作品を知る

鶏は、鳴く前に「もの」になる——ブラックモン・雪佳・デュシャン=ヴィヨンほか九点

もっとも身近な鳥を九点数えると、自分の脚で立っている鶏は三点だけだった。二点では死んで吊るされ、三点では磁器や木彫やブロンズの形になり、一点では荷物として担がれている。鳴いている鶏は一点もなかった。老いた雄鶏の脚だけが、まだ立っている。

老いた雄鶏
フェリックス・ブラックモン《老いた雄鶏》クリーヴランド美術館蔵

立っている雄鶏の、脚が太い

一羽の雄鶏が、地面に立っている。

体は左を向き、頭だけがこちらへねじれている。

とさかは細かく刻まれ、前へ倒れかかっている。

くちばしは短く、その下に肉垂れが二つ垂れる。

首から胸にかけては、細い羽が幾重にも重なる。

胴は丸く膨らみ、後ろへ向かって重たく落ちる。

尾は黒く長く、右へ大きく弧を描く。

尾の先は、画面の右下まで届いている。

そして脚である。

二本の脚が、体の重さを支えて太く立っている。

膝から下は鱗に覆われ、爪が地面に食い込んでいる。

背後には草が生い茂り、細い線で描かれている。

地面には短い草と、小石らしいものが散っている。

老いた雄鶏
フェリックス・ブラックモン《老いた雄鶏》1882年。館の記録では、エッチングとドライポイント。版の跡は34.7×26.8センチ。番号は1920.655。クリーヴランド美術館蔵。フェリックス・ブラックモン《老いた雄鶏》クリーヴランド美術館蔵

館の記録では、題は「老いた雄鶏」である。

作られたのは1882年。

版の跡は34.7×26.8センチある。

記録には、この版に書き込まれた文字も並んでいる。

版の中に作者の名と年が彫られ、下の中央には出版した店の名が入るという。

つまりこの雄鶏は、店を通して売られる商品として刷られた。

一羽の鳥を等身近い大きさで刷り、額に入れて壁に掛ける。

そういう用途のために、この鶏は立っている。

技法の欄には、エッチングとドライポイントの二つが並ぶ。

腐食させた線と、直接針で引っかいた線が混ざっている。

尾の黒い塊は、線を何重にも重ねて作られている。

いっぽう草むらは、細く浅い線を散らしただけである。

同じ一枚のなかで、線の強さがはっきり違う。

その差が、羽の重さと草の軽さを分けている。

鶏は、画面で何をしているか

この一枚を出発点に、鶏の絵を九点数えていく。

鶏は、人の暮らしにもっとも近い鳥である。

庭で飼われ、卵を産み、朝に鳴き、そして食べられる。

近すぎるために、絵の中での役どころが定まらない。

前の回で猛禽が捕る前と捕った後にしか描かれないことを見た。

鶏の場合は、それとは反対のことが起きる。

先に言ってしまうと、九点のうち、生きた鶏が地面に立っているのは三点だけである。

二点では、鶏は死んで吊るされるか、羽をむしられている。

三点では、鶏は生きものですらなく、器や彫刻の形になっている。

残る一点では、荷物として運ばれている。

数えていくと、もっとも身近な鳥が、もっとも早く「もの」になっていく道筋が見えてくる。

竹の柵の向こうに、チャボがいる

生きた鶏の二点目は、日本の下絵である。

チャボ(百々世草より)
神坂雪佳《チャボ(百々世草より)》1909年。館の記録では、紙に墨と彩色。番号は1989.85.9。クリーヴランド美術館蔵。神坂雪佳《チャボ(百々世草より)》クリーヴランド美術館蔵

黄色みを帯びた紙である。

画面の下半分に、緑の竹が何本も立ち並ぶ。

竹は太さがまちまちで、節が黒い線で示されている。

竹の上には、黄色の横木が三本、斜めに渡してある。

竹と横木で、柵か鶏小屋の骨組みらしいものが組まれている。

その骨組みの向こうに、鶏が二羽いる。

左の一羽は、赤いとさかだけがのぞく。

体は竹に隠れ、わずかに首から下が見えるだけである。

右の一羽は、黒い尾を高く跳ね上げている。

上の横木には、黒い鳥影がもう一つ乗っている。

輪郭線はところどころ途切れ、色は塗り残しが多い。

館の記録では、これは版画になる前の下絵である。

作者は明治から昭和にかけて京都で活動した図案家である。

薄い紙に墨と彩色で描いたと記録は書く。

そして、この自由な描き方は、完成した版画よりずっとゆるいという。

館の記録は、その差をはっきり書いている。

つまりこの鶏は、仕上げに向かう途中の姿である。

竹に隠れて全身が見えないのも、まだ形が決まっていないからかもしれない。

ただし、それは推測である。

記録は、隠れている理由までは書いていない。

もう一つ、この紙には寸法の記載がない。

館の記録の寸法欄は空のままである。

版画になった同じ図なら、判型が決まっている。

下絵にはその決まりがない。

紙の大きさが記録されないということは、大きさが作品の要素として扱われていないということでもある。

竹の緑と黄色の地の対比だけが、はっきり残されている。

木を彫った鶏は、掌に乗る

三点目で、鶏は生きものをやめる。

雄鶏
ヴィルヘルム・シンメル《雄鶏》1865年から90年。館の記録では、シロマツ材・彩色。高さ13.34センチ。メトロポリタン美術館蔵。番号は34.100.173。ヴィルヘルム・シンメル《雄鶏》メトロポリタン美術館蔵

木を彫った小さな鶏である。

とさかは大きく、頭の上にぎざぎざの山を作る。

くちばしは前へ突き出し、目の位置に丸い彫り込みがある。

胸は前へ張り出し、尾は後ろへ短く跳ねる。

翼は体の側面に、浅い彫りで示されているだけである。

体の表面には、黒い斑点が不規則に打たれている。

脚は彫られていない。

体の下は、そのまま丸い台座につながる。

台座の表面には、鱗のような彫りが放射状に入る。

高さは13.34センチ。

掌に乗る大きさである。

館の記録では、材はシロマツで、彩色されている。

作者はヴィルヘルム・シンメル。

館の札は「雄鶏」の一語である。

この鶏は、鳴かず、歩かず、卵も産まない。

木の塊から削り出された形だけが、鶏の名を負っている。

九点のうち、鶏が完全に立体の彫刻になっているのは、この一点と最後の一点である。

彩色も見ておきたい。

黒い斑点は、羽の模様を写したものではないように見える。

大きさも並び方もばらばらで、体の丸みを無視して打たれている。

木の地の色を残し、その上に点だけを置く。

似せることより、目に付くことが優先されている。

小さな木彫の鶏は、遠くからでも鶏と分かればよかったのだろう。

ただし、これは形からの推測である。