を、もう少し読みたい。

館の記録は、寸法を二つ書いている。

全体が28.3×19.7センチ。

描かれた面が27.3×14センチである。

横の差が5.7センチもある。

つまり、板の左右に絵の来ない部分が広い。

画像で見える茶色の帯が、それにあたる。

もとは枠にはめ込まれていたのかもしれない。

板絵は、額と一体で作られることがある。

その場合、隠れる部分には絵を描かない。

記録の二つの寸法は、その事情を残している。

この描き方には、決まった呼び名がある。

横顔の肖像である。

十五世紀のイタリアで、数多く作られた形式だ。

顔を真横に置き、背景を一色で塗る。

それ以外は、ほとんど描かない。

だが、考えてみると不自由な向きである。

正面から描けば、目は二つ見える。

斜めから描けば、頬に奥行きが出る。

横顔には、そのどちらもない。

なぜ、この向きが選ばれ続けたのか。

九点を並べて、その働きを読みたい。

輪郭が、そのまま人になる

横顔の強みは、はっきりしている。

輪郭が一本の線にまとまることである。

額の出方、鼻の高さ、唇の厚み、顎の引き方。

その全部が、一本の線の上に並ぶ。

正面から見ると、この情報は面の中に散らばる。

横から見ると、縁に集まる。

だから、線が少なくて済む。

そして、線が少ないほど、写しやすい。

硬貨やメダルが横顔を彫るのも、同じ理由だと考えられる。

男性の横顔の肖像
アメリカ、19世紀(作者不詳)《男性の横顔の肖像》1835年から40年ごろ。館の記録では、板に油彩。22.7×17.4センチ。額を含めて26.5×22.5×2.5センチ。番号は1953.5.82。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アメリカ、19世紀(作者不詳)《男性の横顔の肖像》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

館の記録は、三つ目の寸法も書いている。

額を含めて26.5×22.5×2.5センチである。

厚みが2.5センチある。

板と額を合わせた厚みだと考えられる。

トゥーラの記録には、額の寸法がない。

同じ板絵でも、館によって書く欄が違う。

第十三回で、寸法の欄の書き方を並べた。

額を含めた寸法の話と、同じずれがここにも出ている。

こちらは、トゥーラから三百五十年あとの絵である。

作った人の名は分かっていない。

館の記録は、作者の欄に「アメリカ、19世紀」とだけ書く。

描かれているのは、黒い上着の男である。

白いシャツに、黒い襟飾りをつけている。

顔は右を向く。

背景は青灰色の一色。

トゥーラと同じ組み立てである。

顔を横に置き、背景を平らに塗り、余計なものを入れない。

三百五十年、海を越えても、形式は動いていない。

ただし、大きさは違う。

こちらは板の高さが22.7センチしかない。

手のひらに載る絵である。

家の中で、身近な人を残すために描かれたのだろう。

トゥーラの一点も、高さは28.3センチである。

横顔の肖像は、もともと大きくない。

線だけの横顔

輪郭が全部だとすれば、線だけでも成立するはずである。

それを試した一点がある。

若い娘の横顔
アリスティド・マイヨール《若い娘の横顔》1893年ごろ。館の記録では、黄色い紙にリトグラフ。紙全体36×27.9センチ。画面31.1×24.2センチ。番号は2011.173。クリーヴランド美術館蔵。アリスティド・マイヨール《若い娘の横顔》クリーヴランド美術館蔵

リトグラフは、石や金属の板に脂で描く技法である。

彫らない。

描いた線が、そのまま刷られる。

だから、鉛筆で描いたような線が紙に乗る。

この一点も、線の太さが一定でない。

首から肩へ下りる線は、途中で細くなる。

髪のまとまりだけ、線が二重、三重になる。

手で描いた勢いが、そのまま残っている。

黄色い紙に、黒い線だけが引かれている。

娘の顔が、左を向く。

髪は後ろで束ねられ、丸くまとめられている。

首から肩へ、線が二本下りる。

塗った面は、どこにもない。

紙の黄色が、そのまま肌の色になっている。

館の記録によれば、この作者が黄色い紙に刷った例は少ないという。

紙の色を、絵の一部として使ったことになる。

第十九回で、版画の白は刷らずに残した紙の色だと書いた。

ここでは、紙の色が黄色である。

白を残す話と、やっていることは同じだ。

線を引かない場所に、紙が出る。

そして、輪郭だけで、顔は顔に見える。

もう一点、逆の方向に振れた例を並べたい。

目覚めると、厳しく硬い横顔をした叡智の女神を見た
オディロン・ルドン《目覚めると、厳しく硬い横顔をした叡智の女神を見た》1885年。館の記録では、織目紙に貼った中国紙にリトグラフ。画面27×21.6センチ。番号は1927.344.6。クリーヴランド美術館蔵。オディロン・ルドン《目覚めると、厳しく硬い横顔をした叡智の女神を見た》クリーヴランド美術館蔵

この一点には、下に文字が刷られている。

長い題が、そのまま画面の下に置かれている。

上には、第六図であることを示す表記がある。

館の記録によれば、これは版画集の一枚だという。

六枚が一つの折り帙に収められていた。

六枚に、はっきりした筋はない。

そのうちの一枚として、この横顔がある。

つまり、この顔は誰かの肖像ではない。

題が示すのは、夢のなかで見た姿である。

横顔の形式が、実在しない相手にも使われている。

こちらは、線ではなく黒い面で作られている。

女の頭が、左を向く。

髪は黒くまとまり、その中に白い点が散る。

顔の輪郭は、明るい部分と暗い部分の境目として現れる。

線を引いた結果ではない。

黒を置き、置かなかった場所が顔になる。

マイヨールとは、まったく逆の作り方である。

それでも、こちらを見ていない点は同じだ。

横顔である以上、視線は画面の外へ抜ける。

見る側と目は合わない。

これが、横顔のもう一つの性質である。

正面の肖像は、見る側を捕まえる。

横顔は、捕まえない。